然後、無法成爲“無”在無明中彷徨歪曲的肉體工藝品
とりあえず食べて、少し寝て、それから何も考えない。
現実が何もかもうまくいってないことなんて考えない。全部見ないようにして、漫画や自意識のことだけ夢想していれば、世界も時間もただ過ぎて行ってくれる。
水上由岐の価値観には抵抗があっても、水上行人や直哉の言葉はなんとなく受け入れられる。考えて生きてくような価値なんてどこにもない。意味も理由もいらない。他人も自分も尊ばなければ楽だ。
毎日、永遠にそう思い続けていられるほど、日常は優しくないし、悟れる強さも持ち合わせていない。だから簡単に増悪する。
「ヒッキーってちょっと社会復帰するとすぐに調子に乗って躁転するよね。でもすぐ反動が来て前より酷いひきこもりに転落するの。」
社会が嫌いで、自分が無能だったことを思い出した時に、MOROHAが聴きたいなあと思った。単に自傷まがいの慰めを得たいがためだけに。ていうかこれって死にたいだなあと思いました。忘れていただけだった。何も無かったから、ただ少しの間、忘れていただけだった。
何のことは無い。
負けないように枯れないように笑って咲く花のような生き方なんて、したこともない。
晝夜之間時間停止沒有終結永遠的日暮之時。
嫌すぎてもう、まねきねこに行った。
かまってちゃんの歌って泣きゲーみたいだな。人は誰かに必要とされて初めて人に成れると聞きました。その時ぼくは「死にたいな」と思いました。💢😡薄っぺらい目的論じゃ生まれた理由を肯定しようが無いと知りました。意味ないな💢😡。こんな人生何も意味無いな💢😡。おわりっ!(らーめん再遊記のグルタのモデルってSUSURUで合ってんのかな?)
そのせいで疲れて帰って、月末だからホーリーランド読まなきゃを思い出して、5巻まで10巻まで読んだら、相変わらず強烈にかっこいい漫画だったから、また何かが嫌になった。
僕は多分、神代ユウになりたかったから。
よく見たら作者がベルセルクの代理の人だった。そう思って見たら所々ノリが似てる気もした。
ただ、ヒロインに存在感が出てきて女絡みの話が始まったのは言わんとすることは多分分かるけど、それどうしても入れなきゃダメかな? 10巻まで読んで、世界観として正直純度が落ちるだろというのは思った。まるでパックが常時栗パックになってきた時みたいな……。
クズそのものの態度ばかり取って、他にいない友達(元からそんなレベルに達していなかったにしろ)の可能性を何度も無くしたのを思い出した。
ホーリーランドを読んで、昔不良がテーマの小説を書いたけどあの時マジで何も考えずに書いてたな、笑える……。スニーカーが汚れてないのも夜出歩いたことないのもまともに他人と関わった事ないのもあからさまで、あまりの解像度の低さにホーリーランド参考にして書き直したくなってくるけど、もう自分の中でも完全に終わった物語だから、今更どうにかできるようなこともない。とはいえ今書き直したら十万字行けるかなとか思ってしまう。でも実際は何も考えていなかったからこそあの時は書けただけに過ぎないこと。それ相応の出力にしかならなかったのも当たり前だということ。
昔作った短歌の、後ろ向きな……そんな事言ったかな、完全に忘れてた。思い出してきた気もする。でもなんなら今の今まで前向きな意味だと思ってたかもしれない。それくらい何の意味もなく、何の理由もなく、脊髄で何かを書こうとしていたらしい。脊髄でって言うとなんかかっこいい感じになるが、何の学びも計画性もなく、借り物の1を1.1にするか0.1にするか、あるいは1+1を1.1にするか0.1にするか、昔からそんなようなことしかできなかった。エロゲーで言うなら、『生まれたての赤ん坊の首をどうのこうの』の下りを事あるごとに繰り返しているようなものだろう。
呂布カルマさんが言っていた。凡人がしけた生活を何のひねりも無くラップして、チケット代取ってたら客なんか来るわけないんだ。不可思議ワンダーボーイが言っていた。リアルだとかオリジナルだとかほざいてるMCには絶対負けない。ストーリー一つも作れないような言葉に遊ばれるMCには負けない。完全に同意。物語を描けないのなら、創作とは言えない。昔からそう思いながら一応小説も詩も書いてきた。単純に私小説を書くようになったら終わりみたいな見解をどこかで見たからの脅迫かもしれない。だからしけた生活を何のひねりも無く嫌いな短歌(嫌いな連中が書いてる、嫌いな短歌)の形にして出すことしかできないのも嫌だし、信念曲げまくりだし、それを自分の創作アカウントでは見せたくないから宣伝しないで隠れて出してんのもみっともないし、でもいいんだ。もういいんだ。どうせそれしか書けないのなら。noteでそのまま捨てる予定だったのを、良いって言われたこともあったから、まあこれはこれで有りかと思った。もういいんだは魔法の言葉に聴こえた。全部許されるし、どうでもよくなる気がする。まあそれは単なる勘違いで、現実の生活の中ではもういいんだで放棄できることなんて一つだって無いけど。
あくまで自分個人にとって、6月の良かったことと言えば、NIKKEのメインスト完走したことと、短歌を一応応募できたこととそれに優しい感想を書いてもらえたこと、本当にそれだけだった。
また一年も終わる。常人並みに働けもしなければ掃除もできずに、野菜ジュースを飲んで、一生眠い。半日寝てる凡人は悲惨らしい。本も映画も、買ったゲームも、冬アニメも春アニメも一個も見てないし、手帳を作るのも2月半ばで止ったし、twitterも見れないし、いいねがなくなったから最早あの場所へのモチベーション自体ほとんどゼロで、呪術廻戦は休みで、少女終末旅行は感動できないのに画力と創造性と教養ばかり見せつけてくるから腹が立つし、世界も日本ももう終わってるし金もないし、絵も一枚も描けず漫画も少しも進まず、マンダラチャートに書いたネームの目標完成日をまた書き換え、詩の一つさえも書けなかった。他に考えたこと、ラーメンの芹沢さんの原田の話が好きな終わらせ方だったとか、青い春の誰か俺をこの檻から出してくれって台詞を思い出したとかね、亮介君は大島君に教えてあげなくちゃなんて思ったかもしれない。
MOROHAでこんな歌詞があった。今すぐプレーヤーの停止ボタンを押して、お前はお前のやるべき事をやれ。音楽の中に答えはない。音楽は誰の明日にもなれない。
TikTokでバズった鬼最低なMOROHAはこう歌った。もうスパチャするしか生きる価値はねえ。借金してでも投げ銭しろ。ソレが出来ねえなら働け無能。ソレが無理なら潔く身を投げろ。もういややこんな人生wwww
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