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(53)新人監督週間 2023

[2023/5/13]

 毎年春、ニューヨークの二大映画上映団体、MoMA (近代美術館)とリンカーン・センターの共催する新人監督週間(New Directors/New Films)特集は、世界の新人監督を紹介するもので、今年(2023年)で52回目を迎える。この特集からスパイク・リー、ウォン・カーウァイ、ミヒャエル・ハネケ、ジャ・ジャンクー、ギレルモ・デル・トロ、森田芳光、濱口竜介などがデビューしている。今回は27の長編、11の短編、41名の監督が紹介された。
 私は毎年旧ユーゴや東欧からの映画が紹介されることを心待ちにしているのだが、ここしばらく旧ユーゴからの映画はなかった。今回はセルビア、クロアチアからの映画が選出されて嬉しかった。

中年女性を自由奔放に描く

 セルビアの『この女性を見た?(Have You Seen This Woman?/Dali set Videla ovu zenu?)』(2022年、セルビア=クロアチア共同製作、詳細はこちら)は、セルビアのドウシャン・ゾリッチとマティヤ・グルシェチェヴィチの共同監督の長編処女作で、セルビアの首都ベオグラードに住む中年女性ドラギニャ(クセニヤ・マリンコヴィチ)についての物語である。

 映画の冒頭、カメラは遠景からベオグラード市街の開発が進む工事現場のような地区を移動で捕え、ある建物の上の方の階の窓にいる男性に焦点を合わせる。彼はテレビのニュース・キャスターのように、その部屋に住んでいた50歳の女性ドラギニャが5年前突如消えたことをカメラに向かって喋る。
 次のシーンでドラギニャが登場する。髪を後ろで雑にまとめノースリーブのワンピースを着た小太りの彼女は汗をふきふき街中を歩いているので、時期は夏である。彼女は電気掃除機のセールスをしていて、デモンストレーションを個別訪問して披露する様子が続く。ドアをノックし、部品を組み立て、床に掃除機をかけるが、庶民の慎ましいアパートに住む客たちは揃って皆彼女を見事に無視してテレビを見ている。人の良さそうな老女が見入っているテレビのニュースでは、ある一家の主婦がシャワーを浴びている間に忽然と消えたという出来事が家族のインタビューなどを通じて報じられている。
 あるアパートで猫に導かれて開いている扉から中に入ったドラギニャは洗面所で血を流して倒れている女性を発見し、警察に通報する彼女の声が流れる間カメラは、部屋の中の植物の鉢に執着する猫を捕える。そのあと警察を待つ彼女は居間のテーブルにあるカップケーキをつまみ食いする。倒れていた女性の顔は見えないが、手に洗剤を持っていて、その洗剤はドラギニャが別のシーンで掃除していた時に使っていたものと同じ銘柄に見える。
 次のシーンで彼女は家に戻って台所でレタスを洗ったり肉を叩いてカツレツを揚げている。ごく当たり前の庶民の生活である。そして夜、外に出た彼女は突如麻薬の売人に頼んで一緒にクラブに乗り込む。暗い照明の中、若者たちが踊っている中で、彼女は錠剤を缶ビールで流し込み、身体をゆらめかしている若者たちの中に入り、恍惚感の中で自分の身体を撫で回す。トイレで元彼に絡んでいる若い女性と三つ巴になるシーンは固定カメラ・長回しで嫌というほど克明に捉えられる。そのあと彼女はトイレで下着を脱いでタオルのように使って自分の体の汗を拭き、家に戻る。
 座り込みカメラに向かって振り返った彼女は突然濃いメーキャップ、髪を茶色に染めた女性に変化していて、場所は病院となる。彼女は看護士で冷蔵庫の食べ物を素早く盗み、家では赤ちゃんの世話をしている。この赤ちゃんが彼女の子供ではないことが次第にわかってくるのだが、赤ちゃんの部屋には巨大なピンクのウサギのぬいぐるみがいて、このウサギがドラギニャに話しかけたりするので、この辺りからこの映画はリアリズムを超えたところにあることがわかってくる。彼女は売れない俳優を雇って夫の役割をしてもらい、オーストラリアに移住した甥一家にオンラインで家族を紹介して幸福な家庭生活を報告する。そのあとドラギニャの誕生日祝いのミュージカル・シーンが庭で繰り広げられ、映画のトーンの破茶滅茶ぶりが増大する。
 次のシーンでは冬。道路を裸体で走る短い金髪の女性がゴミ箱をあさりダウンコートを取り出し、それを着て道で寝ようとすると猫が来る。よく見ると、この女性もドラギニャだ。第一話で疲れた表情だった彼女は第二話で生き生きしているが、第三話では終始緊迫した表情で言葉も発さない。彼女は老夫婦が住むアパートに行き、ガツガツとパンをかじって母親らしき老女に注意される。彼女は夜の街を彷徨する。そして昼間、導かれるように人々が集まり歌う都会の草地で初めて幸福な表情を見せて、映画が終わる。
 中年女性の孤独感をブラック・コメデイで描いた作品という評もあったが、ドラギニャの人生に疲れ、諦めきったような心の彷徨が、一瞬の偽りの高揚を経て絶望、そして最後の救済へと向かうイメージを私は強烈に感じた。

安全な場所はあるのか

 ユーライ・レロティチ監督の処女長編作『安全な場所(Safe Place/Sigurno Mjesto)』(2022年、クロアチア製作、詳細はこちら)は、自身の体験を基に脚本を書き主演も務めている作品である。主な登場人物は3名で、自殺願望の弟・ダミール(ゴラン・マルコヴィチ)を心配し、当惑し、追い詰められていく兄ブルーノ(レロティチ)と母(スネジャナ・シノヴチッチ=シシュコフ)の心理的苦悩を描いている。

 緑豊かで静かな集合住宅が遠景で捕えられる。その中に、走り込んで鍵のかかった玄関を破ろうとしているらしい男性の、遠くから見てもその必死さが伝わる映像から映画は始まる。部屋の扉を体当たりで破ったその男性ブルーノは、弟のダミールが腕と首を切って倒れているところに直面し、救急車を呼ぶ。
 ダミールの怪我は大したことはなかったが、精神科医を呼んで欲しいと懇願するブルーノに病院は規則通りの処置しかしないし、警察は器物破損でブルーノを犯罪人扱いする。病院からひとまず帰るように言われたブルーノは、兄弟二人で話をしている時にダミールのシャツの色が青からオーバーラップで白地柄物に変わり、「死体に着せるシャツは友だちに聞いて選んだよ」とブルーノが言う。訝しげな表情の弟にブルーノは「病院を訴訟することにしたんだ」と告げる。さらに「煙草をシャツに入れておいたよ」というと、ダミールは胸ポケットから煙草を出し一服する。この場面は兄の不安の幻想とも受け取れる一方、この映画の結論がかなり早い段階で観客に示されるとも解釈できる。
 しかし、火のついた煙草を胸ポケットから出しそのまま美味しそうに煙を揺らして吸うというような反リアリズム的表現はそこで終わり、残りの映像は行き戻りせずひたすら前に向かって時間を重ね、正攻法で登場人物の心理に迫って行く。映画を通して目立つのは寒色を主体とした室内撮影の暗さと、窓ガラスに映る人物のイメージが現実の空間に居る登場人物と会話するシーンの多さである。そうしたイメージは、我々が見ているものがはたして現実なのかと疑わせる曖昧さや不安を増幅させる。
 台詞は少なく、全編を通じて音楽もなく、寒々とした気配が映画を覆う。ダミールは問いかけに答えなかったり、時として答える声はか細く短い。兄や母の焦燥が表れるように、彼に対する二人の言葉は対照的に長い。彼を気遣う周囲の心配が空回りしながら、それでもダミールは彼なりに悩み、苦しんでいることが彼の表情から伺われる。彼は自分の行為について何度も簡潔ながら謝っているのだが、彼自身も悩みの根源をはっきり理解できていないようだ。本作は、そのコミュニケーションの断絶に対する絶望感を映像と音響デザインを通じて見事に映画化している。
 本作はクロアチアの首都ザグレブで始まるが、故郷からやって来た母と兄は車でダミールをスプリットに連れ帰る。スプリットはアドリア海に面した太陽がさんさんと輝く世界遺産にも登録された港町だが、本作ではそんな明るさも登場しない。この作品によりロカルノ映画祭でレロティチが新人監督賞、マルコヴィチが男優賞を受賞した他、数々の国際映画祭で受賞をしている。

ディスコでのボルドー

 『ディスコ・ボーイ』(2023年、フランス・イタリア・ベルギー・ポーランド合作、詳細はこちら)の監督ジャコモ・アッブルッゼーセ監督は1983年南イタリアのタラント生まれ。本作が長編1作目である。主演のフランツ・ロゴフスキは1986年当時の西ドイツ生まれで、ドイツ語の映画に数多く出演していて国際的にも評価が高い。映画はアフリカらしきジャングルの中に集団で横たわる黒人の男たちをロング・ショットで捕える画面から始まる。その中の、右目が茶色、左目が黒色、顔が赤と白の半々に塗りわけられた男のクローズ・アップで始まる。

 それから一転して舞台は寒寒としたベラルーシからポーランドに向かうサッカー・ファンの男たちの団体バスの中になる。国境で3日間のビザを得た2人組はすぐに別行動に出て、ヒッチハイクや徒歩でフランスに向かう。途中で一人が川で死に、残されたアレクセイは一人パリに向かう。
 フランス語を映画で学んだという彼は外人部隊に登録して、鬼教官(旧ユーゴスラヴィアのクロアチア出身の名優、レオン・ルチェフ演ずる。本コラム(37)で紹介した『積荷』の主役をしていた)の下、厳しい訓練を受けて数人の仲間と共にアフリカに派遣される。名前もアレックスと呼ばれるようになる。
 最初に出てきた両目の色が違う男はナイジェリアのデルタ地帯で欧州の石油開発事業のため環境を破壊され、「海外の大企業と結託する腐敗した政府に対して立ち上がった」というゲリラ・グループの隊長であることが紹介される。このグループが白人のビジネスマン2人を人質に取ったので、アレックスたちがその救出に向かう任務を受ける。しかし容赦ない政府軍の仕打ちから村人たちを救うことが出来ず、アレックスの心に疑問が湧いてくる。彼は焼き払われた村で両目の色が違う若い女性と無言で出会うが、それは隊長の妹である。
 夜中に川の中で襲われたアレックスは反撃に出て相手のゲリラ隊長を殺すが、その死体を丁寧に土の中に埋葬する。パリに戻った彼は、仲間と行ったディスコで両目の色が違う黒人女性ダンサーを見て目が釘付けになる。彼女に近寄ろうとして用心棒たちに放り出された彼は、酔い潰れて戸外で寝ていたところを突然両目の色が違う黒人の男に襲われ片目に息を吹きかけられる。それ以来彼は訓練にも集中できなくなり、彼女を求めてディスコに戻る。そのオーナーはアレックスと同郷の者で、怪しいビジネスをして富を得たことを知る。
 5年間外人部隊を勤め上げればフランスのパスポートが取得できるという教官の言葉にもアレックスは無関心になり、訓練所を脱出してディスコで両目の色が違う黒人女性とペアになって踊るが、彼の片目も色が違ってきている。
 題名のディスコ・ボーイとは、ゲリラの隊長が仲間に「もし反対側勢力の白人だったら、何をしたいか?」と聞かれてディスコのダンサーになりたいと答え、「それじゃ、ディスコ・ボーイだね」と言われるところから来ている。彼の果たし得なかった夢が、アレックスに受け継がれたのだ。白人でも発展途上国出身ではまともな生活が成り立たない。「持たざる者」の苦悩が、胸に大きく刺青をしてほぼ無表情のアレックスの顔のクローズ・アップの多用で表現される。しかしそんな彼でも感傷的になる瞬間がある。かつて一緒に非合法亡命を目指した友が憧れて語っていたフランスのボルドーワインを、2人分注文してもう1つのグラスと一人で乾杯をする時だ。そして彼はワインを彼の分まで飲み干す。「今じゃ誰も飲まない」とディスコのオーナーに言われるボルドーを重ねて注文するアレックスと友人の夢と友情が切ない。

ウクライナのナマハゲ

 持たざる者の悲劇はウクライナのドミトロ・スホリトキイ=ソブチュク監督の長編処女作『パムフィール(Pamfir)』(2022年、ウクライナ、フランス、ポーランド、チリ、ルクセンブルグ、ドイツ合作、詳細はこちら)でも顕著だ。ルーマニア国境に近い寒村、霧のかかった森には高い木々が聳え、狼の鳴き声が響く。復活祭の後のカーニバルではナマハゲのように藁の衣装を着て木製の仮面を被った男たちが踊り、歌い、レスリングの試合をする。

 映画はこの藁製の衣装と仮面をつけた者が座る納屋から始まる。このナマハゲ風の衣装を見た途端に、私はこの映画に引き込まれてしまった。前近代的なイメージながら若干のユーモアも感じられる。この21世紀に伝統と因習に縛られたコミュニティで、尋常でないことが起こりそうな予感がするイメージである。
 この衣装をつけていたのはポーランドでの出稼ぎから戻ったレオニード(オレクサンドル・ヤツエンチュク)である。この村では真剣な思いで仮面が作られカーニバルの準備が進められ、教会が村人の精神的拠り所になっている。レオニードは村では近所の若者を集めて井戸を掘る仕事をしているが、またポーランドへ戻る予定だ。父と離れたくない十代の息子は、父の書類が保管されている教会の戸棚に火をつけるが、教会全体が焼け落ちてしまう。賠償を申し出たものの経済的余裕のないレオニードは、「一度だけ」のつもりで、かつて携わっていた密輸に手を染める。
 「密輸はウクライナの国家産業」という台詞が出てくるが、「一度だけ」で済むはずがないだろうという不安が観る者に広がっていく。彼の請け負った仕事は禁制品をルーマニアに密輸することだ。中身は示されないが10個ほどの段ボール箱が、馬が引く荷車から途中で下ろされる。彼と弟、知り合いの若者2人の4人が興奮剤を飲み、重い段ボール箱を積み上げて背負い、森の中を走る。木々の間を黒装束で必死に走る4人の姿が積荷を背負って走る忍者のようで、ちょっと可笑しい。
 森の中の国境には柵もなく、いつの間にルーマニア領に入っていたという感じで、あらかじめ小さな石塔の陰に準備されていた携帯電話と現金をレオニードは受け取る。同行の若者が「ああ、ここはユーロ圏なんだ。僕は初めてユーロ圏に来た」と感激するのが意味深い。国境とは物理的にはかくも簡単に越えてしまい得る一方、法的には実に面倒な壁が立ち塞がる。この落差がずしりと観るものの心に響く。
 密輸に成功したものの、その地域を取り仕切る裏社会の親分を無視したその行為は親分の反感を買い、レオニードは売上金を巻き上げられただけでなく脅されて新たな密輸を強制される。その親分は政府の環境大臣でもあるが、この地域に移り住んで来て、警察とも繋がり絶大な勢力を誇る。このような親分の存在はどの社会にもあるはずだが、聖なる祭りとしてのカーニバルのレスリング試合で無敵であったレオニードを試合でも打ち負かして、そのコミュニティでの「俗」ばかりでなく「聖」の領域でも、その親分は勝利を収めようとしている。
 題名のパムフィールとは「石」のことで、肉体的にも精神的にも人並外れて強靭なレオニードのあだ名であると手下から親分に説明される。その「石」は腐敗した体制に必死で挑みながらその手段が密輸という非合法なため、彼の運命は破滅に向かって行く。密輸を取り締まる末端の警官と繋がる母の行為を知らないレオニードは母とは良い関係を保っているが、父とは敵対し、密輸に反対する敬虔な妻などの人間関係が複雑に絡まって物語を織り成していくが、根底にあるのはコミュニティを縛る因習を支えるこの地の絶望的な経済的後進性である。経済格差は富める国と貧しい国の間でますます開いて行き、それが持たざる者の暮らしと精神にどのように影響を与えるか、この映画で垣間見ることができた。

写真クレジット: Courtesy of Film at Lincoln Center

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