どうでも良いようなことが燃え上がってしまう
「王様の耳はロバの耳!」話せないモヤモヤはやがて凶悪な事件の引き金になる。孤独は、悲しい事件の温床だ。
千葉県八千代市にある牛丼チェーン店「吉野家」に刃渡り16cmの包丁をもった男が押し入り、立てこもった。1時間20分後に、酔っ払いの無職53歳の男が逮捕された。犯行の動機は、「どうでも良い、つまらないこと」「カスタマーセンターの対応が悪かった」というものらしい。ゲガ人もなく、人質もいなかった。
この男、事前に日本テレビ、フジテレビに電話して犯行予告を行っていた。テレビ局では、この手の電話対応にマニュアルでもあるのか、男の主張を聞こうという態度も示しているし、やめるように説得もしている。それに対して犯人は、動機はささいなことで、何か特別に言いたいことがあるわけではないと答えている。
この犯人は、なにか文句が言いたかったのは間違いがない。きっとそれは、たしかに些細なことだったんだろう。だけど、その文句を誰にも聞いてもらえなかったんじゃないだろうか。店員に言っても、カスタマーセンターに言っても聴いてもらえない。くだらないことで愚痴をいえる友人もいなかった。だからこそ、わざわざテレビ局に電話(犯行予告)をして聞いて欲しかったのではなかったか。自分の存在を大きく見せつけなければ、誰も話を聞いてくれないんじゃないか、と。
この事件の本質にあるのは、孤独とその不安だ。些細なことでも、誰でもいいから聞いて欲しかったんじゃないだろうか。店にいるのは、人間だけど、あくまで店の人であり、自分の友達ではなく、友達になってくれるわけでもなく、物理的に音波は届くけれども心に入っていかない無機質な人間だ。マニュアルにないことには返事のできないバイト店員、くだらない世間話には答えてくれない。しょぼくれた、どうでもいい、無価値な、だけど体温のある世間話に、無機質で体温のない返事しかしない。
無職で、酒を友達とする男は、一体誰と話ができたのだろう。
この事件、先日愛知の中学生が同級生を刺した事件と同じ構図だ。最初は些細な問題だったのに、最後は包丁を凶器にして重大な事件に発展した。この中学生も、誰かに愚痴を思っ切り聞いてもらっていれば、犯行には及ばなかったのではないだろうか。
シェイクスピアの名言に「とじこめられている火が、いちばん強く燃えるものだ」とあるが、これは情熱だけに限らず、ささいな日常の怒りについても同じことなのではないか。
最近の脳科学の本を開けば、「人間の幸福感に一番寄与するのは、近くにくだらない雑談をすることができる友人がどれくらいいるかということだ」ということをしょっちゅう見かける(例えば、『頭は本の読み方で磨かれる』著. 茂木健一郎)。「雑談」というものの価値は思っているよりも高い、ということなのだろう。
よく聞いていると、テレビ局の人が「どうでもよくて、ささいなことなら、(犯行を)やめていただけませんか?」と犯人に説得する場面が放映されている。説得虚しく、立てこもりは続いたのだけど、もし、この局の人が「ぼくはこの間、吉野家に行って卵を注文したのに、納豆が出てきましたよ。どうしろってんですかね」とか言えていたら、犯行の動機くらい話してくれたかもしれない。吉野家はきっとスポンサーだから放映できないだろうけど。
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