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舞台ミュージカルに出てくるヘンな表現を紹介します(『トップ・ハット』編)

こんにちは。

さて、ミュージカルってヘンな(以下全て良い意味で言ってます)演出?表現?が入ることがよくあります。まあそもそも人が突然歌ったり踊りだすこと自体が相当ヘンなわけですが。

アップルジャック:確かミュージカル嫌いだったろう?
レインボーダッシュ:まあね。だっていきなり曲が流れて歌い出すなんてヘンだと思わない? ありえないよ!

「マイリトルポニー〜トモダチは魔法〜」S4E8

レインボーダッシュもこう言ってますね。
でもミュージカル、というか舞台はそういうヘンな表現をちゃんと成立させられるのが良さであり凄みなんですよ。例えば‥‥




前置き(映画の話)

『トップ・ハット』というミュージカル映画があります。
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの名コンビによるすれ違い恋愛劇で、1935年アカデミー賞作品賞ノミネートの名作です。

この映画序盤のワンシーンに以下のようなくだりがあります。

  1. ダンサーの主人公がホテルの自室でタップダンスの練習をしている

  2. その下階にいるヒロインが音で目を覚まし、フロントに苦情の電話をかける

  3. フロントから主人公の部屋に電話があり、主人公の友人が受ける

  4. 主人公の友人が謝りに下階へ向かうが、主人公はまだダンスをしている

  5. しびれを切らしたヒロインが上階へ向かう。そのとき主人公の友人とは入れ違いになり出くわさない

  6. ヒロインが主人公と出会う


箇条書きにすると色々あるようですが、まあなんてことのない出会いのシーンです。
しかし実際に映像化するとしたらどうやって表現すればいいでしょうか? 特に下記のような要請がある場合‥‥

  • 主人公がトップダンサーであることを視覚的に表現するため、ダンスシーンは目一杯に映したい

  • ヒロインの初登場を印象的にするため、目覚めてから電話をかけて上階へ苦情を言いに行く様子はしっかり描写したい

  • 今後のすれ違いのきっかけになる重要な伏線のため、観客には一連の流れを正確に把握してもらう必要がある(省略不可)


ちょっと考えてみたんですが、意外と難しくないですか??
まず「ダンスをする主人公」と「目を覚まし苦情を言うヒロイン」は同時進行の出来事なので、話の筋を混乱させないように両方とも目一杯に描写するのは大変です。画面を割って同時に映すのは窮屈になりそうですし‥‥。
それに上階と下階の関係であることも示さないといけないですが、映画の画面は横長なので上下で分割するのはさらに難しそう。
またここで友人とヒロインが"出くわさなかった"ことは今後の物語の展開上超重要です。もし移動シーンを全く描かないと、物語中盤の展開で「あのときヒロインって友人の顔見てるんじゃなかったの?」という引っかかりが発生してしまうので、エレベーターが入れ違いになるカットなどは必須でしょう。

結局これらを全部入れ込もうとすると24(トゥエンティーフォー)みたいな積極的な画面割りをしていくしかなさそうで、こんな古典的な恋愛劇でいきなりアクションサスペンスが始まったら戸惑ってしまいますよね。


で、実際の映画はこのようになりました。

確かにたっぷりダンスの尺を取っているものの、2:50あたりからヒロインのカットに切り替わってしまい、ダンスシーンが切れてしまっています。そのあとフロントやエレベーターのカットも入っているため、せっかくのダンスがぶつ切りになっている感じは否めません。
ただこれは上記で考えたように全て成立させるのは大変で、やむを得ない部分でしょうか‥‥。


本題(舞台では)

さて、本作品は2011年にイギリスで舞台化されています。私も観に行きましたよ。
そこでこのシーンをどのように舞台化するのかというのが問題です。ぱっと見、舞台の方が表現上の制約が多くて映画より厳しそうですよね?
例えば本映画のように上階から下階へのシームレスな画面チェンジみたいなことって難しそうですし‥‥。

それでは実際どのように表現されたのでしょうか。
調べてもどこにも映像が残っていなかったので私の記憶だよりになりますが、以下がそのシーンの図です。

がんばってかきました


これだけだとわけがわからないと思うので、説明を入れてみます。

がんばってかきました

舞台右側では主人公・ヒロイン・友人が演技を行い、左側では小部屋のようなミニ舞台の上で、主人公・ヒロインが右側をコピーした演技を行っています。
つまり舞台上には主人公役が2人(?)、ヒロイン役が2人(?)、友人役が1人と、都合5人の役者がいるわけです。
また舞台上の空間は上階・下階・下階を内包した上階(???)と3つに分割されていることになります。これは私が観てきたミュージカルの中でもかなり奇妙なステージ構成のひとつです。


しかし、実際こうすることによって上記の問題はかなり解決します。

同じ空間に主人公とヒロインが両方いるため、「主人公とヒロインどっちも描写したい問題」を解決。この「同じ空間にいるけど別の部屋という"テイ"」というのは舞台特有のワザというか、お約束のようなものです。

またこれだけだと主人公とヒロインの関係がわかりませんが、舞台脇のミニ舞台でも同じ演技を行うことで、上階下階の関係であることを観客へ示すことに成功。その副作用として主人公とヒロインがステージ上に2人ずつ存在していますが、これが許されるのも舞台特有のワザというか、お約束と言っていいでしょう(でもギリギリだと思う)。

ついでに「ヒロインは友人とは出くわしてない」と説明することもできてしまいます。
例えば友人が退場し、そのあと目の前でダンスしてる主人公にヒロインが話しかけたらどう見えるでしょう。
退場するまでは「別の部屋というテイ」なので友人とは会っていませんよね? で、そこから主人公に話しかけるといきなり「上階の同じ部屋にいる」ということになるわけで‥‥友人に出くわすタイミングが無いように観客には見えるわけです。
この「同じ空間だけど別の部屋というテイ」だったのをシームレスに「同じ空間」ということにするワザ‥‥というか二枚舌は、ギリギリの表現のようでいて実は舞台では結構よく使われる種のものだと思います。
ガラスの仮面でも似たようなのあったね。

客席側=バルコニー内側だったのが‥‥
演説が始まるとシームレスにバルコニー外側ということになる(『ガラスの仮面』第16巻)

つまり、この一見ヘン(そして実際かなりヘン)な表現は「舞台ミュージカル」という媒体の中ではいちおう受容可能であり、それが実際に物語上の要請に応えているという点に、媒体としての美点が現れているのです。
(でも今シラフで見ると こういうことやるのって本当にいいの???? とちょっとなった)


まとめ

ここで言いたいのは以下のようなことです。

  • 舞台表現には様々なウソを許容させるワザがあり、映像表現と比べても度量が広い

  • しかしそれにしても舞台版『トップ・ハット』はちょっとヘンなので、観ていた低温化は「こういうことやってもいいんだ!」と当時かなり衝撃を受けた

  • このヘンさをギリギリのところで成立させているのは音楽とダンスであり、だからミュージカルのパワーはすごい

最後のところは重要で、素晴らしい音楽や肉体表現による生理的な快感(麻薬と言ってもいい)が、「まあ‥全然ヘンだけど‥‥こういうのもアリってことにしておいてやるよ‥‥」というウソの受容に繋がっているわけです。

このへんはまた記事を改めて詳しく書ければと思います。


(映画版DVD。名作だけどオチはちょっとあんまりだと思う)


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