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自分昔話

わたしは生まれてから今まで、3つの苗字を使ってきた。 はじめは生まれたとき、父方の姓 次は母が離婚後再婚したとき、義理の父方の姓 そして母が再び離婚したとき、今度は母の旧姓 3つ目の苗字を名乗り始めてからが、自分の人生だと考えて生きてきた。 それよりも前のことは捨てたつもりで。 その昔話を少ししてみようと思う。 大変だったのか、たいしたことなかったのか 結局のところは自分の感覚になるのだけど、 わたしは比較的他人からの意見を取り入れるタイプなので これを読んでくれた人がど

    • 適応障害を経験した1年後の自分

      昨年の今頃は、わたしは適応障害で仕事を休んでいた。 毎朝起きると絶望して、涙を堪えながら仕事をしていた日々。 2か月間の休養を経て復職してから、もう1年が経とうとしている。 今、わたしは元の場所で変わらず働いている。 でも、1年前の自分とは違う。 特に意識してやってきた3つのことがある。 ①つらい、疲れたと感じたときを見逃さない 1つ目は、その状態で仕事をしても集中力が低下して非効率であるから。 「つらいけど頑張る」のをやめて、「いけそうなときにちょっとだけプラスで

      • 復職

        適応障害には明確な原因があり、その原因が消失すると不調も回復する この特徴からすると、今回の原因であった業務負担と自分の仕事への向き合い方が改善されないと、高い確率で同じことを繰り返すことになる。 正直なところ、戻ってみないとわからない。 でも、この2か月で学んだことは確実にあった。 前の自分に戻るのではなく、新しい自分でまたやってみる。 そんな気持ちで復職を決めることができた。 復職前 — 職場との調整・他者への期待 職場に戻る前の準備として、自分の業務について調

        • やりたいこととできることをやってみる

          休養期間が1か月延長になり早1週間。 本を読んだことをきっかけに、かなり前向きな気持ちで日々過ごしている。 今までの自分は、降りかかってきたことやぶつかった壁には100%全力で向き合ってきた。 自分のレベルや能力では立ち向かえない内容だったとしても、 とりあえず「たたかう」を選択してきた。 それをひたすらに続けたことで、ついに「ひんし」状態になってしまった。 「ひんし」状態になると、残念なことに経験値がもらえない。 とあるゲームに例えて考えてみたら、思いのほかマッチし

        自分昔話

          適応障害ってなんだろう

          休養に入って約1か月が経ち、体調に問題はないが、今度は職場復帰に対する焦りと不安が大きくなってきた。 身体的には元気だから、ズル休みのような気持ちで毎日落ち着かない。 どうしたら、適応障害が治ったと言える状態になるのか。 主治医に復職の焦りがあることを伝えると、 「焦って戻っても同じ。もう少しゆっくりしてこれからのことを考える時間にした方がいい」 と、復職の方向に話は進まなかった。 今後のことを考えてみる。 また同じ場所で働きたいのか、 もう頑張れないと思っているのか、

          適応障害ってなんだろう

          もういいよって、

          昼間は明るかった気持ちが、嘘みたいに沈んでしまう。 体調が悪くないくせに、仕事を休んで。 好きなことはできるのに仕事には行けない。 そんなバカなことあるかよって、自分で自分に言う。 「しんどくて、つらくて、涙が出ます」と駆け込んだ病院 適応障害と診断されて、納得する自分と、 こんなことで?と呆れる自分がいる。 前者の自分でいられることは稀で、ほとんどの時間を後者が支配している。 これで休みましょうってなるなら、世間のほとんどの人が病気で仕事なんかできない。 同じ状況で

          もういいよって、

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(仕事を休むという選択2)

          適応障害と診断されてから早1週間、自分が想像していた状態とは少し違う状況に戸惑いながらも、引き続き療養しています。 1週間前、あんなにももう無理だと絶望していたはずなのに、なんだか別人になったように、「もう大丈夫かも」という気持ちになっています。 病院でそれを相談すると、よくあることだと言われました。 「休んでいる方が心に負荷がかかることもある」 わたしはそのタイプでは?と思いました。 しかし、 それならば、と戻ったところで同じことを繰り返すことになるそうです。 わた

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(仕事を休むという選択2)

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(仕事を休むという選択)

          仕事を休むことになりました。 「行けない」というよりかは、「行かない」という選択をしたと言うほうが正しいと思います。 わたし自身、忙しい状況やイレギュラーな状況、ストレスに強いと思っていたので、文句を言いながらもなんだかんだ毎日会社に行って嫌々でも仕事をするんだろうなと思っていました。(どちらかというと社畜なので・・・) わたしは普段、総務の仕事に携わっているのですが、給与支給に関する事務を主に担当していました。 忙しくなり始めたのは、今から約2年前です。 令和2年

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(仕事を休むという選択)

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(習い事 新しい出会い)

          習い事のその後のその後。 入会から1か月間、HIPHOPの入門クラスを受講していました。 引き続きレッスンには通っています。 次は新しいジャンルに挑戦してみようと思い、決めたのはジャズダンス。 ジャズとは?の状態でしたが、幸いにも入門よりもさらに初心者用のクラスがありました。 ストレッチ、アイソレーション、振付・・・と約80分をふんだんに使って、レッスンが終了したとき、私は実感します。 これ、これだ・・・やりたかったやつ、これ・・・! 空気のように踊るイメージという

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(習い事 新しい出会い)

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(習い事 その後)

          こんばんは。 前回、ずっと夢だったダンスを始めたことを書きました。 あれから1か月と少しが経過して、今も毎週欠かさず通っています。 上達したかどうかはさておき、新たな発見がありました。 私が通っているダンススクールは、1日のタイムスケジュールが決まっており、様々なジャンルを自由に選んで参加するという形です。 ただ、初心者はいきなり経験者クラスに入ることはできないので、入門クラス的なものに参加することになります。 スクールに加入して初めに選んだジャンルはHIPHOP

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(習い事 その後)

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(習い事をはじめました)

          一番初めのnoteで、やりたいことやるぞ!と意気込んで、やっとスタートできたことがあるので記録します。 新しくはじめたこと それは、ダンススクールに通うことです。 子どもの頃、仲良くしてくれていたお姉さんのダンス発表会を見て、自分もやってみたいと思ってからなんと23年… いろんな理由が邪魔をして一歩踏み出せなかったのをようやく。 ダンスは全くの未経験。 ただ、アイドルのまねごとをして踊ったり歌ったりするのは大好きだったので、曲に乗って体を動かすことに抵抗はありませんでし

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと(習い事をはじめました)

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと

          はじめまして。 普段は事務職をしているごく普通の社会人です。 社畜上司の下で着実に社畜と化している日々を送っています。 30代に突入し、20代を振り返った際に思ったことは 「いろいろあったし、いろいろやらかしもした。」 でした。 悔いはないかと言われると 「あんな馬鹿な事しなければよかったな」とか 「海外旅行にもっと行っておけばよかったな」とか 普通に出てきますが、割とおなか一杯な気持ちが強いので、これからは30代をできるだけ大切に生きていこうと心に決めたところです。

          30代を大切に生きたい社畜のひとりごと