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早朝、家の畑を見て「おっ、白ナスがあと少しで採れるな」とか「トマトが食べ頃になって来たな」とか、朝からそんな事を思える環境がたまらなく好きだ。 それらの野菜がその晩の夕飯になると思えばこそ、1分でも早く仕事を終えるように段取りするし(もちろん家族との大切な時間を過ごすためなのは大前提)、週末に照準を合わせれば、どんな風に料理してやろうか?と想像をめぐらせる。 夏になると、食卓をできる限り家の畑のものや、地元のもので埋め尽くしてみたくなる。 でも、こうやってチャレンジ
先日、シゴトで撮影の為の料理を作った。専属カメラマンなんていないから自分で撮るのだが、あらかじめそうわかっていると、自分のカメラの腕に合わせて料理をアレンジすれば良いから、写真はいつも比較的上手に撮れる。更に言えば、そのあとの紙面編集やレイアウトも自分でやるから、すべてをココから逆算する。 こうすると、まさに「あつらえ向き」な料理と写真が出来る。 と、まぁ、ここまでの話は実はどうでも良い話で、そもそもこの記事自体が結果的にどうでもよくなってしまうのだけれど、下の写真に写って
42年も生きていると、追えば追うほど…、思えば思うほど…離れていくという経験は少なからずある。 それが人なら諦めもつくのだけれど、美味しい料理となると、そのショックはボディブローのように後々まで、効いてくるから不思議だ。 どういうわけか、ここ5年の間に、僕の行きつけのお店が立て続けに3つほど無くなった。どれも、かるく我が家の台所を兼ねているお店だったからショックは大きい…。 しかも、店主がお亡くなりになったりして、もう二度と食べられないのか…?と思うとかなりら辛いものがあ
記念すべき第一回のノートで書いた「ツンツンおばさんの話」。今日、出張帰りに久しぶりに立ち寄ってみた。 …この話は、前に書いた「ツンツンおばさんの話」を読まないことには理解できないと思うので、時間のある方は、まずは前の記事を上のリンクから読んでみて下さい… 何しろ前回アップした記事以来の事だから、文字に起こしてみて本当に恋しちゃってんじゃないだろうか?とドキドキしながらお店のドアを開けたのだけれど…アレ?ツンツンがいない? コレは一大事である。 こんなことは初めてなのだ。