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金曜日のカオリ/しわくちゃのブラウスと焼きネギの豚汁

とんじる派かぶたじる派か。

急な問いに口に運ぼうとしたサンドウィッチに集中していたカオリは慌てて顔を上げる。

「え、あ、はい?」
「いやだから、とんじる派かぶたじる派か地域で呼び方違うよねって話」
「あー、自分とんじるですね」
「へえ」
「でもさ、ぶたじるの方がうまみある感じない?」

何故か、声を掛けられて新年度開始から一緒にご飯を食べるようになって2週間ちょっと。カオリは若干の疲れを感じていた。
思っていたよりも自分が一人が好きだってこと、思っていたより新人社員ってやることありそうでなさそうで気付けば毎日の研修での宿題がたくさんあること、思っていたより他人はおしゃべりが大好きってこと、そして。
最近、食事がおろそかになっていること。

プレッシャーがかかると食事を削ってしまうのはカオリの昔からの癖で、徐々に食べられるものが減っていく。今日のサンドウィッチだって見栄を張っているわけじゃない。シンプルにハムとレタスの味だけを食べたかっただけなのだ。

「(とんじる、最近作ってないなあ)」

実家の豚汁ってどんなのだっけ、と思案しながらカオリはレタス入りのサンドウィッチを食べる。みずみずしい味は心地よく、爽やかだった。

いつの間にか彼女たちの会話は同期の男子の失敗談になっていて、人っていうものはよくもこう、話すことがあるもんだなあと思いながら少し輪から外れてカオリはそれをながめていた。

「(ーーうそ)」

目を覚ますとカオリは、自室の布団の上で着の身着のままで寝ていた。
新入社員2週目を乗り切った開放感で倒れ込んだのは覚えているがまさかそこからまるっと寝るとは……と23時を過ぎた時計を眺めて自分の気付かなかった疲れに反省しながらよろよろと起きる。
おなかはすいていた。しかし晩ご飯の支度はない。帰りに買う体力がなくて、荷物を置いて一休みしてから買い物に行こうとしたところだった。

「(とんじる……)」

よろよろと起き上がって一人暮らし用の小さい冷蔵庫と向かい合うと、昨日の野菜炒めで半分使った豚バラが半パック保存されていて、あとは白ネギがある。めぼしいものはそれぐらいしかなかった。

カオリの実家の豚汁は具だくさんで、季節によって入る具材も変わっていた。夏は茄子が入って、秋口には里芋が入る、きまぐれでジャガイモが入る回もあった。ベースメンバーはにんじん、白ネギ、ごぼう、こんにゃく。そして味のパンチになるニラが仕上げにかかると妙に食欲がそそられる一杯が出来上がるのだった。ちなみに、二日目まで残ると豆腐が入ることが多かった、母曰く豆腐を入れると足が速くなるからーーだそうな。

「(なんもできてないじゃん)」

あれだけの具材をたっぷり抱えた実家の豚汁に比べて、今作れそうな豚汁は何かと思うとあまりに手持ちの武器が少なすぎてカオリは愕然とする。
ちいさい部屋に集まった家具の中には姿見もある。そこにスーツだけ辛うじてハンガーに掛けていたのが幸いしたが、フレッシャーズスーツと一緒に買ったブラウスが寝たことによってしわくちゃになっている自分がいて、ああ週末にまたクリーニングにかけなきゃと一つ課題を抱えて。

「(あーーー、あーーー、あーーー!!!!)」

カオリの小さな1Kの部屋は爆発しそうだった。
さながら、小規模惑星の爆発のように広大な熱ときらきらとした光を携えて。

だけど泣くのもずるいような気がして、カオリは小さな本棚に厳選した本の中からレシピ本を取り出す。
豚汁だけで構成されたレシピ本、というのに惹かれて大学時代に買った物で何を作ってみても美味しかったので現役で使わせて貰っている。
パラパラとページをめくると冷静さが少しずつ取り戻されていくようで、安心した。
文字は良い、どんな時でも心を静めてくれるから。

そう思いながらカオリはふとあるページで手を止める。「焼きねぎ豚汁」と書かれたレシピはその名の通り焼いた白ネギと豚肉だけで構成されている。

「(今の私のための天啓だ……!!)」

ゆっくりと小さな台所に立ったカオリはレシピ通りにことを進める。
白ネギは4-5センチの長さに切る。豚肉は5センチぐらいの幅に切る。
油を引いた鍋に白ネギを入れてしっかりと焼き目を通す。このとき思っているよりも濃いめの焼き色になるように焼くのがいい。
そこに水500mlを入れて沸いたら豚肉を入れる。
ネギがくったりしてきたところで火を止めて味噌を大さじ2と1/2を溶かし、もう一度煮立たせたら終わり。

「できた」

達成感の表れか思わず声に出た事に自分で笑ってしまって、小さな部屋の小さなテーブルにお椀に注いだ味噌汁を熱々のまま頬張る。
ネギの甘さ、豚肉の脂、味噌の風味。

「はあ……」

しみるぅ、なんて一言が自分から出るとは思わなかった。
何も出来なくても、最初の一歩が自分で踏み出せたらそれでいいや、と思い直して香りは豚汁を食べ進める。
今度は、無関心で返すんじゃなくって豚汁に何を入れるか聞いてみようか。
この前焼きネギの豚汁作ってみたかったらおいしかったんだ、疲れて帰ってもすぐ出来るんだよと言い添えてーー。

そんなことを考えて日付変更線が変わる前にカオリはふっと笑う。
空っぽのおなかのままじゃ、やっぱ何も始められないなと時間も気にせず自分が自分のために作った豚汁を堪能することにした。

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