音楽は、いつも優しい



この自粛期間に、ついに音楽のサブスクに登録した。
むしろしてなかったの?という声が聞こえてきそうなんだけど(実際何人かに言われた)、理由は2つ。

ひとつは、好きなアーティストの作品は形に残るもので購入したい派だからだ。
音楽は目に見えない。形が無いものだからこそ、手に触れるもので残しておきたいというこだわり。

ふたつめは、沼だから。
沼。ハマったら抜け出せないものの例え。

音楽の話をするためには、おそらく普段の3倍の文章を書かなければならないので、今回はさわりだけ。


わたしは元々、音大を目指していた。
3歳からピアノを始め、高校卒業まで習い続けていた。受験をするために、楽典と呼ばれる専門的な勉強や、ソルフェージュ、聴音(全部楽典に含まれるのかも)のレッスンも受けていた。

中学で受験しようとして、雰囲気に圧倒されてやめ、高校で受験しようとして普通科で遊びたいと思いやめ、大学も結局某大学の某文学部に進んだ。

これを挫折と捉えるか、興味の変化と捉えるかは人次第だ。
わたしは、興味の変化と捉えている。

中学時代に当時仲のよかった友人との出会いが人生を変えた。
大袈裟に言うと、そんな感じだ。

英語を学ぶことが楽しくて、その道に進みたいと思うようになった。
言葉が聞き取れること、発音通りに口にできること、国の違う人と会話ができること。自分の世界が広がったようで、とても刺激的だった。

音楽は、というと、もうわたしのアイデンティティとなってしまっているので、プロの道に進まずとも、ライブに行ったり、楽器を弾いたり、歌ったり。自分の好きな時に好きなだけ触れて楽しめている。


そもそもコツコツ努力することが大変苦手なわたしは、音大を受験するための勉強最中、ピアノを弾くことが強制的なものに感じるようになり、苦痛で泣いたり、レッスンを休むようになってしまった。音楽が嫌いになってしまいそうだった。

それを考えると、あの時英語の道に進む選択をしてよかったなあ、と思う。元々文学も好きだったし、大学生活もとても楽しかった。
(親には申し訳ないことをしたなと胸が痛むこのもあるけれど)


今わたしは、音楽とは全く関係のない職種についているが、好きなことを仕事にして、好きなことをプライベートで楽しんで、となかなかに良い人生を送れているんじゃないかな。

話がだいぶ脱線してしまったけれど、そんな感じで、音楽は人生と共にいつもそばにいてくれる存在なのだ。


おわり。


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