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イベント『兵庫県民歌の誕生』5月3日(水・祝)開催

 5月3日(水・祝)の14時から15時30分に伊丹市立図書館本館でイベント兵庫県民歌の誕生 -関西初の県民歌と作詞者・野口猛-』を開催します。

イベント概要

 2017年が『兵庫県民歌』の制定70周年に当たることを記念し、この『県民歌』が誕生に至るまでの経緯と制定後にたどった数奇な運命を紹介すると共に『県民歌』の作詞者であり晩年を伊丹市で過ごされた野口猛さん(1906~1972)の生涯と事績を次男の野口富也さんに語っていただきます。
 残念ながら今回のイベントでは(主に人的リソースの問題が解決に至っていないため)復活演奏はありませんが、主催者側では将来的な復活演奏実施の端緒とすることを視野に入れてこのイベントを企画しております。

日時:2017年5月3日(水・祝)14時00分~15時30分
場所:伊丹市立図書館本館 ことば蔵
   664-0895 兵庫県伊丹市宮ノ前3-7-4
   TEL: (072)784-8170 交流・貸室担当
参加費用:無料
事前申込:不要

 野口猛さんの遺稿集『ひつじぐさ』をKindle Digital Publishingで発売中。収益はイベントの経費を始め『兵庫県民歌』の認知度向上を目的とした活動に充当します。

イベント開催までの経緯

 筆者が2014年の夏に信時潔(1887~1965)の作品リストから県が「存在しない」と主張しているはずの『兵庫県民歌』なる表題の作品を発見し、9月には芦屋市立美術博物館で審査委員を務めた富田砕花の旧蔵資料が現在も保管されていること、この『県民歌』が僭称ではなく公選初代知事の岸田幸雄(1893〜1987)が提唱して近畿地方で初めて制定された楽曲であることを突き止めたのが発端となります。

 その後も当時寄稿していたニュースサイトやnoteで調査経過について逐一記述して行った結果、次第に「これまで存在しないと考えられていた県民歌が1947年に制定され、何かしらの理由で県の歴史から抹消されているらしい」と言う認識が少しずつながら共有されて来たように思えます。

 しかも、作詞者である野口猛さんのご遺族がたまたま筆者の近所にお住まいで、野口さん自身も伊丹市で晩年を過ごされていたことがわかったので「伊丹市にゆかりの人物を紹介する」と言う形で図書館の発行物に寄稿が実現し、その成果を元手に図書館の「市民提案」として今回のイベントを開催する運びとなりました。

 タイトルはいくつか候補があったのですが「知っていますか」だと(それこそ100人中99人が歌える『信濃の国』とは正反対に)知らないのが当然、ごく稀に歌ったことがある人がいても70代後半から80代以上と言う実情を考えると後ろ向きに感じたので、開催日が5月3日(憲法記念日かつ野口さんの45回目の命日)に決まった段階で「この楽曲は70年前のこの日に初めて演奏された」と言う趣旨を込めて「県民歌の誕生」とした次第です。

今後の展開と構想

 筆者も野口さんのご遺族も「『兵庫県民歌』を正式に復活させるべきだ」と言う要求を県に対して行うことは、現状では考えておりません。この楽曲が現在の県の象徴としてふさわしいかどうかは幅広い議論を経て決められるべきであり、その結果が「現代にふさわしい楽曲(2006年の国体で演奏された『ふるさと兵庫』か、それとも全く新規の曲)へ代替わりさせる」となった場合、得られた結論を尊重すべきであると考えています。
 しかし、県が1947年制定の県民歌を「廃止した」と言うでもなく初めから存在しないもの同然の扱いを少なくとも半世紀にわたって続けていることに対しては「直ちに誤りを認めて訂正し故人の名誉回復を図るべきである」と考えており、それは「県民歌の復活か代替わりか」以上に優先して議論されるべき懸案であると認識しています。

 たぶんこの楽曲が気に入らない人は(『兵庫県民歌』と同じ信時潔の作曲で、同日に東京で初演奏された『われらの日本』に対する散々な酷評を見ても容易に察しが付くように)大勢いるでしょう。しかし、他県で戦前に制定された県民歌には「軍国主義礼賛」を理由に占領下で演奏を禁止されたものがいくつもありますが、その楽曲が制定されたと言う事実は制定趣旨から見て対極の存在とも言える『兵庫県民歌』のように“抹消”などされていません。「憲法」は『新潟県民歌』でも歌われているし「建設」や「復興」は同時期に制定された宮城県の『輝く郷土』や『鹿児島県民の歌』にも色濃く反映されています。
 それらの共通項を持つ他県の楽曲が頻度の差はあれど今なお歌い継がれている事実がある以上、最低でも同じ土俵に並べて議論するための土台作りを今後も継続する必要性を日増しに強く感じています。

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