芋粥の夢

どうもはじめまして透です。この前島根大学の医学部に進学しました。
今回は何を書いてもいいということなので僕の夢について書きます。


まず初めにタイトル回収をします。
死ぬまでに芋粥をお腹いっぱい食べたいと夢見ていた主人公がいました。それを友人に話したところ、友人の住んでいる街の人たちで大きな釜と芋を持ってきて芋粥を作ってくれました。主人公はあまりの芋粥の多さにびっくりして気が滅入ってしまい、芋粥を茶碗2杯しか食べられませんでした。芋粥を食べた帰り、主人公は「死ぬまでに芋粥を食べたい」という小さな夢を失って虚無感に襲われました。こんな文章を高校生のときに読んだことを覚えています。これは宇治拾遺物語見たいです。読んだのはもう半年くらい前のはずなのに、この話が僕の頭からどうしても離れません。タイトルの「芋粥の夢」とはこのお話のことです。

僕はこの話から、叶えたいんだけどいざ叶うと虚しくなるのが夢なのかなと考えました。


思えば僕にも夢がありました。「世界中の人と友達になること」です。
芋粥の夢と同じく、叶えたいんだけど叶った後にどうしたかなんて考えたことがありません。

もしかしたら夢っていうのは叶わないことが前提のもので、夢があることによって日々の生活の姿勢を正してくれるものなのかなと思っています。


今回は宇治拾遺物語から着想を得て夢について書いてみました。
短めの文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメントやいいねなどのレスポンスがあると喜びます。




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