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4月になると会いたくなる人

一番古い喪失体験はいつだろう。

私はたぶん、2歳の時。

一緒に住んでいた祖父が天国へ旅立ったのだ。

もちろん、鮮明な記憶があるわけではない。

だけど、家族から繰り返し語られたその時の様子が、映像となって私の心に刻まれている。

一一一一一

一つだけはっきり覚えている祖父の記憶は、一緒にデパートに行った時のこと。

手のひらサイズのブランコのおもちゃで遊ぶ私のことを、優しい笑顔で見守ってくれた。

一一一一一

祖父は、初孫である私のことをそれは可愛がっていて、出かけるたびに連れて行き、当時父よりも一緒にいる時間が長かったという。

そんな祖父が倒れ、帰らぬ人となり、泣き喚いていた私に、祖母が声をかけた。

「今までのおじいちゃんとは今日でお別れ。でもいつもそばで見守ってくれているからね」

その言葉を聴いて、私はスッと泣き止んだそうだ。

一一一一一

祖父は、確実に私の心の中で生き続けた。

小学生の頃、短気な父とのんびりした私は折り合いが悪く、父に怒られるたびに「おじいちゃんだったらこんなこと言わないのに」と心の中で呟いて泣いた。

私が本のページを巡る仕草を見て、祖母が「おじいちゃんそっくりね」と目を細めた。ますます本を読むようになった。

中学校に入り、英語の勉強が楽しくなった。祖母が「おじいちゃんも英語が得意だったのよ」と話すのを聞いて、さらに学びたくなった。

大学入試のセンター試験の日、なぜかいつもより頭が冴えて、見たことがないような点数を取った。きっと大学に行きたかったけれど、家庭の事情で行けなかった祖父が近くにいてくれたのだと思った。

一一一一一

時は流れ、社会人4年目の春、今の夫からプロポーズされた。

桜がきれいな川沿いの道で、夫婦として共に歩んでいくことを決めた。

4月のある1日。

祖父が亡くなってから、ちょうど23年後のことだった。

私の婚約指輪には、こうして祖父の命日が刻まれることになった。

一一一一一

結婚式の日。

父は、祖父が残した言葉を引用したメッセージをくれた。

そして、大叔父は「生前、おじいちゃんから"僕の代わりに結婚式に出て欲しい"って言われていたんだよ」と声をかけてくれた。

たった2歳だった私が結婚する日のことまで想いを馳せてくれていたんだ、と胸がいっぱいになった。

一一一一一

毎年4月になると、祖父に会いたくなる。

どんな時に幸せを感じましたか。

祖母のどんなところが好きでしたか。

影響を受けたのはどんな本ですか。

眠れないほど悔しかった夜はありましたか。

もしかしたら、思うように会話が弾まないかもしれない。

私が心の中で描いていた人物像とはちょっと違うかもしれない。

それでも、会って言葉を交わしてみたい。

そして、これだけは伝えたい。

私の人生に寄り添ってくれて、ありがとう。




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