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#271 親不孝が私の原点

おはようございます。フミオです。

親不孝を考えると、私のこれまでの「行動」に付き合ってくれた人(信じるしかなかった?信じた?)を考えることに至る気がしました。そんなことをつらつらnoteします。

■私の行動の原点
 母親に言われるまで、ハッキリ自覚していなかった私のモチベーション。いつのタイミングで母親に言われたのか?記憶にないのです。多分、大学を変えるタイミングか、転職のタイミングか、このどちらかと思う。

このタイミングは、私の中では同じ意味を持って行動したときなんです。大学を変えるタイミングでは、工学系の大学に進学したんです。進学した理由は、ちょうどワープロ(特定の年代の方しかわからないと思います。文章作成に特化した機器)やこどもの手に入るパソコンが社会で出回り、私もこんな分野に進学すればと考えました。

結局、退学して現在の仕事のもとになる福祉系大学へ入り直しました。

もう一つのタイミングは、福祉系の大学を卒業して、就職したのです。このnoteでも既に書いています。改めて、私が就職をする時期に福祉施設等の事業所は本当に少なくて、情報もなかったので書店グループに就職しました。

ここでも、人生最初の転職をして、障害者施設に転職をしました。

このタイミングに、私が自分自身と環境に苦しさを感じて「辞める」ということを両親に伝えたんですね。父親は、大反対!母親も反対!
この反対するタイミングで、母親から「あなたは、小学校の時に友だちが忘れ物して困っていると自分の道具を貸して、友だちの困らないようになったところをニコニコしていたからね」、この言葉を聴かされたことが、今でもズーっと残っています。

これが、原点になっています。(なってしまった)

■原点からこれまで、信じてくれた人
 今は、このエピソードを原点と思っています。原点と思えるのも私に関わってきてくれた方からの言葉や影響によって強化されたことかもしれませんと、思ってもいます。

私の仕事の姿に協力してくれた人、私の生意気な考え(若い時)や私の思い(現在まで)に添ってくれた人、そして、私のやり方(提案)しか知らない利用者、その家族の方が私の行動にいてくれたからだと思います。

この方々との出会いがなかったら・・・と思うと、正直ゾッとしてしまいます。もし、居なかったら、私の今はどうなっていたんだろう?と思います。
全く想像ができません。

noteしながら思うことは、いろいろな方との作用・反作用があってのことなんだと思います(再現性はないです)

■今日のnote
 私の行動をしっかり見て、しっかり言葉を返してくれる人、そして、相談に乗ってくれ、信じてくれる人がいることが「親不孝が私の原点」と(現時点)で思わせてくれた。

その行動を促したのは「自分の中の違和感(モヤモヤ)」に促されたこと。そのモヤモヤが今もあって、この4月からの私のINGにつながっています。



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