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顆粒膜細胞腫 ①月経停止
2020年3月中旬。
世界は、日本は、未知のウイルスによって混沌を極めていた。
環境が一気に変わり、自身や家族を守るため、
日々知らないうちに心身に負荷がかかっていたと思う。
毎月必ず来ていた月経が突然止まった。
そのうち来るだろう、と思いながら気だるいPMS(月経前症候群)と一緒に生活していた。
5月になっていた。
さすがにそろそろ…と、毎年行っていた子宮頸がん検診も兼ねて婦人科へ。
「卵巣
顆粒膜細胞腫 ②紹介状とともにいざ
人生初のそこそこでかい病院への受診だった。
「なるべく早く」
を守りすぐに受診した。
婦人科の先生はとても優しく丁寧だった。
はじめまして よろしくお願い致します
をお互いに繰り返し診察が始まった。
・尿検査(一応妊娠の可能性を考えて)→もちろん陰性
・血液検査→いろんな項目をオーダーされたと思う
・子宮頸がん検診→痛くない、サーって撫でられる程度。秒で終わり。
・子宮体がん検診→人生初。
顆粒膜細胞腫 ③MRIはクラブ
初めてのMRIにやってきた。
まずはお着替え。
ヒートテック等も出来れば避けてほしいとのことで金属類はもちろん、下着も飾り等のないものが良いかと綿のおパンツに綿のカップ付きキャミ。
メガネはギリギリまでかけてました。
いざ入室しMRIとご対面。
室内には「♪スッチャッ♪スッチャッ♪スッチャッ♪」とリズミカルな爽やかなリズム音。冷却装置の音だそう。
技師さんもとても優しく丁寧。
台にエスコートし
顆粒膜細胞腫 ④すべての材料は揃った
だいたいの検査を終え、待合室で待つ。
ここまで2週間弱。
悪性だったら?
なんて言われるの?
いろんな感情が脳内を駆け巡り、段々とパニック症状が出始めていた。
それに相まってマスク文化。余計に酸欠である。
過呼吸を起こさないよう、ゆっくりと、
鼻から吸って
口からはいて、
己の心身を労るのが精一杯だった。
そのうち呼ばれた。
20分弱、もっと短かったと後から思う待ち時間。
長く長く感じる時間だ
顆粒膜細胞腫 ⑤突き落とされてからの術前説明
入院、手術が決まってからは目まぐるしく日常が過ぎていった。
小学生、幼稚園児の息子ふたりをもつ母でもあり、
コンビニで楽しく働くパート職員でもあり、
夫がいる妻でもある。
まずは職場で入院日からしばらく休みをもらうことに。
17歳女子高生の頃から出たり入ったりの私を待って頂けることになった。
コロナ禍の最中、突然休んで風評被害に合わないよう、常連客には手術するからしばらく休むことを伝えた。
頑張
顆粒膜細胞腫 ⑥コロナ禍での入院
入院日の朝。
いつものように登校準備をする長男を抱きしめた。
振り返らず、笑顔で出ていった。
不安そうに、今にも泣き出しそうな次男を抱きしめた。
絶対帰ってくるから、と言った。
病院までは実母が付き添ってくれた。
コロナ禍の入院は検温必須、付き添いはエレベーター口まで、面会禁止と厳戒態勢パレードである。
マザーズバッグとして使っていたバッグと、いつかの福袋(byしまむらさん)のデカトートを引っ提
顆粒膜細胞腫 ⑦いざ出陣…
手術当日。
開始は12時ということで、朝からお股の毛を剃ってもらい、シャワーに入り、ギリギリまで水分補給をした。
術後の血栓予防のための弾性ストッキングも履かせてもらい、術後専用室に移動した。
点滴をしたり、手術着に着替えたりであっという間に手術室へ向かう時間に。
歩いていくのかと思いきや、ベッドに寝かされたままエレベーターへ。頭がフワフワ。
着いたフロアは真っ白な壁にシルバーの扉。
開けられた
顆粒膜細胞腫 ⑧術後のはなし
次に目が覚めたら術後専用室だった。
同時にお腹にズンとした重みのような違和感。
痛くない、ただ猛烈に眠い。
酸素マスク、血圧計、心電図、パルスオキシメーター(指先で酸素はかるクリップのやつ)、尿カテーテル、傷口からのカテーテル、点滴2本。
えっ、めっちゃつながれてますやん?
なんか鳴ってる!(酸素マスクとオキシメーターが外れやすくてよく鳴ってました、気づいてからは自分ではめ直してました)
眠い
顆粒膜細胞腫 ⑨術後専用室から出る
術後2日目。
すでに「尿カテーテルを外し歩く」から出遅れていて若干焦る私。
朝食がきた。さあ今日こそ頑張って舐めるぞ…
まさかの白米におかず。普通食である。
舐めるどころか噛む必要がある。要咀嚼。
食えるわけがない…でも食べなくては…
お味噌汁を少しずつ飲む。
前日にお茶でちまちまと水分補給をしていたのと、点滴があったので尿量は異常なし。
しかしこれが大勝利の1歩となる。
味噌汁は偉大である
顆粒膜細胞腫 ⑩この名前をきいた
術後3日目。
カロナールで痛み止めしつつ、食事量も少しずつ食べられるようになってきた。
お通じは?ガスは?が挨拶みたいになり、いっこも出ないことをまた焦った。
すきっ腹にぐんぐ〇クルトを流し込み、しばらくゲリラ腸に。
開腹手術すると、しばらく腸もバグるようで、詰まって腸閉塞より全然マシやな!と思っていた。
先生と看護師さん登場。
「抜糸しまーす、傷口カテーテルもとりますね」
つまりシャワー浴OK
顆粒膜細胞腫 ⑪レアガチャひいた気分
何度も何度も検索した。
出てくるのは医学論文ばかり。
症例も転移ばかり。
え?
境界悪性なら全摘出で終わりじゃないの?
・顆粒膜細胞腫そのものが、まだ詳しくわかっていないこと
・ゆるやかな進行だが、ステージⅢ以上は予後がとても悪いこと
・卵巣破裂、術中破綻などで細胞をばらまいた場合、転移再発リスクが高いこと
・ごく稀に他臓器への転移があること
先生に話を聞き、ネットで検索しまくった結果、自分が
顆粒膜細胞腫 ⑫退院かと思いきや
術後5日6日7日目。
暇である。ヒマである。ヒマデアル。
朝6時に採血と検温、8時朝食、12時昼食、18時夕食、21時消灯
というスケジュールをこなすだけになった。
この頃から、両卵巣摘出による症状が出始めた。
まずホットフラッシュ。
ガッと熱くなり汗が出てスッと冷めて寒くなる。
さみぃよ〜
そして不眠。
手術前夜は緊張したのにガッツリ熟睡、術後5日目から細切れ睡眠になり、6日目は1時間ごとに覚