孤独

最近、中年のひきこもりが、あの小学生無差別殺傷事件で問題視されている。
ひきこもり問題なんて、今に始まった事ではない。
けれど、世の中が何に恐怖感を抱いているのだろう?と考える。

それは、子どもが殺されたからなのだろうか?

80 50問題
それも今に始まった事ではない。
年功序列的に、誰しもがその年齢になれば、否が応でも直面させられる問題だ。

ひきこもりの人を、ひきこもりでない人たちや経験したことのない人たちは、勝手に孤独で、心に問題を抱えている、要注意人物だと思い込んでいる。

そう感じたから、記事を書こうと思った。

私は長年、自分のことを社会的に不適応な人間なのか?と自分の事を疑ってきた。
それは、必要以外に他人と関わらないのと、いわゆる『トモダチ』を作らないからだ。
子供の頃から変わり者だと言われてきた。
教師たちの評価も『他の児童との協調性がない』など言われた。

しかし、それは教師に私の置かれた境遇を理解する能力がなかったからに過ぎない。

私は大都会の真ん中で生まれた。
まだ近所付き合いの盛んな、向こう三軒両隣の文化もある、米味噌醤油の貸し借りもある、そんな地域で育った。
恵まれた環境に居た私は、近所の妬みややっかみで、何度も飲み物に漂白剤や毒を入れられて、命を狙われたりしたが、母が多くの友人知人に私の身の安全を見張って貰えるように頼んで居たようで、”いいよ” と言われた人の所以外に遊びに行かなかった。
だから、好い人も悪い人も沢山居る中で育った。

けれど、親の都合で見ず知らずの地域に引っ越すことになった。

それから自分を間違った存在かのように思わされる、地域による価値観や常識の違いや偏見と差別をずっと刺されるような思いで生きる日々になった。
それが、この教師たちの無理解を意味している。

方言のない所(それなりに方言はあるのだがないと思われているだけ)で生まれ育った私。
先ずは転校した先や町内の子どもたちに、言葉の違いでいじめられた。
家庭環境や家族構成、着るものの嗜好性の違い、何もかもを全部自分達とは違うと否定された。

ここから人懐っこい、天真爛漫だった明るい性格は、誰とも交わらない、ほとんど喋らない、心を開かない、まるで根暗で、引っ込み思案で、社会不適応のようになった。
自分らしさのまま接すれば、『なーに、それ!?』と異様な拒絶反応で、すぐに白い眼で見られ、前日まで仲良しだったのに翌日学校の門の前で『母子家庭の子は不良になるから付き合っちゃいけないって親に言われたから今日から遊べない』と言われ、複雑な家庭の子と位置付けられた。
そうして、元々一人遊びが好きだったのもあって、トモダチを作らなかった。

まるで現代とは正反対の時代に育った。
ひとり親、
クオーター、
……色々。

いまの私には沢山のツールがある。
InstagramとFacebookのアカウント以外は全部ある。
けれど、それも持ってるとは言え何なのだろう?と、この数日思った。

具合が悪くて寝込んでいる。
だからTwitterも出来ない。
LINEもあるけれど、ゲームグループの人たちとは目的以外に関わる訳がないから、交流は元からない。
家族との連絡用、それがLINEの使用目的。
その家族も忙しい、自分のことで精一杯で、ほとんど連絡がない。

寝込んでいたら、何の通知も来なくなった。
想像通り、DMと公式からの通知だけだ。

ふと、思った。
結局はSNSも常時何かしらの発信をしていないと、存在が消えてしまうんだ。
ネットなんて、所詮そういうもの。
LINEで、具合悪いとか、今日こんなことがあったとか家族に送っても、返信はない。

私が家の中で、どんな状態で過ごして居るのかなんて、誰も知らない。
誰かと関わって仲良くしていても、していなくても、他人は私を何も知らない。
ましてや、今ここは静養で滞在している祖母の故郷。
住民票を異動していないから、私はここの市民ではない。
困ったことがあっても、『申し訳ありませんが県民市民でない方は対象外なので、居住地の方へご相談して下さい』そう言われてしまう。

孤独って何でしょうか。
ひきこもりって何でしょうか。

私を気にかける人は少ない。
隣近所は、犬と二人きりで不思議な人だとよそ目に見ている。
その隣人だって、農家の本家に嫁いだ人で旦那さんは本家の次男で若くして作業中の事故で亡くなってしまい、30才後半の息子さんと母子二人暮らし。
一時はパートに出たけど、本家から『稼いでいるなら少しはこっちに回せ』と、まるで上納金のようにチクチク請求されたのが嫌で働くのを辞めたと言って、毎日これといった事もせずに未婚の息子のために食事や身の回りの世話をして、親子夫婦のような生活をして、殆ど何処にも出掛けていない。
そんな生活の人が私を『ひきこもりの変わった人』扱いで敬遠するのだ。

長年の付き合いがあってお世話になっている人は、一人で静かに生活しているんだから煩わしちゃ良くないと思って、用もないのに訪ねるのは遠慮した方が良い、とそっと見守っている状況でたまのゴミ出しや買い物で通り掛かると『出られたんだねえ、調子大丈夫?』と声を掛けてくれる。

世の中と関わる用事
それも身体が健康なら出来るのかもしれない。
お金もないと出来ない。

あらゆる相談機関が連携をして、孤独者、孤立者、ひきこもりの支援をしなければ!
そう言うけれど、それこそ大きなお世話だ。

何も出来ずに、ただ寝込んで、ただ時間を過ぎて、毎日、犬と二人だけで、
「嗚呼、今日は苦痛も少なく平和な一日だったね」
そう言って眠る。
それなのに寝ている間に突然の大発作に襲われて、医療用麻薬で痛みを堪えて一日を過ごすしかない。

世間が考えているほど、単純な問題ではない。
ひきこもりたくて、籠っている訳じゃない。
一人で居たくて居る訳じゃない。
こうして居るより仕方がないから。

SNSでもネットでも、リアルな世間でも、家族でも、
誰かを気にかけなくなれば、その人の存在が消えてしまう。

今年の8月に携帯会社の2年縛りから解放される。
それでタブレットを解約してしまおう。
仕事で外で使えるパソコン代わりに持っていただけ。
入院した時にパソコン代わりに持っていただけ。

誰とも繋がって居ないのなら、高い契約金で持っていても勿体ないだけ。

こんな記事を書けば、ただの陰キャラ、メンヘラが書いてる愚痴だと思われるだけでしょう。

私が伝えたいことは、自分たちがしている、誰かがしている仲良しゴッコが出来て居ないと、その人は不適応とするのは間違いということ。
最近知ったのだが、私みたいに必要最低限の人間関係しか持たない人間を、
ソリタリーと言うらしい。

ソロを優先する人

その通り。
人に偏見や差別、誤解をされながら、批判を受けながら、不自由な環境に敢えて適応しようなんて思わない。

人の人生や家庭環境の価値観を計れる物差しなんてないのだから。

飽和状態になると必ず現れる
第二の宅間や第二の宮崎、第二のオウム、、、

報道も『今日もまた高齢者が子供の列に自動車事故‼️』と言ってばかりだけど、事故なんて探せば毎日何処かで起きている。
ワースト1の愛知県なんか、報道もしきれないくらい。
ワアワアとうるさい。

こうして、誰からも知られず生きている人間がここに居る。
だからと言って、孤独な訳でもひきこもりな訳でもない。

成ってみなきゃ分からないのが人間。

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