見出し画像

少しの妥協が後々自分の首を絞める

雑感。
(いつも、書こうと思っている時に、そのまま流してしまうので、書くことが溜まってきてしまう。ツイッターのほうにはちょこちょこ逐一書いているのだけど)

今頭にあること。
補助金事業は今年度で終了することにしたい。
来年度からは、もう少し肩の力を抜いて、気楽に、やりたいようにやっていこうと思う。

妥協しないで、自分の気持ちに忠実に、原点にいつも立ち返ること。

そもそも、ラメールを始めたのは、自分自身のため。人を助けるためではない。自分が暮らしやすい環境を作るなかで、同じ思いを持つ人たちとともにゆるくつながりを持ちながら暮らしていきたいという、シンプルなことだった。

信頼関係で結ばれた「友達」がベースになるネットワークを、小さく、ゆるく、でも確かに、つないでいく
私がここ数年、なかば無意識的にやってきたことはこのことだった。本当に原始的で単純なことで、「孤独や孤立をなくすために社会悪と戦う」みたいな大層な社会的活動というのではなかったと思う。

小さくて無力なようでいて、やはり一番信頼できるのは友達ネットワークであると思っている。
友達ネットワークをつないでいくのに、お金はそんなにいらない。そこにお金を絡ませようとすると、むしろ不自然なことになるのかもしれない。
これはやり方が下手だからというよりも、そもそもそうなのかもしれない。
(もちろん、ビジネス的にうまく絵を描ける人がいればその限りではないかもしれないけれど、自分にその才能があるようには思えない。)

去年の今頃も、やはり、イベントをやるのに疲れて同じようなことをつぶやいていた記憶がある。秋はそういう時期なのだろうか。
負荷を減らしに減らして今年度に臨み、それでもまだ私には負担が大きかった。
ほんの少しのことで、心が疲れてしまう。
心がどっしりとして余裕のある人と違い、そもそも「他人が怖い」「社会が怖い」が基本である自分は、他人を広く受け入れるキャパシティに乏しく、少しでも原点(自分たちの暮らしを助け合う友達ネットワーク)から外れたことが起こると、どんなにささいなことでも拒絶反応を示し、動けなくなってしまう。

直接繋がった友達か、または、私たちの活動を知って興味を持った人に来てほしい。
そもそもが、自分たちの住まいとして、自分たちを助ける場所として始めた場所なので、「支援」とか「面白い場所」を求めて来るのは、少し方向性が違っている。支援が必要なのは私自身のほうで、外からやってくる人を助けたり、楽しませたりする余裕はなく(というかそういうことは根本的にできない人間かも)、現時点では「仲間と助け合う」ので精一杯。
将来的にはもっと余裕が出てきて、外部の困っている人を助けることもできるようになるかもしれないけれど、現時点では少し難しい。

でも、「引きこもり支援」補助金を受けている以上、要請があれば、どのような人をも受け入れなくてはならない。場に来た人が、どんなにつまらなそうにしていても、場違い感を醸し出していても…
この事実に直面して、私はくずおれてしまった。
おそらく、福祉業界にいれば、そうしたことは日常茶飯事なのだと思う。紹介されて来てみたけど、思っていたのと全然違って幻滅した、という…
そういう場合でも、紹介者も紹介された団体も、「合わなかったみたいだね」ですませて、いちいち気に病んでなんていられないのだと思う。実際、引きこもりの支援団体をやっている知人はそう言っていた。

私もきっと、そういう経験を何度もすれば慣れてきて、いちいち崩れたりしなくなると思う。
でもそれは、私が「人の集まる場をやりたい」とか「誰でも立ち寄れる居場所をつくる」ことを目的として活動している場合の話であって、そもそもの原点がそれではなく、仲間うちで暮らしを助け合うことなのだから、「外からようわからん人来て、何しに来たんや、なんでそんな嫌な思いせなあかんのや」と、くずおれてしまう結果となる。

いろいろ書いてきたけど、要するに、「補助金の目的と、自分の目的がずれていた」ことが、問題の根元だった。ずれていることに目をつぶってはいけなかった。
「自分たち自身が生きづらさを抱えていたり、引きこもりの当事者だから、自分たちを助けることは、つまり引きこもり支援である」(間違ってはいない)と計画書に書いて、申請書は通ったけれど、この補助金の本質が、仲間内ではなく「外部の当事者を支援すること」であることに気づいた時点で、ゴリ押しで申請せず、立ち止まるべきだったと反省している。また、補助金というのは公費なので、基本的には仲間内で使うものではない(全部がそうではないけど)。その性質についてよく考えるべきだった。自分は物事を考えないわけではないけど、いかにも文系脳で、物事の本質とか定義から正確にとらえることを疎かにしがち(これは性格である)なので、反省である。

見て見ぬ振りをしたり妥協したりすることが、後々自分の首を締めることになる。これが、この2年でいちばん学びになったことだと思う。

とはいえ、ダメだったことばかりではない。苦しみながらも、得られたこと、結果オーライだったことはいろいろある。団体を立ち上げなかったら出会えなかった魅力ある人たちとも出会えた。意義ある取り組みだったと思っている。

さて、今年度も後半戦に入った。前半で反省したことを活かして、最後まで走り切りたいと思う。今日このように書いたけれど、3月時点ではまたまったく感想が変わっているかもしれない。前に進むのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?