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暗号文で始まる恋ってアリですか? 10

寮から出るときには、私は大阪でしばらく働くっていうことで私の親には内緒で同棲。
いわっちゃんの親には途中から公認で同棲することになった。

そう、私が寮から出たときはいわっちゃんはまだ学生で(2個目の学校)難波の近くのすごく面白い地域に部屋を借りていた。
寮ではないので何度か行ったけど、入口に管理人さんがいてスリッパで入るような面白い部屋。
とりあえず近くて安い部屋ってことで借りてた。
それも家賃がもったいないので、途中から引き払ってマンションに来た。

近かったので、自転車で引っ越し。
何度も往復。それもまた楽しかった。

2人での新しい生活。
学生のころとは違って、何でも自分たちで決めなくちゃいけない。
住むマンションも2人で見て決めた。

難波から一駅で交通の便も良く、小さいけど快適そうなマンション。
1Kのお部屋。確か6畳+3畳のキッチン。

引っ越しの日、私の親が来るっていうのでいわっちゃんがガチガチに緊張して、その夜大熱を出した。
けっこうナーバスな面もあるんだなぁとこの時に知った。
一緒にご飯を食べたけど、味がわからなかったらしい。

私の親も中学から知っている人なので、一緒に住むだろうなっていうのは薄々わかっていただろうけど。


学生のころ携帯電話が出始めた。
PHSが0円ってことで大流行。
その後携帯も0円をやっていたから、あっという間に携帯電話が広まった。

テレホーダイとかもこの頃だなぁ。
ネット環境が家庭に広がっていった時代。
最初は電話回線を使った通信なので、テレホーダイっていう時間の間にインターネットをするのが日課に。
夜11時から朝8時まで(笑)

テレホーダイの時間になると大勢の人が同じようにその時間帯につなげるので、速度はとても遅くなる。
パソコンをつけて始めるんだけど、まだ速度も遅い時代だったのでとてもゆっくり。
絵を見るのにどれだけ時間がかかったことか(笑)
文字ベースのものばかり見ていた気がする。


デジカメの時代にも突入。
パソコンのハードディスクの容量がどんどん増えていって、デジカメが普及して、デジカメはどんどんすごくなっていった。
まだ携帯のカメラの機能がなかったときだったので、デジカメが出たときには歓喜したのを覚えてる。
カシオQV10。そう、10万画素。

元々写真が苦手な私といわっちゃんは、デジカメは待ちに待ったものだった。
何度も消せるし撮れる、これがすごく重要。

どこに行くにも持ち歩いた。
携帯に続いてデジカメもとても楽しいアイテムになった。


同棲生活を本格的に始めると、色々なことが起こる。

ある時、痩せすぎてるいわっちゃんは職務質問を受けた(笑)
オウムの信者が増えていたころ、
痩せて昼間からうろうろしているいわっちゃんは不審者に見えたようで、
バックの中身をチェックされて何をやってるか質問されたらしい。


ある時は、いわっちゃんは警察のお世話になった(笑)
友達と遊びに行くっていうので、私は1人家に居た。
夜になって、いつまでたっても帰ってこない。
なんで?って思って心配してると夜遅く友達と帰ってきて、友達は怪我してた。

話を聞くと、チンピラというか何かに絡んでこられて友達がやりあったらしく…。
この友達は警察関係者に父親がいて、よく悪い事もしていたので顔がきいたみたい。そんなわけで一応事なきを得た。

やっぱり、一緒に居ないときは心配しすぎてしまう。
めちゃくちゃドキドキした。怖かった。


2人で、大阪から京都、岡山とライブを追っかけたこともあった。
こういうとき、2人とも同じ趣味っていうのは楽しい。


そういえば、イベントといえば成人式も一緒に居た。
大阪から一緒に岡山に戻って成人式に出た。
昔からの友達と一緒に。
私はやっぱり着物だったけど、いわっちゃんも着物だった。その時の写真が残っているかどうかはわからない。
髪の毛が長かったので、すごく似合ってたのを覚えてる。
写真を探してみようかな、残っていないかなぁ。


そして、私たちには切っても切れないお猫さまの話。
念願だったお猫さまを迎えたのはこの頃。
あのトムコが居たお店でプラム(通称ぷーすけ)っていうシャム風の男の子をもらってきて、そのあと何匹か迎えた。
何匹かっていうのは、このお店が非情なお店だったので、状態が悪い子たちが立て続けに亡くなって、ぷーすけも後から来た子の病気をもらってしまって亡くなってしまった。
でも、その間に強い子が1匹うちの子になって残った。

繁殖が終わって用済みのようにされていた、チンチラシルバーの女の子ムック。
ぷーすけと少しの間一緒に過ごしたムック。

ムックの名前はむくむくしてるから、ガチャピンとムックのムックから名付けた。muck。
お姫様のように育てた。
ムックがきてしばらくして、会社の往復で通る公園で次の子チビを連れて帰った。

今でもこの公園ではたくさんの猫が保護されたりしてるらしい。
当時も猫が多くチビは子猫でうろうろしていて、寒くなりかけの冬の頃、このままじゃきっと死んでしまうかもって思って捕獲。
何も怖がらずに確保できた。自転車のカゴに乗っけてマンションまで連れて帰った。
チビはサバ白の女の子。ちっちゃかったのでチビ。

チビとムックは大阪から岡山まで連れて帰った大事な大事な家族。
ここから私たちのお猫さま生活は始まった。


今でもこの頃の話をすると止まらない私たち。
時代が変化するときに一緒にいた。


そして、忘れもしない阪神淡路大震災が起こるのは次のお話で。

to be continued


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