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矛盾を生きるわたし(たち)

いつだって気持ちは矛盾を孕んでいる。

「わかりたい」けど「わからない」余白がないとつまらないし、「つながりたい」けど「開放されている」状態がないと息が詰まる。

「手に入れたい」と願ったものも、一度手に入れると「案外、そんなにいいものでもないな」と思うこともあるし、でも「やっぱりいらなーい」と手放してから、「あれ、、よく考えると惜しかった」と思うかも。

今の自分と過去の自分、未来の自分の価値観は少なからず違うものだろう。人との関係、天気、体調、みんな少しずつ変わってゆく。変わらずに、とどまることはできない。
その意味では、ひとくちに「自分」といっても、きっと瞬間の数だけの人格がいる。

そんなにたくさんの自分を抱えていながら、いつも「やっぱりいらなーい」と捨ててしまったあとの後悔がこわい。「わからない」を選ぶ不安、「開放」のさみしさ。

後悔って、どのくらいの確率でするだろう?ほんとに、思い切って大丈夫?だって、これをほしい人だって一定数はいるし。価値、あるのでは?失くしたら、困るのでは?などなど、「捨てきれない派」のわたしたちの声。

矛盾の二項対立。どちらがよいか?正解か?
たぶん、「よりよい方」を、「利」を得ようという方向で考えるくせがついている。
でも、それって誰の基準なのだろう。なにを得られたなら、それは「よりよい」のだろう。

考えるほどに「正解」を求めてしまう、「はみ出すのこわい」派のわたしたち。

とするならば、そのいっときずつの、ある種自分だけの直感みたいなものと、大まかに信じている方向性にしたがって少し、また少し、と選んでいくしかないのかもしれないね。

「ひとの基準に流されないぞ」派のわたしたち、ちょっとずつ、楽しい冒険を選びとっていきましょう。

読んでいただきありがとうございます。 また来てくださるとうれしいです。