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自問自答しながら進む

「私って、この場所に必要なのかしら。」
「私は誰かに必要とされたい。」

そんなセリフ、よく聞くし、私もよく言いがち。
差別するわけではないが、このセリフは特に女性に多い気がする。
このセリフを違う表現で言い換えてみよう。

「私は誰かの役に立ちたい」
「私は誰かの役に立てる人間である」


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ボクモクという任意の団体を立ち上げて5年の月日が経った。耳障りの良い簡潔な言葉で端的に説明すると、”安く買い叩かれがちな癖のある虫食いの木材に光をあてて、世の中に受け入れてもらうことで山を守る”、という取り組みである。取り組んでいる中で私はずーっと冒頭の疑問を抱きながら関わってきた。山、というとても壮大でびくとも動きそうにない課題と向き合っていると無力感に苛まれたり、また横でどんどん頑張るメンバーたちに引け目を感じたりするものだ。そしてそれが一周回ると、私がやらなくても誰かがやればいい。っていういじけた感情のループにハマる。

発起人でありながら、ボクモクに私は必要なのかしら?、という発言はいかがなものかと思うが、でもこの疑問って、面白い。きっとこの疑問を私に抱かせる原因や問題がこのプロジェクトを取り巻く環境に必ず存在するはずだから。そしてその環境に注目することこそ、このプロジェクトを持続可能にする鍵があるはずだ。


そもそも、私の中に冒頭の疑問がなければ、林業の頭の痛い問題とされてきた虫食いの木材に光を当てたいと思ったであろうか?またその取り組みに情熱を燃やしたり感情移入できたであろうか?

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結論を言うと、一筋縄ではいかない問題と向き合うときに限って、自分が、自分の力をもっとも必要とするのではなかろうか。他でもなく、自分が自分の力を求めているのである。もうはっきり言ってしまおう。私は、地域貢献でもなきゃ世のため人のためでもなく、他でもなく私のためにこれをやろうとしている。私は私の活躍の場を作ろうとしているし、私を有効活用したいのだ。虫食いの木材に自分を重ねているのだ。そしてその木材が注目を浴び、活用されるということは、私がここにいて良い理由づけになり得るはずだし、私が必要とされるという証明になるのだ。


そして、なぜこんなことを考えているかというと、今日はNHKのわびたびという番組の撮影収録を受けたからだ。そして、中野さんという熱いディレクターさんと事前に電話でお話をしたからだ。

中野さんは、山や木材と全く関係のないデザイナーの私がこのプロジェクトに関わるのはなぜか、という疑問を掘り下げてくれた初めてのメディアであった。またそれを面白いと言ってくださった。取材などを受けることは多いけれども、この私の存在を掘り下げる記者や取材は今までなかったような気がする。自分のためにやっていることではあるが、初めて報われたような気がしたのも事実である。

地域のため、山を守るため、SDGs。耳障りの良い言葉に無責任な絵空事。それでもその絵空事を堂々と掲げて地道な取り組みを続けていかなくてはならない現状。コロナで失業者が増えたり、光が見えないどん底に突き落とされている人々が見るメディアである。だからこそ、本当の本当は、どうなのか、を伝えて開示していく必要性を感じたりもする。あの人たちは頑張っていてすごいな、えらいね、良い話だね、頑張ってね、でも自分は無理だ。自分には重すぎる。で終わったら意味がない。

そして冒頭の疑問を抱く理由は、ここにある気がしてならない。ボクモクの取り組みは理屈もストーリーもわかるし、美しい絵だ。いかにもメディアが好きそうなコンテンツだ。でもそれだけじゃない現状だってあるので、そこを開示しながら、自問自答しながら突き進むことが大切なのだ。特に、このプロジェクトが成功するかどうかは、そこに鍵がある。


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