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パートを辞めた話


暑すぎた夏が過ぎて、風が連れてくる風が冷たくそして寂しくなって来たこの頃、約5年勤めていたパートを辞めた。


始めた頃は、まだ体調が良くない日が続いていて、仕事を始める事すら臆病になるくらいだった。

外に出るのも一苦労で、そんな状態で仕事が出来るのだろうかと何度も悩んだ。けれどその時大好きだったアイドルの歌詞に励まされて踏ん張って面接に行った。


あまりにも人がおらず即採用となった私は次の日から必死に働いた。

覚える事をノートに書き、必死で飲み込んだ。仕事をしていると不思議と体調が悪いのすら忘れてしまうほど、与えられた仕事にのめり込んだ。


元々お菓子作りなどが好きだった私には、パート先の仕事がひどく楽しく感じられた。

仕上げをして商品を並べる。それが売れると不思議な気持ちになるのだ。

仕事を教えてくれる人達にも恵まれて、店長は厳しかったけれど慣れて行くに連れ軽口を叩き合う仲にもなれた。


パートに出ている間に恋に落ちたり、離婚をしたり、日々は目まぐるしく過ぎていく。

その頃にずっと一緒に働いていた店長が異動となり店長が変わった。

前の店長と比べ物にならないくらい優しくて緩くて、仕事に行くのが楽になった。


楽になったはずなのに、何かが変わった。

良くも悪くも私を含む皆が変わってしまったのだと思う。

以前のパワハラMAX店長はその威厳でパート以下を黙らせていたのだ、恐らく。

けれどそのパワーがなくなった途端、堰き止められていたものが溢れ出したように思う。

自由になった、皆が肩の力が抜けた、そうするとどうしてだろう、声が大きくなる人が増えた。


しかし、今の店長はそれを悪としない。

ああそうだね、と同意し助長した。するとのびのびしていたはずが、一気に仕事がやりにくくなった。


どうして?変わったのは店長のはずなのに、どうして他の人がまるで違う人みたいになるのだろう


私の頭には疑問符が飛び交いなんだか仕事に対するモチベーションがなくなった。


そして私の中で決定的な事が起こった。出勤日に用事が出来てしまい休む為に代わりを立て欠勤した。

その結果他の人達から不満が噴出する事となったのだ。

以前なら代わりを立ててさえいれば、誰に何かを言われるまでもなかったのに。


誰が休憩出す間残るのだ、希望休ばかりで休むなんてズルい!と言われていると店長から聞かされた私は開いた口が塞がらなかった。

休憩を誰が出すかまで手配しないといけなかったのか

自由シフトなのに希望休ばかりを出すと文句を言われるのか 誰もが掛け持ちをしている事を知っているのに


そう思うともう行けなくなった。

ここは私の居場所ではないと、心の底から思った。


しんどくて辛い時、仕事場に来る事で癒された事が何回もあったのに

お客さんと楽しく笑い合える大好きな場所だったのに


きっと私の居場所でなくなったのは、私のせいであるのだ。

私があの時休んでいなかったらきっとこんな事にはなってなかったのだ。

自分の行動が自分の居場所をなくすトリガーになるなんて夢にも思っていなかった。

自分のせいだと分かってはいるけど、なんだか悲しくなって寂しくなった。

店長に辞めたい旨を伝えたけれど、受け入れてはくれなかった。なので我慢して通った。


けれど日々を重ねれば重ねる程居心地は悪くなり、日に日に居場所が狭くなったように感じた。


その頃から、子宮辺りが痛む事が増えた。

ミレーナを入れているせいで、不正出血や腹痛もあるにはあったのだが妙に増えだしたのだ。

あまりの腹痛で仕事が出来なくなり早退した事もあった。多分体が拒否しているのだろうとその時思った。


だから、もう辞めないと、と思った。

弱いかもしれない。甘ったれかもしれない。でも、もうそれでもよかった。

なんと思われても仕方ない。私は私の体が大切だった。


不調を訴えてまで、それを我慢してまで仕事をするモチベーションがとてもじゃないけれど残っていなかったのだ。


体調不良が理由だと、退職を渋っていた店長も了承してくれた。

他の誰にも相談せず、そっとその店から最初からいなかったみたいにそっと消えた。


そして今日。

退職届を提出し、制服を返却し、見事綺麗さっぱり辞めることが出来たのだ。


なんと清々しい。

仕事を行かないと決めてから、続いていた腹痛と不正出血は治まった。だから、多分、これでよかったのだ。


長いようで短かった私の丸5年は、色んな経験が出来た大切な思い出として残しておく。

最後は思ったような最後ではなかったけれど、間違いなく楽しかった仕事だと言えるから。


5年間お世話になりました!お疲れ様私!!よく頑張った!!!

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