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ほっこりの言い訳。

描いているものの紹介というより、言い訳なのですが(笑)

目を伏せている天使を描くことが多いのは。

命をまるっと見守っている、包み込むようで干渉しない。
そんな存在を絵にするのに、天使の姿にしているところがあって。

なので、伏し目ですが、何もかも見られている。

例えば、小さな子供が、何がそんなに嬉しいのか、
笑いながら、クルクルと走り回っている時に。

その存在のことを感じます。

あ、私あの存在とかに、
「生かされてるなぁ」「描かされてるなぁ」
みたいな感覚。

もちろん、普段はそんなこと忘れて人間やってるわけで、
クライアントさんのご意見とか、
周りからの目を意識しているわけですが。

そして、円形の抽象画が多いのは
(納品物ではなく、インスタなどに気分でアップしているラフ)

若い頃は西洋美術史を学んだりもしたけれど、
なんだかんだ、幼い頃から自然に触れて感じ取っていた
「神羅万象」とか、「八百万の神」
といった思想に馴染みがあって、
時々、無性にそういうものが描きたくなるのかもしれません。

子供の頃、お寺さんの曼荼羅は物語の絵として、お経は音楽みたいに聞いていた影響もあると思います。

大人になって「曼荼羅」のことを忘れていた頃。
ギメ美術館(仏・パリ)に行って、
曼荼羅に再会(?)。ハッとしたことを覚えています。

専門的なことはわかりませんが
あれを見ていると・・・

うまくいく日も、いかない日も。

全部、宇宙システム・プログラムの通り、
正常に運用されております。
みたいなイメージがあります(どんなだよ?と自分でも思う、笑)

・・・

今日のクライアントさんの
「もうお手上げです」状態のお話を聞いて、
「あー、私もあったわぁ・・・」と思い出し。。

過ぎてしまえば、あの「もう無理・・・」も、
なんだか、宇宙の計画通りだった気がするのですが。
渦中は、たまったものじゃないですよね。
「すべては祝福」だと言われても、しんどいものはしんどい。

これでも若い頃は、前衛的なものとか、超絶リアルとか描いていたのですが
今はもう・・・
せめて、心が少しでもほっこりする色で、
一息ついていただけたらと、描いています。

・・・

読んでくださって、ありがとうございました。

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