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あえて「べき」を使うならここだと思う

長女が体育の授業で足を捻ったらしい。
軽い捻挫だとタカを括っていたのだけど、
翌朝には痛みが増し、歩くのがしんどい、とのこと。
無理すれば学校に行けないことはないけれど…というもの。

この日はもちろん平日で、私は仕事。
今週は別日で休みをもらうことになっていて、
かつ、社内の別部署に行く日でもあった。

こういう時、真っ先に浮かぶのは
「仕事は休めない」ということ。

誰に言われたわけでもなけど、なんとなく握りしめているものなんだと思う。
娘の足の痛さより、仕事で貢献することのが上なのか下なのか…
比べるものでもないのだということも頭ではわかっている。
長女の母はこの世で私しかいないけど、
私の代わりに仕事ができる人は少なくとも8人はいる。

長女の件は私が100%請け負うとしても、
私の仕事は1/8になって職場の人にふりかかる。


どう考えても100%で請け負う方を優先したほうがいいのに、なんでなんだろう。
家族のことは優先度が下がる気がする。
というか自分の身の回りのことになると優先度が下がるのかもしれない。
仕事は自分だけでやってるわけではない。休むと迷惑がかかる。
それは家族だって同じなのに。

本来逆であるべき(あえての「べき」)なのに
どこかで「仕事」が優先事項になってしまっていることがなんとも悲しいと感じた朝でした。

対外的な評価が下がる人になりたくないのかなんなのか。

結局私は、午前中に長女を整形外科に連れていきました。結果は捻挫。
レントゲンは念の為撮ったけど、骨には異常なし。原因がわかってよかったかなと思いました。

べきねば思考を手放すとか言われるけど、
もし敢えて使うなら、自分が何を大切にするのか迷った時に使える人になりたい。

お読みいただきましてありがとうございます。

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