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201012 しにかけた話。


ところでこの前、本気で死を覚悟したんですよ。
雨の夜に高速道路を運転していて、単独事故を起こしたときに。

左へ車線変更をしようと思って、スリップかパンクかをして、「これは死ぬな」と思った瞬間左の壁にぶつかり、「ひとりでよかった」と思いながら壁を擦りながら進み、アクセルをベタ踏みしたまま慌てて右にハンドルをきり、馬鹿みたいに車の往来する4車線を奇跡的に横切っている途中にハザードをたき、ブレーキの存在を思い出し、減速したものの右の壁にぶつかって止まったんですけど。

長々と書いたけど、マリオカートが絶望的に下手な人間を見たことありますか?あれです。

体感1分間くらい呆然としたあと、ぶるぶる震える手で上司に電話をかけて、発煙筒を付けて道路に放ち、警察に電話をかけ、保険の代理店に電話をかけ、保険の会社から電話が入り、保険の会社の系列会社から保険内容とレッカー車の連絡を受け、パンクしたまま時速10㎞で一般道に降りて、またたくさん電話をして、運転席で三角座りしてレッカーを待ってた。体感1時間、実際はここまで3時間。
車は大破し、運転していた私は無傷だった。うそ、小指の爪が割れた。
タイヤはパンクし、ヘッドライトはつぶれ、助手席側の扉はひずんで少しあいたままになっていた。隙間から雨が降りこんで、寒かった。


各会社からの電話が鳴りやみ、各種の手続きを会社に引き継いで、ようやく気持ちが落ち着いてきたのでまとめておこうと思って。
なぜなら、ここは走馬灯置き場だから。

走馬灯って、わりと誰のことも思い出さないんだなと思った。
アクセルからブレーキに足を移すときに、教習所で見たインタビューを思い出した。
旦那が歩道に乗り上げ女学生を壁と車で挟んだまま、奥さんがブレーキって叫ぶまでアクセルベタ踏みしていたという事故。女学生の父親が「娘は息絶えるまでずっと叫んでいたらしい、すぐに離れて救命措置をしていれば」って言っていた。あれかあ、と思った。
他人を巻き込まなくてよかった、とも思った。

右車線に停車していたのに車の左側が大破していたので、警察も高速道路の人も話が通じず説明に時間がかかった。
話した人全員から「本当に怪我が無くてよかったですね」と言われたけど、全員が真顔だった。もしかして私は本当はあの日に死んでいて、あれ以降都合よく夢を見ているけど気を使った心配の表情を見たことが無いから”心配している顔”の再現が出来ていないのでは?と思うくらい全員真顔だった。

保険の会社から連絡が来たとき、代理店からの連絡内容の確認のあと、ガードレールなどの安否を問われて、高速道路なのでコンクリートの壁でしたと答え、その次に「えっ、ああ。お怪我はありませんか」と聞かれたので、確かに、物損事故となると話が変わるし損害賠償絡んでくるもんね、受け答えがはっきりしてる人間よりガードレールのほうが大切よね、対応も雑になるよね、忙しい金曜の夜に事故起こしてすみませんね、と思いながら「怪我はありません」と答えた。
さっきまで本気で死ぬと思って覚悟してた人間でも、嫌みなことを考えられるんだな、と思ってちょっと笑った。

雨の日にすみません、金曜の夜にすみません、よろしくお願いします、すみません、って言ってレッカーの担当の方に車を任せたあとその場を離れて気づいたんだけど、濡れた歩道に車のライトが反射するのがまぶしくて、道行く人の声がやけにうるさく感じて、頭は熱いのにやたらと寒かった。神経が過敏になっているんだろうなと思って無音のイヤホンを耳に突っ込んで一駅分歩いた。

帰ったところで全く眠れなくて、でも寒いのでシャワーを浴びてカイロを首にあてて毛布にくるまってスマホで映画を流していた。
うとうとしていても、3人称視点で事故を見たり、ピンボールのゲームのイメージがずっと流れたり、外で大きい音が鳴るたびに飛び起きたりしていたので、あまり寝た感じが無かったな。

こんなにわかりやすく死に直面したのは、記憶では幼稚園生くらいの頃が最後だったけど、その時はジャングルジムのてっぺんから落ちてあの網の中心でひとり倒れていただけなので、なるほど大人になると周りを巻き込んで煩く死ぬ可能性が爆上がるんだな、と納得した。
大人に気付かれず、落ち着いてから自分で這いずって外に出るしか無かったのがなつかしい。子供は静かに死ぬというのは本当。


そういえば、ふと夜中に部屋を見渡して、「いい部屋だな」と思った。
部屋に住めていて、水も電気も引かれていて、食事に困ることもなく、こうして毛布にくるまっているなら、それは完全な幸福なのでは?と思った。26にして足るを知る。いいことだな。

でもまだ何となく、なんとなくだけど、今すぐにでも死にそうな予感がしているので、もう少し様子を見たいと思う。



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