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映画「ボクたちはみんな大人になれなかった」を観ながら1人くるったように泣いた

観に行ったきっかけは、小沢健二の天使たちのシーンが使われてると知ったから。(今年の終わりにオリジナル仕様で再発されるとの事で、とても楽しみ。)

先週ブッチャーズのドキュメンタリーを観に行った時に行った新宿の映画館でそういえば上映していたなと思い出したけれど、結局地元だと思って浦和美園のイオンで上映してんだと何も考えず予約。そして観に行った。ネットフリックスでも同時に配信されてるらしかったが何となく映画館で観たかった。予告をみてそんな予感がした。ただ電車とバスを乗り継いで行った浦和美園は東京より遠かった。サッカー観戦終わりのレッズファンで賑わう人混みに紛れて、イオンへ行った。映画を見る前にGUでソフのコラボした服を何着か買った。

そして鑑賞。

馬鹿みたいに泣いた。こんなに映画館で泣いたの久しぶりだった。鼻を啜る音は周りから聞こえなかったから泣きじゃくってたのは自分だけだったらしい。ええ…。やや恥ずかしかつた。

以下ややネタバレ。

泣くという動物的反応でやられてしまったので、あほみたいな評論感想を書くのはなんか違うとは思う。ただ、自分にとっては、刺さった。こんないい青春映画、あまり類を見ない。例えば原作者が監督もした「ウォールフラワー」とか、役者と時代がリンクしてしまった「ビフォア3部作」とか個人的に大好きな映画なんだけど、もしかしたらそれに匹敵するものがいわゆる邦画から出されるとは思わなかった。「天使たちのシーン」を、MDウォークマンからカセットカーステレオに繋いで走る高速道路のシーンとか、仕事で忙殺され原付で納品しに行く時に大声で歌うシーンとか、エモいという表現はなんか嫌だけど、そういうのがくる。断片断片の思い返せば特別になってしまった風景が、時代を徐々に遡って描かれるから「回想」という手段を用いず過去を描かれてしまった。ずるい。音楽も服装もサブカル的小道具もジュークボックスでなく街や部屋の風景や記憶の一端としてで描かれてて、変な押し付けがましさがない。全く内容は違うけど「CLANNAD/智代アフター」をある意味ではちゃんと実写化してしまったような、そんな一作ともいえる。

そうもう、なんというか、、、こういう記憶の連続という表現自体が、自分がこれまでやってきたzineのエッセイと似た匂いがあって(原作者の燃え殻氏のことも小説を出す前から当たり前のようにTwitterではフォローしてた。同じ10年代中頃に小説アップされてて動向は知ってたくせにその小説は未だ読んでなかった/さっき本屋で文庫も買ったのでやっと読める)、実風景の中のフィクションと、エモーションの起伏と明確な目的に向かうという物語ではない物語り、というのが自分の波長と合ってしまったのが困った。脳内ではこんな映画みたいな作品を作るみたいな妄想を瞬間的にしていたきがする。でもパンフで大根監督が書いてたけど、絶対こんな美しい作品は作れない。ありそうでなかった映画だと思う。

冒頭、小汚い格好の酔っ払いのおっさんふたりがゴミ捨て場にぶっ倒れる。そのシーンが時間を遡った後にまた、もう一度描かれる。冒頭シーンを初見でみた僕はきったねえしょうもねえおっさんだなぁとか思った、そんな過去の僕を100分後の僕はまじでボロ泣きしながらぶん殴りたくなる。

エンドロールは小沢健二なんだろうなと思ったら、キリンジの1人のソロプロジェクトの、馬の骨の燃え殻で、それがまた涙腺を刺しやがる。数年前に転職したばかりの時にキリンジに救われて一時期初期作品を狂った様に聴いてたのがリフレクションした。同じ頃聴いて救われたのがオザケンの天使たちのシーンだからこの映画たちが悪い(褒め)。一時期渋谷が職場だったせいで渋谷の風景も原風景のひとつとして残ってしまってるのでまた(以下略)

その日の晩飯は劇中で出たホテルで沸かした牛乳で作ったシーフードヌードルを啜った。美味かった。

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とりあえず傑作なので、映画館で見てください。(スクリーンサイズの変化もほんと素敵なのでネトフリでなく是非劇場で…)。少し前に「アイの歌声を聴かせて」て青春アニメ映画が口コミで話題になったけど、この映画も話題になって欲しいなと切実に思う。

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