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カボスひろしさん「大分を語り合いシェアすれば楽しく生きられる」

大分県産タレント(九州ローカルタレント) カボスひろしさん
お祭りやイベント司会をはじめ、テレビ・ラジオ・CMなどでお馴染みの大分県産タレント・カボスひろしさん。大分愛に溢れ、地元の話題を精力的に発信されている一方で、カボスさんご自身についてはあまり知られていないかもしれません。これまでの歩みやライフワークの原動力、今後の展開について発信いただきました!

 大分県産タレントのカボスひろしです。今日は僕自身が大分県産タレントとして17年間やってきた中で、こうすれば「より豊かに生きられるかなぁ」「なんか毎日が楽しくなるかなぁ」っていうことをお話します。

 今日のテーマは「大分を語り合い、シェアすれば楽しく生きられる」にしました。画面がドカンと出てますけれども、大分県産タレントとしての17年間を振り返りながら「伝えることの大切さ」、そして「大分で生きるという意味」についてお伝えします。

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 僕は大分県産タレントとしてお祭り・イベントの司会、メディアの出演、テレビCMなどに出演しています。また、カボスひろしのSNSでは大分県の情報を面白おかしく発信しています。さらに、大分の語り部というフリーペーパーを不定期で発行していて、編集長として編集、取材をしています。そうした取り組みを全部ひっくるめて「大分の魅力を発信する人」=「大分県産タレント」をやっています。

 そんな私が本日お伝えしたいのは、ズバリこれです。
「暮らしている大分、住んでる場所を愛して、語りあってシェアする」
より楽しく生きていくために必要なことです。私自身が17年間、大分県が大好きで「こんな良いところがあるよ」と言い続けてきました。
すると、いろんな想定外の体験やびっくりするような未来が待っていました。

マンガ+お笑い+新聞+パソコン

 では、そもそもなぜカボスひろしが誕生したのか。ビギニング、生い立ちをご説明します。1975年生まれ、現在は45歳。大分市坂ノ市出身で、実家は鶴亀海苔という老舗の海苔屋をやっていました。祖父が創業者で、坂ノ市は昔海産物がとれましたので、それを味付け海苔にしてリアカーに乗せて販売していました。父が2代目、順調にいけば、私が3代目になるのかなぁと思いながら幼少期を過ごしました。

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 そのときからずっとマンガが大好きで、人を楽しませることが大好き。みんなで一緒に楽しむことが大好きという少年時代。小中学校は坂ノ市で過ごし、お笑いが大好きで、文化祭で司会をしたり、笑わせることが喜びでした。お笑いが好きなので「お笑いと言えば大阪だ」と思い、「商人の町だから大学は大阪に生かしてほしい。家業に役立つ商売を学びたい」と嘘をついて大阪に進学しました。でも実際は本場のお笑いが見たいというのが本音でした。

 大阪の大学では新聞部で新聞を作っていました。そして、卒業を機に大分に帰ってきたら、オアシスタワーのホテルがちょうど立ち上げの時でフロントマンとして入社しました。フロント業務の中でパソコン知識が必要ということもあり専門学校に通ったりもしました。この時までに培ったマンガ・お笑い・新聞・パソコンの全てが今のカボスひろしの「伝える」という手段の糧になっています。

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 これまでの人生ほとんど大分県で過ごしています。0歳から18歳まで大分、そして大学に行った大阪の4年間と少し東京にもいました。やはり、大阪や東京から大分を見てきたからこそ、「大分は良い場所だな。大分好きだな」という大分愛が爆発しました。生まれ育っての愛着もあるし、自然豊か、温泉、食も魅力。都会は華やかだけど、若いながらも「自分が生活する場所には適さず、ずっと生活するなら大分県だ」と改めて思いました。

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 そんな私ですが、20代は2つの仕事を経験しました。ホテルマンを4年間やって、1回転職しています。その間、いろいろ経理や簿記の学校に通ったことで仕事として携わりたいと考えました。そんな折、ショッピングセンターのパークプレイス大分が開業するにあたり、会計・経理のスタッフを募集してたので、そこに応募しました。全ては将来、実家の家業を継ぐ時には役に立つなぁと考えてのことです。

思い描いていた道からの転換

 それが2005年、30歳の時。終活というか、人生を1回全てリセットするような大きな転機がありました。実家の海苔屋が倒産したのです。そして、社長を務めていたうちの父、当時66歳だったんですけど、いろいろと残務整理とかもきつかったと思うんです。この年に肺がんで亡くなってしまいました。これからどう生きていこうか。幼い頃から家業を継いで生きていくんだろうと思っていたのですが、そういう人生じゃなくなった。1回ちょっとヤケになってですね、目の前が真っ白というか、いや真っ黒だったかな。いや赤かったかな。まぁ、色はどうでもいいんですけれども。(笑)

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 そして、人生設計をやり直すときに、もうどうせなら好きなことをやろうと考えました。「好きなこと」って言っても何だろうと思ったら、正直そんなに残っていなかった。でも、やっぱり大分県が好きだ。実家も大分県の特産品をどんどん作っていた。「大分にまつわる仕事をしたい。伝えたい」ということで、30歳でカボスひろしが誕生しました。

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 なにぶん30歳からのスタート。遅れを取り戻すためにも、スタートダッシュをして、沢山の人と知り合ったり、認知度を高めるために奔走しました。それはビジネスでも同じだと思います。自らの活動を構想する中で、今まで培ったものを結集させてキャラクターを作りました。まず、ぱっと見たときにイメージカラーで認識してもらえるよう鮮やかな緑色。そして衣装も派手にしていって、前はフェルト生地だったんですけれどもスパンコールに。また、キャラクターを覚えてもらうためにはシルエットも重要です。孫悟空や鉄腕アトムの髪型みたいな感じでビジュアルインパクトをつける帽子。また、漫画と言えばですね、変な語尾をつけたりしますね。そこでカボスだけに「カボッス」「おつカボさまです」とつける。他にも「ごめりんこ、金鱗湖」、「失敬、耶馬溪」とか大分にまつわる色んな言葉を喋るキャラクターを誕生させました。よりカボスひろしを知ってもらうために、動画を自分で作って DVDを配布したりもしました。30歳からのスタートで、何もツテのないところから始めたんですけれども、「大分が好きだ」っていうのを色んな形で発信をしていって、カボスひろしの旅が始まります。

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カボスひろしの旅、ただいま3ステージ目

 カボスひろしの旅のステージは3つに分かれます。
 最初はスタートした2005年から2010年。この時に自分が好きなものを発信する一番最初の手段として、単純に周りの人に話しました。知り合いに会うたび「こうこういうことを始めようと思っている」「大分の魅力を発信しようと考えている」と伝えました。そういうキャラクターの設定を話したところ、知人の一人が「やるならどんどん発信しないと誰にも伝わらないよ」と当時はガラケーなんですけど、携帯サイトを作ってくれました。そこからイベントの出演、そしてメディア出演が色んな人に伝わって、「この人は大分好きな大分のことを伝えるキャラクターだな」っていう認知が高まり、やり始めて1年ぐらいでありがたいことにOBSのレギュラー番組とかにも呼ばれるようになりました。そんな感じで「どんどん伝えるべきだな」と考え、5年ほど活動を続けてきました。

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 さらにですね、第2フェーズの2010年からは、SNSをフル活用して発信しました。そうすると今度は発信力を買われて自治体などからの依頼が続きました。例えば、竹田市のPRをする「竹田大使」に任命されたり、全国ネット番組やCMに出演したりもしました。そんな中、全国のご当地タレントと会う機会に恵まれ、やっぱり「地域のことを好きだとか発信するっていうのは何か素晴らしいな」「皆さん充実してるな。なんか楽しいな」っていうのを再認識し、交流も広がっていきました。

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 2015年からが第3フェーズ。これはファインさんのイベントに参加させてもらったことがきっかけなんですけれども、ファインさん主催のイベント司会のときにやっぱり終活だったり、より深いことを伝えることとか、自分からみて年配の方の思いだったりに触れるのも大事だなと感じるようになりました。もっと歴史というか、時間の縦軸を大事にしたいと。子世代と親世代と祖父母世代と交流して、語ったり、ちょっと次の未来を築いていきたい。そう考えて「大分の語り部」というフリーペーパーを始めました。その取り組みを始めて知ったのですが、大分の魅力を発信してる人は実はすでに先輩がたくさんいました。吉四六話をする人、臼杵の怪談話をする人、人形作って神話を発信する人。そんな先輩方の話を聞いて、紙面で発信しています。近年では、「吉四六話を伝承する人がほとんどいなくなってる」と知って、びっくりしました。それだけでなく、吉四六話を子供たちが聞いても、大分弁が伝わらなくなっているそうです。ここでも世代間がギャップができているというのを聞きました。
 私たちが当たり前のように触れていた大分の文化が、このままだと途絶えていくのは残念です。大分の魅力を伝えるキャラクターとして郷土の民話を未来に引き継げないかということで、標準語で吉四六話を朗読するという番組を定期的にYouTubeで発信をしています。

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 あと、最近はもう一つ、宇宙港に関する情報発信に取り組んでいます。大分県といえば、2022年に大分空港が大分宇宙港になります。特別な飛行機にロケットを積んで、上空からその右ロケットを飛ばして人工衛星を飛ばすんですね。これはアジアで初めて。すごくワクワクして、このこともたくさんの人たちや子供たちにも伝えたいなと思っています。そのために、YouTubeで星の楽しみや宇宙港もあるよっていうところも定期的に発信しています。

大分をどんどんシェアしていきたい

 振り返ってみると「やはり出発点は地元・大分が好きだなぁ」「魅力を伝えたいなぁ、みんなと分かち合いたいなぁ」「せっかく同じ時代を、しかも、同じ場所で生きているのに楽しみをシェアできなかったらもったいないなぁ」とやり始めた結果、いろんな新しい未来に繋がってきました。例えば、こういう発信コレジオでお話をさせてもらったり、まさか会えるなんて思ってもいなかった綾瀬はるかさんとCMで共演したり、先日はミヤネ屋で大泉洋さんとお話をする機会がありました。伝えれば伝えるほど、いろんなチャンスや可能性が広がり、みんなとつながる。楽しくシェアできるんだなぁと実感しています。結果、僕自身がですね、やっぱり自分が住んでる町・大分・地域をもっと好きになり、どんどんシェアしたいという思いを強くしています。

 話は変わりますが皆さん臼杵煎餅ってご存知ですか?
この間この臼杵煎餅を作っている会社の5代目に会ってきました。僕は知らなかったんですけど、臼杵煎餅は1社が作ってると思っていたのですが、実は6社ぐらいが作ってるんですね。京都の生八ツ橋とか、広島のもみじ饅頭もそうですけれども、いろんな会社が作っている地域財産みたいな感じです。臼杵煎餅は後藤製菓さんがシェアを占めているそうで、その代表にお話を聞いたんですけど、煎餅は大きく2タイプあるんです。

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 さらに、聞いてびっくりしたのは歴史は400年前、江戸時代に参勤交代の保存食として作られたそうです。そんな臼杵煎餅ですが、現在も生活に適した進化を遂げています。柔らかいタイプの開発や調味料としての利用に加え、宇宙食化も目指されています。これもまたSNSとかで皆さんにシェアをさせていただいています。今日こうして発信コレジオでもお話をさせていただきましたし、これからも私自身もいろいろともっともっと好きなことをシェアしていきたいなと持っています。

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 やっぱり同じ場所、同じ時代で、生きる人々とつながり、どんどん情報をシェアしていきたい。そうすると、大分ライフがより充実できると思います。さらに、歴史ですね、吉四六話だったり、大分の文化を後世に語りつぐ、これも大分の魅力発信人としての自分の役割です。

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もちろん、皆さんにも大分を知って、シェアして、語って、もっと好きになっていただきたい。
そうすることで、日々が充実し、元気に楽しく幸せになると思います。
「そんな時間がないよ」って方は、ぜひSNSなどでカボスひろしの取り組みをご覧ください。

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以上がカボスひろし、大分県産タレント17年間の旅でした。
皆さんの幸せは、身近にあります。
大分にあります。
地域にあります。
もっと好きになっていただきたいと思っています。

どうもありがとうございました。

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