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菊池泰啓さん「つながる場としての寺ーお寺には周回遅れの一等賞が一杯!」

大分市下宗方にある日蓮宗・妙瑞寺住職の菊池泰啓さん。「血縁から結縁へ」をテーマに、宗教活動にとどまらず多くの人々が集う開かれた寺づくりをされています。長い間、大分県内における葬送・供養の市民活動を牽引されており、2012年の第1回「おおいた終活フェア」にもご参画いただいています。今回は「つながる場としての寺」というタイトルで葬送現場のリアルを発信していただきました!

「つながる場としての寺」をテーマにお話しさせていただきます。
最初に「BunGO!発信コレジオ」統括編集の茶屋元崇喜さんからご案内をいただいて、この度新しい試みのことを聞きました。
「BunGO!発信コレジオ」という学びや情報交換の場を通し、ここから新しい動きを生み出していく緒につけたいという話でした。

どのような形になるのかは、これから作っていくようになると思いますが「とりあえず始めてみる」ということで第0回の案内をいただきました。
今日は少しでも協力できればとお話しさせていただきます。

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「お寺にはお檀家さんはいない」

私は菊池泰啓と申します。
大分市の下宗方。いま、わさだタウンがあるところの近くの妙瑞寺というお寺の住職をしています。
私で25代目で、小さいお堂なのですが歴史だけはあるようなところです。
豊後大野市三重町のお寺の子として生まれて、現在の妙瑞寺と血縁関係はありませんが、葬送をテーマをした市民団体をNPO法人「これからの葬送を考える会九州」の理事・事務局として活動しています。

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また、お寺とは別に豊後大野市にある大分少年院の教誨師・篤志面接員として少年院に入っている少年たちとお話したり個別に面談したりしています。
今のお寺には平成元年、今から33年前に入寺しました。
小さな木に囲まれたようなお寺だったんですが、当初、「お寺にはお檀家さんはいない」と言われていました。
しかし、やっぱり歴史があるとずっとお寺を守ってきてくださった人たちがいました。

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私が入る前に後継者がいないんだったら近くのお寺と合併しようかというお話も出てきたそうなんです。
そのような状況の中、入寺させていただきました。
お寺というのは個人の所有ではありません。
教団の財産になりますので、教団の方から派遣されている形です。
三重町のお寺もありましたが父も健在だったので大分のお寺に入りました。
当時は他のお寺と合併しようかというようなお寺なので、まずは活動の基盤が安定するようにしなければいけませんでした。

いま、コンビニの数が55,000って言われるんですが、お寺っていうのは77,000あると言われています。
郵便局でも簡易郵便局を含めても23,000ほど。
お寺ははるかに多い数があるが、後継者がいない、住職の高齢化で活動停滞しているお寺をたくさん抱えている。
これから、どのようにお寺を整備していくのか。
あるいは、活性化していくのか。
大きな課題になっています。

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私も妙瑞寺に入って名簿を整理したら50軒くらいの方がいらっしゃいました。
そういう方々と様々な儀礼であったり、活動をしていました。
数少ない昔から支えてくださった方とはとても親しくなって、お寺のことで協力をしてくれるのですが、新規の人たちとはなかなか繋がることができませんでした。
妙瑞寺の近くには大きなショッピングモールがあり、周囲にはベッドタウンがいっぱいあるわけですよね。
そういう人たちとの接点がなかなかできない。

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「新潟県に面白いお寺がある」

それをどうするか考えあぐねた時に、新潟県に面白いお寺があると耳にしました。
「新潟市から離れた郊外にある非常に過疎化した地域なんだけど、檀家ではない人たちもいっぱい集まってきて、イベントを行っている」
手弁当でやってきて、その時には300名くらいの人がやってきていました。
荒れた境内だが敷地だけは広くて、そこで色んなイベントが行われている。

どんなイベントが行われているのか?
住職はどんな人なんだろう?
何を考えているんだろう?

檀家さんとか今まで所属しているメンバーの方と取り組むのはどこのお寺でもあるが、外部の人たちを巻き込んでくるっていうのは、なかなかできることではない。
「そのお寺の住職に会ってみたい」と思って伺ったのが今から32年ほど前のことです。

その時のイベントは夏に行われていました。
イベントの中心に葬送の問題があった。
家族の状況がどんどん変わってきました。結婚しない人たちもいるし、一人っ子も増えてきましたし、檀家さんが女の子しかいない家では自分の代々のお墓を管理する人が将来いなくなるという相談を受けたりもしてきました。

家制度というものはとうの昔になくなっています。
しかし、お寺というのはいつまで経っても「檀家」という家の枠組みの中に基盤がある。
それがおかしいのではないか。
今の時代にあった在り方というものを考えていこうということで、色んな研究者や関心のある人たち、マスコミの人たちも一緒に関わってきて、最初は取材だったものが「これはすごく面白い。社会を変えていくかもしれない」と一緒に作り上げていく仲間になっていった。
そういう活動に参加していく中で、これは特別な手法、あるいは都市部だけの問題ではなく、日本全国どこでも有り得る問題ではないだろうか。
だったら、大分でもやった方がいいんじゃないかと考えた。
つまり、大分でも葬送の問題について考えたりとか、選択の仕方をどうすればいいのかと悩んでいる人たちはたくさんいるのではないかと思ったわけです。

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家族で守っていくお墓ではないもの

そこで、大分で平成8年に「お墓と生き方を語る会」を立ち上げ、葬送について考える市民活動を始めました。
今は「NPO法人これからの葬送を考える会九州」という団体になっていくのですが、その前身の活動です。

できれば、家を基盤とした家族で守っていくお墓ではないものを作ってみたいということで、お寺の役員さんに相談して、実現していこうとしました。
役員さんの意見としては「それは面白いことだし、いいことだ。ただ大分では利用する人が本当にいるの?」と言われました。
当時、まだ九州に永代供養墓というものがどこにもありませんでした。
都市部から情報は流れてはきているけれど、色んな人たちの意見を聞くと「地方都市でするのは時期尚早ではないか」と言われました。情報は流れてきてても「地方の人が選択するのはまだ早すぎる」と言われた訳です。

果たして、それが本当かどうかと思って色んな方に相談する中で大きなイベントを構想しました。
まずは、イベントをやってみて関心のある人が多く集まったならば寺の事業として進めようと役員さんと話し合った。

そのイベントは大分市内で葬送をテーマにした講演会でした。
講師に樋口恵子さんを招きました。それが平成9年くらいなので、介護保険制度が導入される前。当時の樋口さんは全国を飛び回っており、大変お忙しかったと思います。
樋口さん本人に「実はお墓をテーマにこのような講演をお願いしたいのですが」と依頼しました。すると、予定が詰まっている中、わざわざ調整してくれて「是非いきましょう」と快諾してくださった。
そのイベントの登壇前の雑談の際に「お寺には周回遅れの一等賞がある」と言われたことをよく覚えています。

運動会の時にトラックを「よーいどん」で走り出したときに、速い人はどんどん先をいって、遅い人はどんどん遅れていきます。
速い人の前を一番遅い人が走っているように見える。
周回遅れですがが、なぜか前を走る一等賞のように見える。
樋口さんはそれと同じように「葬送の問題というのは、人生最後の到着点にある問題ではあるけれど、実は家族の形が変わってきた中で最先端の課題になってきている」とお話しくださった。

介護保険の導入を議論して、介護の担い手が家族から社会の中でみんなでやっていくよう議論されていた時代。
実はお墓も同じことが言えるのではないかと考え、大分の講演会にお越しになったようでした。
当時の大分ではお墓をテーマにしたイベントがまだ一度もありませんでした。
そんな時に300名の会場が満席になりました。
この盛況ぶりに地方でもこのようなお墓の問題に関心のある人は多いということが分かり、開設したのが永代供養墓「安穏廟」です。

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今までのお墓は残された家族が守っていく前提の元にありましたが、必ずしも継承者がいなくても安心して運営されるお墓を作りました。

何々家先祖代々之墓というものは昔からあるように思われているが、実は家族制度が変わってきたりライフスタイルの変化によって変遷してきている。
今のように家制度がなくなって、世帯主になって、戸籍が連続しなくなった。
それに応じて、一人っ子同士は4人の親の介護をする。
それは現実的に難しいということで介護が社会化されて介護保険制度が始まったのです。

一人っ子同士の夫婦は二つの先祖をみれるかという話があります。
特に女の子しかしなかったら、結婚した時に二つの家の先祖をみないといけない。先祖の供養を託されて別の家に嫁ぐのか。そういうふうなことで非常に矛盾が多くなってきた。
家という単位ではなくて、負担をなくしたい。
生きている人の生活を無くなった伝統的な供養儀礼が圧迫するというのはどう考えても変な話です。

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そういったっ問題を解決しようと永代供養墓を作りました。
入寺した当時は鬱蒼とした樹木に囲まれていた境内も人が集まりやすいように広場にしました。
ちょうど桜が咲く頃はライトアップして近くの檀家さんが花見をしたりするようにもなりました。
お墓ができたことで合同供養祭を開設当初から20年以上毎年行っています。集まる方の多くが高齢者のため、去年と今年はコロナで法要のみしかできませんでした。
来年はできるのではないかと思っており、合同供養だけではなく講演会を検討しています。

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最初に開設された安穏廟から20年以上が経過し、契約者の世代交代が進んでいます。
その集いに来た人に「このお墓が従来のものと違って、何が変わって、何を目指したのか」をお話ししたり、公証人や遺品整理業、納棺師らのトークゲストを招いたりしています。高崎山の飼育員さんに「猿は死を認識しているのか」といった話や在宅医療の現場の話を聞いたこともあります。

お檀家の少ないお寺だったが、新しい取り組みの中でライフスタイルが変わって、様々な人たちが関わってくれるようになりました。
それならば「もっと広げていこう」と市民活動に発展していった。

僧侶として、いかに死に関わるか

今までのお坊さんは「死の現場」には立ち会ってはいた。
しかし、「死の現場」といっても「死」ではなく、「亡くなった後」に行っている。
そして、亡くなった後に到着して、色々な作法をしている。
もっと大事なのは、本当ならば、それよりも前に関わることが大事なのではないか。

例えば、死後。
亡くなった後に葬儀を行うのであれば、葬儀の意味っていうのも、もっと近づけて、「自分たちの家族が亡くなった死というものをどう受け止めていけばいいのか」。
その辺についてもう少しきちんとお話しなければいけないのではないか。
死後のこと、死、あるいは自分が余命何ヶ月と言われた時にどのように過ごすのか、家族とどういう関係性を気づいていくのか。
その辺についてもう少しお寺が関われるのではないかと考えました。

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檀家さんの中には連れ合いをなくした人たちがたくさんいます。
大切な人を亡くした後、その人達がどのように日常生活に向き直っていくのか。
日常に戻るまでだいぶ時間がかかる訳です。
その時にこそ住職というのはもっとサポートできるのではないかと考えています。

住職達でお寺というものを社会資源として活性化していこうという研究会を始めた。
2014年に研究会で国内外で視察やイベントを行っています。
その中で、台湾で臨床宗教師という方々がいることを知りました。
日本では東日本大震災で一気に家族を亡くした人たちを「どのようにサポートしていくか」という課題に直面した。
それに応えるように各宗派の宗教を超え、東北大学などで活動が始まっている。

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それよりも10年以上前に台湾では臨床宗教師という方々が既に活動していました。台湾の病院の中に入って見取りの現場で活躍しています。
ヨーロッパの方ではホスピスがあります。
イギリスから起こったもので、延命ではなく限られた時間の質を如何にサポートするのか。
キリスト教が中心だが、台湾では仏教だった。
最後の看取りに徹底して関わっていくことが確立されていました。
台湾大学附属病院の緩和ケア病棟の中には当たり前にお坊さんがいます。
家族を含めたサポートを行なっており、臨床宗教師のロゴが面白くて聴診器の中に数珠が重なったようなデザインでした。
ただ、病院にいるお坊さんではなく、「善終評価表」というもので多職種が評価するような検証も含んだ仕組みになっています。

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そのような活動を続ける中、安穏廟の後の取り組みとして、10年前に樹木葬墓地「桜葬」というものを妙瑞寺の境内につくりました。
安穏廟ができて23年くらい経つのですが、もう10年目くらいに契約で満杯になりました。
その後も問い合わせは続いていたので、お断りするだけではなく考え方をもう一歩推し進めて、「残された家族の経済的な負担も少なく運用できるお墓はできないか」と考えました。
ただ新しいお墓を作るだけではなく、家族がいなくてもきちんと安心して託せる。それを望む人たちが増えてくる。そういう人の中には自分の身辺の整理が家族に託せない人も出てきます。
今は死後事務委任契約という形で法的な資格者がサポートしているが、生前契約がお寺でもできるようになっています。
東京の団体に2年ほど生前契約のサポートに立ち会ってもらいノウハウを得ました。

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また、「なんじゃもんじゃカフェ」というお話の会をしています。これは住職は関わっていません。カフェの店主を決めて仲間の人に広がっています。
連れ合いの方を亡くした方同士や「おひとりさま」同士が何気ない会話を通して自己解決する場になっています。

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今の家族の状況は結婚しても、子供がたくさんいても、最後は夫婦二人になります。
夫婦二人で同時になくなるわけではないです。
最後は一人。
夫婦だけ、お一人になったら家族以外の手を借りないとできないことが沢山あります。
介護保険も一緒です。介護や看取りというのは福祉の現場で賄えます。
しかし、最後の現場。死者供養、埋葬、墓の維持管理は家族がやってきたから誰も問題にしてこなかった。
その家族がいない人たち、いてもアテにできない状況になってきています。
樋口さんはここの部分も一緒なんだ。「周回遅れの一等賞」とお話しされました。

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この担えなくなった葬送の部分を、いま喫緊に考えないといけなくなっています。
茶屋元さんがこの発信コレジオの中で「ウェルビーイング」を主眼にしている。
これは、体が健康、あるいは精神的な健康だけでなく社会の中で非常に充実したものにしていかなければならない。
しかし、葬送の現場はウェルビーイングではない。
住職として感じるのは死を取り巻く在り方が痩せこけている。
例えば、「お葬式の費用」「今はこれが流行りですよ」「葬儀をしないで火葬だけ」「収骨しないとお墓は不要ですよ」など葬送に関して都市部の情報がどんどん流れてくる。

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実際に残されている人の納得ができるのか。
都市部の会社から「菩提寺のない人を少しでも安くお受けしてくれないか」という営業電話がきます。
手数料目当ての紹介業なので、とことん費用を下げるコーディネートをしているようです。葬儀社や石材店にもあると聞きます。
地域の事業者は利潤追求というよりも、誠心誠意やって事業の継続性を守っています。
低費用だけに着目して未来永劫続くならそんな幸せなことはないが、結局、どこかで何かが崩れていく。
葬送の領域は見えない部分が多いから歪になってきています。

葬送の文化は地元・大分の事業者がいて、サポートする資格者がいて、発信するスキルを持った人がいます。
そういう社会資源を含めて地域で豊かにしていかないといけないのではないかと思っています。
住職ら限定されたメンバーで取り組むことも大事だが、一人のアイデアには限界があります。

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それが、いろんな人と繋がっていく中で、新しい発想を生んでいく。
あるいは「このことは自分の範疇外だったけどあの人と協力したらもっと良いものにならないかなぁ」。
お互いが相互作用になる訳です。
それが発信コレジオになるのではないかなぁと。
お互いに知らないことを広げていくネットワーキングになっていく。
大分で生活し、専門性を生かしている人たちと連携を取ることが、より良い社会環境の実現につながっていくのではないかと思います。
発信コレジオが今後どう展開されるのか非常に楽しみにしています。

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ありがとうございました。

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