YOUは何しに、この世へ?

 小学校の頃、クラスの女子の間では、誰が誰を好きだとか友達同士で打ち明け合うのが流行っていた。なにしろ、流行りなので、相手が教えてくれたらこちらも教えなければならない。しかし、私には意中の人というのがいなかった。というか、生まれてこのかた(といってもたかが十年ちょっとと、今になれば思うけれど)「好き!!」と胸ときめく人に出会ったことがなかった。

 周りを見る目が無いのか、理想が高すぎるのか分からないが、とにかく、自分はそう簡単に人を好きになるほうではないんだな、と冷静に自己分析をした私は、わきゃわきゃと好きな人トークで盛り上がる女子の友達を遠巻きに見つめながら、これはなんとかせねばならん、と思い、神社に行き神様にお願いをしたのだった。

「かみさま、どうか、ものすごく好きな人ができますように。そして、その人にフラれますように」

 今思えば、後半は、明らかに蛇足である。ヘビの足と書いて蛇足。そう、全く必要が無い、いらんもんをお願いしたのだ。
 で、結果、願いは無事に叶った。
 私は比較的、引きが強いほうなのだ。ここに書くにははばかれるぐらい、ちょっとあの人、どうなの?と眉を顰められそうな愚行に走るぐらいには盲目に恋に落ちた。そして、これまた無事に、フラれることになった。それも1回と言わず、2回、3回と。そしてそれは、当然のことながら、いろいろとつらかった。恋愛がうまくいかないときって、仕事もうまくいかないよね。だからなおのこと、見事な暗黒時代が形成された。

 そして、40歳を超えてしばらく過ぎたころ、つきものが落ちたように、もう「恋愛」は終えていいのでは?、と思える瞬間があった。自分にしてはもう十分経験したから、卒業でいいだろうと思ったら、すごく楽になったのを覚えている。

 それまでは、恋愛って何か人生経験の責務、みたいに思っていた気がする。もともとが、すぐに誰かを好きになるわけではないのに、というか、そういう感覚がないからこそ「恋愛感情」を頭で考えて過敏になっていたんじゃないだろうか。
 神頼みしちゃうぐらいに、この社会でちゃんとした人間として生きるなら、あってしかるべきもの、と考えていた。

 で、突然話は変わるけれど、何かの私の見えないアンテナに引っかかり、中島みゆきさんの曲が聞きたくなり、you tubeで、映画「糸」のプロモーションビデオの動画を見た。

 映画は、菅田将暉と小松奈々というフレッシュな(古い?)二人が互いに求め合っているのに引き離され、再会できたと思えばすれ違い・・、と何度も運命に翻弄され続ける話だ。映像では、その二人と取り巻く人々が、笑い合ったり、怒ったり、叫んだり、泣きながらカツ丼を食べたりする幾つもの短いシーンが次々と流れるなか、

「な~ぜ~ 巡り合うのかを わたしたちは
 い~つも しぃらない~」

とみゆきさんが、かの名曲を歌う。二人のつないだ手が離れ、またつながれ、でもまた離れ・・・と短いカットが何度も繰り返され、 そして、最後に、求め続けた二人がようやく・・・!、というクライマックスを迎えるシーンで、みゆきさんは曲のおわりに、何をしあわせと呼ぶか?を、教えてくれるのだった。

 この映像をしみじみ見ながら思ったのだけれど、私は地球に生まれるかどうか決めるときに、こういう映像を見せられたのではないだろうか?
 そんで、地球に行けば、こういう胸キュンな切ない気持ちを体験できるんだ、すげー!と思い、失恋気分(その他)を味わいたくて、今生こちらに生まれることにしてしまったのではなかろうか。

 だって、胸えぐられるような悲しみも、身体がバラバラになりそうな絶望も、頭が爆発しそうな恨みがましさも、きっと、映画で見たら凄く刺激的なワクワク体験に思えそうだもの。
 だから、YOUは何しに今生へ?と聞かれたら、喜怒哀楽あらゆる感情体験したくてやって来ましたぁ、って答えんだろうなぁと、思う。そんな映像だった。

 

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