2か月ぶりにバイオリンのレッスンに行った

 久しぶりに、記事を書こうと思ってページを開いたら、6周年のバッジもらった。ありがとう、note。

 昨年の年末、これまで何十回と挫折してきたシュタイナー先生の神秘学徒になる(?)修行に、私は再度、手を出し始めた。というのも、仕事の集中力が切れて、図書館内をふらふらと彷徨っているときに、本棚で燦然と輝く新しいシュタイナーの講義録シリーズを発見したのだ。その中にあった「シュタイナーの瞑想法」という本には、まさに今私に足りない何か!を与えてくれそうな瞑想法が載っていた。
(←しょっちゅう、今私に足りない何か、を外界に見つける女)

 それで喜び勇んで瞑想を初めて数日後、夜中のリビングで正体不明の物音がして、そのすぐ後に、バイオリンケースの肩ひもが、ゆらりゆらりと揺れているのを発見した。飼い犬が何かしているのではないかと、辺りを探したけれど、部屋の片隅に置いてある犬小屋代わりの段ボール箱にも入っていないし、バイオリンケースの付近にも姿は見えない。探すと、犬は別のお部屋である寝室で寝ていた。バイオリンケースを揺らした直後に走り去っていったとは思えない、丸くなり具合である。
 仕方ないので気にしないでベッドに入ることにした翌朝、起きたら腰が激しく痛くなっていた。経験したことはないけれど、いわゆるプチぎっくり腰、みたいな感じらしかった。
 
 その腰痛のおかげで、年末なのに大掃除もできず(遊んでくらし)、直前に振ってきた大量の在宅仕事もできず(椅子に座ってられないから)、当然バイオリンなんかも弾いておられず(半分サボりで)、当然バイオリンレッスンもお休みになっていた。
 でも、何十回も挫折しているシュタイナー式修行は、止めなかった。
 だって、おそらく、この腰痛は好転反応みたいなものなのだ。体の中の軸が、いつも曲がっている気がしていたのが、この時からまっすぐになった気がするのだ。その前から、シュタイナー式瞑想には、ご利益を感じていたので。

 あさ、二度寝をしたときに夢を見る。多くは、普段の雑事の考え事そのままの夢なのだけれど、たまに、体を抜け出して別の場所に行ってるなという感じの夢が現れる。
 これは!と思う、特筆すべき夢は目盛ったりもする。
 しばらく前に見た夢(?)では、巨大な積分のインテグラル文字が目の前に現れた。あと、数日前には、「私は何のために生きているのか?」というタイトルの論文の紙を見せられた。タイトルは分かったけど、中身の文章は一切読めてない。そして、今日は、天安門広場みたいな、横に長ーい大きな建物の前にいた。目覚めた時は、これは、ようやくどこかに行けたのではなかろうか?と思った。なぜなら、これまでは夢で何度も電車に乗ったりバスに乗ったり飛行場で飛行機を待っていたり、地下鉄に乗っていったり、とにかく乗り物に乗るばかりで、その先に辿り着けていなかったからなのだ。

 で、今日は久しぶりにバイオリンのレッスンに行った。そして久しぶりに、ちょっぴりだけどバイオリンらしく響きわたる音を出せた。先生の美しく胸に響く音も聴けた。仕事が忙しくて時間なくて練習不足でひどいもんだったけれど、行ってよかったなぁ、としみじみ思い、こんな下手くそでも匙を投げずに、いつもウェルカムに教えてくれる先生に感謝だなぁ、と思いながら夜道を歩いていたら、とつぜん、気づいたのだ。
 ああ、私はギフトをすでにこんなにもらっているではないか・・・、
ということに。
 じつは、再来週、クリスタルリモートビューイングのセッションをやってもらう予定がある。そこで昨夜、何のギフトをもらいに行こうかねぇ、と友達と話していた。何の能力がほしいだろうか、何個ももらっていいのだろうかとか、強欲な話を。
 でも、じつはすでにこんなに豊かなギフトを持ってる、そんな思いで胸がいっぱいになった。
 そのあとさらに、私は電車に乗った。そこで扉のガラスに映った自分の、バイオリンケースを持つ人の姿を見て、自分が、バイオリンを弾ける人(へたくそだけど)なのだと気づいた。そんな豊かな営みを生活の一部に持てている。なんと素晴らしい豊かさを手にしているのかと思い、びっくりしてしまったのだ。全然、気づいていなかったから。自分がそんなに豊かさに満ちているとは。

 こんな感じに、他にもきっとたくさんのことに気づいていないんだよな。そして、この気づいたときの胸がいっぱいな気持ちも、自分の生活が満ち足りている悦びも、きっとすぐ夜の雲の影に隠れてしまう。
 でもとにかく、今日気づいた。だから、書いておこう。
 こんなにも、両手にいっぱいギフトを抱えて生きてる、私たちは。

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