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「"グランジ・ロックの完成"ディスク・レビュー『Bush/Sixteen Stone』」

Bushというバンドをご存じだろうか?
90年代に、洋楽ロックをリアルタイムで熱心に追いかけていた方にとっては懐かしい名前かもしれない。

90年代前半のロック史を語るうえで、グランジ・ロックを避けることは困難である。
細かい定義は様々あり、ここで詳細な説明は省略するが、大まかにはダークな雰囲気でハードなサウンドに、ややBPMを落とした重いリズムのロック・・・というのがジャンルとしての特徴である。
グランジ・ロック登場以前の80年代は、ハードロックとへヴィメタルがロックの世界で隆盛を極め、Motley CrueやWhitesnakeなどのバンドが大きな人気を得ていた。

ハード・煌びやか・ロマンティックな音楽がヒットチャートを賑わせた80年代が終わった後に、Nirvana,Pearl Jam,Soundgardenといった、グランジ・ロックの代表的なバンドたちが今度はロック・シーンのトレンドとなった。
前述したようにダークでハード。そして、どこか厭世的でニヒリズムを感じさせる歌詞は明らかに時代の潮目が変わったことを象徴していた。

その、グランジ・ロックブームが終焉(Nirvanaの中心人物であるカート・コバーンの悲劇的な最期により)したと、定義されがちな1994年に今回のディスク・レビューの対象であるBushの「Sixteen Stone」は発売された。

正直に述べて、見事なサウンド作りのアルバムである。
91年から94年にかけて、アメリカで流行した、ロックバンドのスタイルを高水準で自分たちのモノにして、完成させた。というのが、アルバムを通して聴き終えたあとのファーストインプレッションだった。
例えば、「Machinehead」という曲がアルバムに収録されているのだが、

一聴すればわかる通り、ダークで憂いをやや帯びたギターが、ハードにドライブしているグランジサウンドだ。それでいて、本国アメリカのバンド達なら意図的に残したかもしれない、ラフな音触りや遊びはあまりなく、しっかりと丁寧に曲が仕上がっている。

アルバム全体が高品質。高水準。そして、聴きやすい。
NirvanaやPearl Jam,Soundgardenといった先人達へのリスペクトも感じるし、ヴォーカルを務める、ギャヴィンの歌声は90年代前半ロックヴォーカルのお手本とでもいうべき、絶妙なテクニックに裏打ちされている。

私は先程、"本国アメリカの"という言葉をさらりと文中に差し込んでいた。
そう、Bushはアメリカのバンドではなく、イギリス出身である。
そして、「Sixteen Stone」が発売された当時、母国イギリスで最も注目を集めていたのはOasisとBlurという、今も絶大な支持を得ている2つのバンドであった。

後にブリット・ポップという言葉で表現される若手UKロックバンドたちが続々とデビューし、 グランジやオルタナとはテイストの違うサウンドを鳴らしていた時期に、Bushは海の向こうに目を向け、そのサウンドの研究と完成を見事に成し遂げた。

しかし、レベルの高いグランジ・ロックが完成しました。
というだけでこの文章は終わらない。
今回のタイトルに"グランジ・ロックの完成"という言葉を私が用いたのは、Bushがその音楽が持つ時代性や思想を不在にしても、高品質な作品を発表したという事実に重要な意味を見出したからである。

カート・コバーンという、旧来のロックスターのイメージとは違うナイーブな青年がカリスマとなり、彼自身がその精神性を(本人が望んでいたか否かはともかく)体現していたように見えたグランジ・ロックは、どうも、思想とか時代の雰囲気を重視して語られる印象がある。
X世代の社会進出や冷戦終結、クリントン政権の誕生など、変化する時代の渦中にいた若者たちの鬱屈した気持ちの代弁者であった・・・という、ナラティブをグランジは選択されがちだ。
勿論、Pearl Jamはグランジブーム終結後も、アメリカを代表するバンドの一つとして活躍中だし、Alice In Chainsもメンバーチェンジなどはあったが、今も活動を継続をしている。

大多数の共通イメージと、それに基づいた読解や理解のされ方によってブームが盛り上がり、その根幹にある原動力(時代背景や思想)が揺らいだ際にそのブームが終焉するといった従来の見方ではなく、
Nirvanaが解散した年にBushが「Sixteen Stone」発表したという、その精神性や原動力をもたらした存在の不在後に、グランジはジャンルとしては続いていくという一種の決意表明(バンドたちが意図したかはともかく)のようなこのアルバムをもって、私は"グランジ・ロックの完成"としたいのだ。

アイコンや精神的柱が不在となっても、ジャンルが続くことにより一つのジャンルとしての完成を見る。という、私の考え方には賛否があるだろう。
だが、カート・コバーンという心優しい青年にグランジ・ロック史観のクライマックスをこれまでは見出しすぎてきた。
今までに対する一種の見直しを込めて、Bushの今作をグランジ・ロックの傑作として改めて推薦したいのである。

ジョルノ・ジャズ・卓也

友人でありライターの草野虹氏と「虹卓放談」というPodcastをやっています。よろしければこちらも視聴していただければ幸いです。






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