言葉はさんかく こころは四角

最近、若い世代の人はみんな頭が良いなと思います。

「頭が良い」は語弊があるか。
「自分なりに考えて恐れずに発言ができる」かな?
私自身が転職して働く業界が変わったこともあると思うけれども、みんな本当に自分と周りのことをしっかり考えて、自分の考えたことを話してるな〜と感動することが多々あります。

そんな中でも、普段めちゃくちゃキレ者の子が話した内容に対して

「あれ?なんか今日の発言は妙にフワッとしてるな??」

みたいに感じることもしばしばあります。なんとなく違和感というか、「それ、本心でそう思ってる?」みたいな。

それで気になっていろいろな角度からアプローチをしてみると、やっぱり本音で考えていることとは少し違う表現だったこととかが見えたりします。
そういう時って、発言した側も「なんか違うよなぁ」と思いながらの発言になっている。思考を表す適切な言葉や手段が用いられていなかったり、忖度でストレートな表現を避けたりしている場合が多いです。

ロックバンドくるりの「言葉はさんかくこころは四角」ってほんと言い得て妙だなぁと、リリースから10年以上経った今改めて歌詞にじんわりとしたものを感じます。

なので、ここ最近は「相手の言葉を額面通りに受け取らない」トレーニングをしていこうと画策中です。
これはいわゆる「お気持ち」と揶揄される問題に対して、かなりの確率で問題解決の糸口になるのではないかとひっそりこっそり思っている次第です。

そういった問題が話題になる時の「ちょっと待った!」の第一声って、そこまで練りに練られたものではないと思うのです。少し感情的になっていたり、「私はコレはなんか違うと思う」っていう問題提起であったり。まだまだ深掘りする余地のある状態だと思うのですね。それに対して、言葉狩りのようにその意見は正しい、正しくないを議論するのは少し早いのかな、と。

できればその発言者が「なぜそう思ったのか」「なぜその言い回しを使ったのか」のバックグラウンドが見えるところまで話ができると、さまざまな齟齬がかなり解消されるのではないかなと思っています。

それを実現するにはあまりにも時間がないとか、問題の沈静化に時間がかかるとオーディエンスが増えすぎて収集がつかなくなるとか、きっといろいろあるんでしょうね。

難しい時代だなと思う反面、いち一般人の発言に対して、本来なら繋がり得ないような人からも意見を聞けるというのはすごく良い時代になったなぁとも思います。

なんかすごい時代に生きてるなぁと思うのは、自分がおばさん化している証拠なのかしら…。

自分の思いや考えを適切に伝えられるスキルと
相手の本心を理解しようとする姿勢、

両方持てたら最強ですよね。

いつかそんな風になれたら、将来すごく徳の高いおばあちゃんになれる気がする。そしたら来世ではちゃめちゃの美少女になって神木隆之介くん似のハニカミボーイと結婚できる気がする。

はぁ〜!来世最高かよ〜!!
徳、積んでこ。

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