''考える下っ端'' 10年後
私は、どこにでもいる「作業が早いヤツ」
何でもかんでも仕事を受けがちで、気付けば「下っ端として最強」
その文脈で語られがちなポジションを築いた。
「成長のため」いつも格好付けて、意図的に下っ端に取り組んではいる。
しかし、そう上手く、格好良くは運ばないもので、いつからか完全に
「とても組織で使いやすい便利屋さん」
そんな自分へ、一直線に向かって行く二十代を過ごしたように思う。
正確人間マニュアル
自分が手掛ける ''組織の雑務'' は計り知れない。
営業資料のテンプレート作成
印刷機の使い方講座 & 美しいプリント術
社内フォルダの整理整頓
研修資料の作成・・・
そんな ''暗黙の組織ボランティア'' をサポートしている内にあっと言う間、労働時間は過ぎるもので。
同期よりもいつも帰宅は遅かったし、休憩時間も少なかったし、
プライベートタイムも少なかった。
これは武勇伝でも何でもなく、ただ単に可処分時間が少ない、
リーマンとしての劣後だった。
土日には ''得意な営業資料のプリント'' も頼まれ、週明けは誰よりも早く、オフィスの鍵を開けて、社内システム不備をメンテナンスする。
「成長投資」の強がり
どう言葉を包み隠しても「失ったパシリ時間」と計算してしまうが
「自分はそもそも、時間たっぷり与えられた」として、
「その時間で一体何を生み出せるビジネスマンなのか」
ふと、考えてみるのはどうだろうか。その問いに向き合うのに、
とても良いきっかけだったと思う。
与えられる、って実は幸せな部分もあったりする。
「私ばかりが」残業していたものの、
勝手に「下地ができている」事もあったりするものだ。
「設定作業ができない人間には ''細かな気遣い'' が、所作として実現できなかったり」
これが、組織パシリのみが文句を言える、その真髄だと。
段落分け、フォント修正 & 揃え、綺麗な印刷、システムバグの修正、 ''下っ端'' 的作業は全て「基本動作」
つまりは「相対する人への気遣い」の実現手法だったりするのだ。
とまあ、色々理屈付けはできるが、人助けをして悪い事はないと、
結局、そう信じて私は生きていたい。
「感謝される分だけ、感謝ポイントが溜まっているんだ、いつか恩恵が返ってくるんだ」
それで良しとしようじゃないか。
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