コミュニティマンションにて、コロナ感染を経て

2週間ほど前、ラメールマンション1階のレストランで、6人で集まりをやったところ、そのうち私を含め4人がコロナに感染してしまった。いわゆるクラスターである…
コロナは弱毒化していると言われているとはいえ、やはり普通の風邪とは違い、熱が治っても倦怠感などの諸症状に長く悩まされた。

コミュニティづくりを進めていこうとしている中心にいる自分が、足をとられて動きが止まってしまっては元も子もない、とんだ災難だ──と思う一方で、思わぬ収穫をも得た。
私が危機的状況に陥ったことをきっかけに、コミュニティがギュッと団結する姿(私から見たら)を見ることができたのだ。

コロナ陽性が発覚したらすぐ、ラメールのLINEグループ(居住者全員ではなく、付き合いのある一部居住者のみのグループ)で、自分がコロナに感染したことを伝え、コロナが急増しているので手洗いやうがいなどをするようにと注意喚起をした。緊急時には、LINEグループが緊急連絡網になるのだ。
するとすぐ、メンバーの一人から、「買い物あれば行きますよ」と連絡があり、その他数人も、私の体調を気遣うメッセージをくれた。
ありがたい…!
(はじめに連絡をくれた居住者さんは、自身が以前に急な体調不良に陥った時に、みんなで声をかけあって窮状を脱したことがあるので、その経験から、体調不良時にどういう声かけがありがたいか了解してくれていたのかもしれない。)

他のメンバーに、体調に異常がないか確認したところ、二人から、喉の軽い痛みや咳があるとの返事。これは危ないぞ… 私が発症するまでの数日間のうちの一瞬の接触で、感染させてしまったのかもしれない…最悪の場合、マンション内で複数人が自宅療養となる可能性がある。

その場合に備えて、私はまだ体の動くうちにと思い、ウーバーイーツのコンビニで、ポカリスエットと緑茶ボトル数本(緑茶はコロナに効くらしいので)、ゼリーやヨーグルト類を素早く5000円分ほど買い込んだ。
「必要な人は持って行ってください」とラインでアナウンスすると、喉の痛みと咳を訴え始めていた隣の部屋の居住者さんが、いくつか品物を持って行った。(このように、躊躇なく他人に頼れる体制じたいも、一朝一夕でつくられるものではなく、普段からの密な助け合いの成果である。この居住者さんとは、元々友人だったことや、お互い持病があることなどから、買い物などについて、普段からよく協力しあっているのだ。)

それからはもう、ただひたすら寝て、ゼリーと飲み物のみ摂取して、回復をじっと待つ日々…
建物オーナーからも「療養中、なにかいるものあったら置いとくで」と連絡があり、感謝。

同時に感染した友人とは毎日連絡し、安否確認をし合った。彼女の存在も心強かった。
でも彼女のほうはそうでもなく、かなり心細く不安な様子…「一人で不安」「心細い」「寂しい」…
「もう少し近くに住んでいたらよかったのにね…!」「本当にね…!」
友人は、ラメールから何駅か離れたところに住んでいる。ラメールの一室で療養したらどうかと提案してみたものの、現状では宿泊料金がかかるため断念。こういう時に、お金のない人でもスッと使える場所があったらいいのに。今後の課題である…

心強さを感じている私と、心細さでいっぱいの友人の状況の違いは、「住まいのすぐ近くに頼れる人たちがいるかいないか(コミュニティがあるかどうか)」。やっぱり、具合が悪くなった時に気にかけてくれる人たちが近くに住んでいることは、大きな安心感につながっているのだと思えた。

私も数年前に、何の縁もゆかりもないところにポツンと一人暮らしをしていたことがあるけれど、心細いなんていうレベルではなく、「こんなんムリ!!」と発狂しそうになったので、「私は一人で生活していけない人間なんだ」と悟り、隣の町にあるシェアハウスに駆け込んで、以来ずっとコミュニティの中で生活している。(ちなみに一人暮らしをしたのは、その1年間のみで、その他は15年近くずっとコミュニティのあるところで暮らしている。)
上の友人も、その時の私と同じような状況にあるのだと思うと、なんとか助けたいと思うけれど、ラメールは満室だし、友人は引っ越しができない事情があるし、どうしようもない。…

そういう私も、ラメールに越してから順風満帆かというとそういうわけでもなく、時期的に不安定になったりして、心が寒く寂しくなることもあった。けれど、最近はあまりそういう気持ちにならない。(生きていること自体がつらい、ということはよく感じるけれど…)
心が寒くなっていたのはどういう時だったかと振り返ると、他の居住者さんや友人とのつながりが薄くなっていた時だったと思う。声をかけてくれた居住者さんたちも、上に書いた友人も、どの人も大事な存在なのだ。
彼らとの、ゆるい、時には密なつながりが、私を孤独感から救っている。やっぱりラメールのことをやっていてよかったんだ、と思える。

コロナ感染を経て、コミュニティで暮らすことのありがたさを噛み締める。
同時に、「ここで、何かあっても助け合っていける」ということを確認できた。今回の感染は、いわば避難訓練のようなものだ…もっと深刻な問題が起きても、彼女たちとならきっと、乗り越えていけるだろう。コミュニティとして、一歩成長したなと思える。

ラメールを始める前に、コンセプトとして一番にあげたのが「安全安心に暮らす」ということだった。企画や発表をするとか、ワイワイ人と交流する、ということ以前に、一番大切にしたいのが、一人一人が、このビルで安心して、満ち足りて暮らせる、ということ。そこで最優先したいのが、食とか、健康など、生活の一番土台にあるもの。

思いを持ち続ければ、自然とかなっていくものらしい。
1階にはシェア冷凍庫があり、その中で、レストラン・ミニネパールが住民価格(格安!)で冷凍カレーを販売してくれている。店では野菜や、漬物の販売もしてくれている。先日からマンション内でco-opの共同購入も始めて、「食」の安心が満たされてきた。食の安心は、健康にもつながっていく。
そして、「心」の安心安全。今年度から始めた、交流会の開催が、それにつながるといい。

日々は淡々と過ぎていき、その中にいると、何かやっているのか、何もやっていないのかわからなくなって、グルグルとしてくるけれど、今回のコロナのようなアクシデントをきっかけに、自分たちが以前よりずっと成長していることに気付く。淡々と歩いてきて振り返ると、ずいぶん遠くにきたことがわかるようなものか。
心の芯に思いを持ち続けながら、そんな、何ということもない日常に身を任せたり、時には流されたり、せきたてられたりしながら、過ごしていくのでいいのかもしれない。


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