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クソ下手高校生ホルン吹きが大学で褒められて号泣するまで

どうも、392です。今回は私の部活の話を。めちゃくちゃ暗い話&高校の同輩の恨み節になってしまうので閲覧は少し注意です。 

私は現在大学の吹奏楽団に所属しています。楽器はホルンでめちゃめちゃ下吹きです。ホルンアンサンブルの4番が大好き。全国金賞を目指して毎週活動しています。中学から初めてホルンも7年目。お世辞にも才能がある人間では無いけれど、吹奏楽が好きでずっと続けています。今回は高校での吹奏楽部の話から大学での話をします。


まず、高校時代の話から。高校時代は一応地域で1番の高校に進学。吹奏楽部も大編成で規模の大きい学校でした。中学で吹奏楽に事故的に出会い、大好きになったはいいものの小編成でコンクールも3年の年がコロナで中止になり不完全燃焼気味に。高校では大編成で課題曲も吹くぞー!なんて考えての選択でした。最初高校ではコントラバスやってみたいなーなんて思って希望書を提出するとなんと3枠あったコンバスの枠が全部埋まるという悲劇。しかも、・ジャズ部でベースを弾いてた人・ギター部でギターを弾いてた人・10年間コントラバスに憧れ続けてた人という3段パンチでコンバスを諦めホルン希望へ。ホルンなんて基本なる人いないらしいしなれるやろ‼️なんて考えてたらまさかの5人ホルン希望。ここから2人に絞る時に初心者で希望していた2人はクラリネットに行き、経験者3人から1人ファゴットに移動することに。3者睨み合いの結果、ある女子が譲ってくれることになり、男子Sと私392の2人がホルンになりました。男子Sに名前をつけた理由はここから私に色んな意味でとんでもない影響を及ぼした人物だからです。 
そんなこんなで始まった高校生活。勉強はほどほどにどんどん部活にのめり込んでいきました。先輩も同輩も皆明るい人たちで活動しやすかったです。ある奴を除けば。そうSです。コイツはまあとろいやつでした。基本ミーティングが終わると掃除があり、使用した教室の清掃を1年生がやることになってました。大体の人は終わったらすぐ教室まで行くのだけれどSは大体他の男子と喋ってて来ない。いつも消毒が終わったタイミングで教室に来るので布巾を洗う仕事をやらせてました。流石に1週間連続で私1人で全ての掃除を行ったときはブチギレるもヘラヘラして聞き流される。はっきり言ってヘイトはMAXだったけど、まあ憎めない奴ぐらいの立ち位置ではありました。そんな調子で1年の前半が終わりアンコンの時期へ。2年生が編成を決めてたんですが、ホルン1年の2人があぶれることに。そこでホルンの2年生2人が金管アンサンブルに加えてホルン4重奏をやってくれることに。そこで私はホルンの4thの面白さに出会い、以降下吹き街道を突っ走って行くことになります。やった曲は『ケリーターナー4重奏曲第1番』。ハッキリ言って激ムズです。

高校生のホルンアンサンブルでやるレベルの曲ではないですが、先輩方は実際に吹いているプロの方に連絡を取ったり朝練を行ったりと金管アンサンブル以上に熱意を持って取り組んでいました。その朝練が6時半ごろの電車に乗らないと間に合わない時間から始めることになり朝が苦手な私は毎日ヒイヒイ言いながら登校していました。学校に着いたらすぐに音楽室へ向かい楽器の準備。ちょっとすると反対方向の電車に乗ってくる先輩2人が来て、じゃあSが来たら基礎練やろー、と言ったものの来ない。そう、あいつは全く朝練に来ませんでした。来ても始業のチャイムギリギリ、練習なんてまともにできず先輩が怒りヘコヘコ謝るS。なんとなくその姿を見て「私は偉い」と自己肯定感を保ってた節もありました。あいつより練習してるし下手じゃないと思っていました。この頃はまだ自己肯定感は高かったように思います。
Sが変わったのは1つ上の先輩が引退しYという同輩が現れてからでした。Yは1年の間は中々同輩と絡もうとせず、ずっと1つ上の中学時代からの先輩と仲良くしていました。その先輩が引退したあとちょっとずつSとSの仲間達と仲良くなっていったのです。Yは楽器の上手下手で人を判断する愚かな奴でした。田舎の高校生のレベルなんてたかがしれてるし、私の学校は大した強豪でもありませんでした。だから特に女子からはいけ好かないやつという認識でしたが、男子達、特にSは大きな影響を受けたようでその日からSは部活終わりも残って練習するようになりました。
あと、彼がパートリーダーになったのもあったのかもしれません。パートリーダーに関しては私がなるものだと自分でも思っていました。実際集金や演奏会のプログラムの原稿の催促など全部私がやっていましたし、彼にその役割が急にできるとは思えませんでした。先輩がいないときはSが練習を進めていたけれど、その役割は別にパートリーダーでなくても良いと考えていたので当たり前のように私がなるつもりだったし、周りの人もそう思っていたと思います。けれどSはそうでなかったようで説得されパートリーダーを譲りました。その日はショックで上手くホルンが吹けませんでした。パートリーダーになれなかったことなんかではなく、Sに「ホルンの先輩とも相談して決めた」と言われたことが辛かったです。「その話し合いに私はいれてくれなかったんだ」と「先輩もSのほうがパートトリーダーに向いてると思ってたんだ」という気持ちが同時に襲ってきました。ホルンの先輩にはかわいがってもらっていたし、先輩だけはSよりも私を認めてくれていると思っていたので。今思い出しても涙がでてくるぐらい辛い出来事でした。
冬が過ぎ春が来てコンクールの練習が始まりました。冬の間はアンコンの練習があったもののグループが違くほぼ一緒の練習がなかったのでめちゃくちゃ過ごしやすかったです。険悪だったSとの仲も話す日数が少なく比較的落ちついていました。Sのアンコングループはというと、Yと金管8重奏を組み、何様なのか同級生を勝手にメンバーオーディションにかけ、精鋭で挑んだと思ったら学内選考で落選するという結果をたどっていたのであまり腹が立たなかったのもありましたが。
しかし3年生になる頃には私の劣等感は頂点に達していました。

Sのホルンは上手でした。そこは認めています。音が大きく、輝かしくスパンと飛んでくる音色。高音も太い典型的上吹きでした。裏打ちやスラーが苦手だったり、表現力が乏しかったりなど欠点ももちろんありましたが。私はSとは真逆でした。音は小さく、暗くボヤっとした音。高音はhighCを出すだけで精一杯。低音はそれなりに出るも高音にくらべたらまあ地味。特に表現力も高いわけでは無かったので完全にSの下位互換でした。Sが褒められるたびに自分が否定されてるように感じてしまっていました。また3年生に上がるころからSの部活への向き合い方はより真摯に、より過激になっていきました。毎日の部活はもちろん、朝練に昼練、放課後練を行い楽器が吹ける時間帯はずっと吹いてたんじゃないかな。それは普通に感心していました。そこで終わってたらよかったのに…って感じなのですが。Sは自分が練習していることをいいことに他人を攻撃するようになりました。特に一つ下のホルンの後輩へのアタリはひどかったです。彼女はホルンのほかにギターを弾いたりピアノを弾いたりする音楽性に溢れた素晴らしい人でした。昼休みにピアノを弾いたり、放課後にホルンの有名なソロを吹いたり、純粋に音楽を楽しんでいるところが好きでしたし、親友の妹なのもあってかなり仲良くしていました。それをSはよく思っていなかったみたいです。彼女がピアノを弾いていると「コンクール曲吹けてないのになんでホルンじゃなくてピアノ弾いてるの?」とか、『宇宙の音楽』のホルンソロを吹いているときに「そんなの吹いてるんだったら課題曲練習したら?」など彼女の活動に対して文句を言い始めるようになっていました。彼の言動が目に余るので注意するも根本的に私はSになめられていたのであまり改善はしませんでした。Sと後輩のやり取りを見るたびに心が痛んだし、今も思い出してもっと彼女やSに対してやれることあったんじゃないかなと後悔しています。もちろん私も例外じゃなく、部活中の個人練習について文句を言われるようになりました。私は個人の音出しのときに過去に吹いた曲のフレーズを吹いてその日の調子を確かめています。それが気に食わなかったようで小言を言われました。(そのくらい好きにさせてくれよ…)と思ったのでいうことは聞きませんでしたが。昼練はそれまではよく行ってましたが、Sがいて自分が吹いている姿を見られるのが嫌で行かなくなりました。幸いにも定期演奏会の実行委員長をやっていたのではちゃめちゃに忙しくSの小言も聞く機会がなくなり平和でした。

私のメンタルがぶっ壊れたのは高3のコンクール時期です。定期演奏会が終了し本格的にコンクールに向けた練習がスタートしました。このあたりからS含め全体的にぴりつき始めてきました。こっからは悲しかった出来事が多すぎて書ききれないかもしれません。ダントツでショックだったのは課題曲の合奏で通しを行った後、(今までで一番上手く吹けたな)って思って上機嫌だったら横にいたSから「大丈夫?(半笑い)」って言われたことです。上手く吹けたという私の感性を否定されたことが私自身の能力とか自信とか丸ごと全部否定されたように感じてしまいました。今思い出すだけでも脳が沸騰しそう。そこから自分の感覚が信じられなくなりました。今まで吹けていたと思っていたところは本当は吹けてなかったのかもしれない。私は笑っちゃうくらい下手なのかもしれない。そう思うと上手く呼吸ができなくなり何も考えられなくなってしまいました。「私は下手だから大きく吹いたら怒られる」だとか、「今吹いている音は実は全く音程があってないんじゃないか」だとかそんな考えが脳を埋め尽くし、呪いのようにこびりついていきました。それからしばらくたったある日、夏休みの講習に出た後部活に行くと、課題曲のパートが1stから2ndにコンバートになったことを告げられました。この瞬間は今でも苦しい感情とともに蘇るし、コンクールへの情熱を失った瞬間でもありました。「1st失格」の烙印を押された気がして胸がキリキリ痛みました。このあたりから練習に積極的に参加しなくなりました。後輩には今でも申し訳ないことをしたと思っています。
合奏前のチューニングも厳しくなり毎回のようにSに注意されていました。毎回欠かさず直前に合わせているのにパートで吹くとずれるし、Sに名指しで注意されるし憂鬱で仕方なかったです。毎回合わせてるのに音程が悪い自分に嫌気がさしていました。それからチューニングの後は自分がずれてるかもわからないのにチューニング管をいじるのが癖になってしまいました。この癖は未だに治ってません。
Sは一年の頃とは周りの評価が全く変わっていました。「毎日のように練習するしすごいホルンが上手。」「Sはホルンが上手だから何も文句ない。」一年の頃のSに悩まされてた私からすると戸惑いが大きかったです。そして何よりも、S筆頭に部活に練習量主義・実力主義的な空気が流れ始めたのが苦痛で仕方なかったです。私の学年はSをはじめ楽器が上手な人が多かったです。だからこそ彼らにとってはその空気は追い風だったんじゃないでしょうか。かくいう私は自分はホルンが上手と思えるほどの自信なんてあるはずもなく、部内カーストのトップ層にいたSと真逆の能力だったためますます自信を失っていきました。(私が何か言っても聞いてもらえるわけないし…)みたいな卑屈な考えばかり頭に浮かび下手だと思われるのが怖くて前よりも委縮してしまい、上手く吹けなくてまた自信を喪失する、みたいな悪循環に陥ってしまっていました。

そんなわけで、高校3年間で私は自分のことを音が小さく、音程が悪く、音質は汚く、音楽性のかけらもなく、高音は出なくて1stなんて吹かせられない下手クソなホルンと思っていました。人前で大きな音を出すのが怖くなりました。周りの同輩がポジティブにコンクールむけて練習しているのに練習に行きたくないと思ってる自分に嫌気がさしてました。講習終わりに合奏をしている音楽室に入れずドアの前で座り込んでしまったこともありました。後にも先にも吹奏楽を辞めたいと思っていたのは高3のコンクール時期だけです。Sが仕切るパート練やセクション練がとにかく苦痛で夏休みは講習をたくさんとりました。コンクールが終わった後Sには「色々ごめんね」と言われたけどまったく許してないです。結局そのあとの高文連には出ずコンクールで引退しました。もうSとは吹きたくなかったからです。

大学に入ってから迷ったものの吹奏楽部と金管アンサンブルサークルに入部しました。ホルンは同輩が3人もいて楽しくもあり緊張感もある環境で練習できています。周りには上手な人が本当に多く尊敬と共になんとなく気後れしていました。大学入ってからも大きい音で吹くのは怖く、右隣に先輩がいるときは基礎合奏でさえも緊張してしまっていました。金管アンサンブルで初めて一人で曲に参加した時も自分のテンポ感や音程、リズムに自信がなく上手く吹けずに、「もっと吹いて!!」と何回も言われる始末。金管アンサンブルの演奏会ではホルンアンサンブルで「花のワルツ」と金管八重奏で出ましたが、ホルンアンサンブルは上のパートとずれてたり、金管八重奏は先輩方の圧に押されて、まったくホルンが聞こえなかったりとなんとなく落ち込む結果になりました。

しかし私の意識が変わる瞬間が訪れました。ある日のセクション練習。サックスとの練習でした。その終わりに楽器を片付けているとある先輩に声をかけられました。その先輩は5年生でめちゃくちゃサックスが上手な男の先輩でした。その日のセクション練習を仕切ってくれていたのもその先輩で、話しかけられたときは本当にびっくりし恐怖しました。というのもセクションリーダーに個別に話しかけられるのなんて今まで「できてない」と「音程あってない」の二択だったし、まして数回しか話したことのない先輩。また何か注意される、と怖すぎて唇がふるえました。しかしかけられた言葉は本当に優しかったです。

「音楽性はいいもの持ってるからこっから一緒に練習して上手くなろうね」

そんな風にほめられたのは初めてでした。高校の時は一切ホルンに関してほめられたことはなかったし、大学入ってからも、何回か褒められたけど、なんとなく信じ切れていませんでした。けれどその先輩の言葉は本当に暖かくスッと心に入り込んできて、気づいたら泣いていました。先輩を困惑させてしまい本当に申し訳なかったです。その先輩は金管アンサンブルの演奏会で私の演奏を聴いていてくれていて、そこから出た発言でした。その場にいたホルンの人は全員出演していたのに私にだけ声をかけてくれたことや自分が自信なかった演奏で褒めてもらえたという高校時代なかったどころか真逆の出来事で高校でのつらい出来事が自分の中で昇華された感じがしました。

そこから私は「自分は自分が思っているほど下手じゃないんじゃないか?」と思えるようになりました。コントラバスを始める際に購入したチューナーマイク。中学生の時に使って数週間で壊れたことがありそれから使っていませんでした。ベルに取り付けて恐る恐る音をチューニングのB♭を出すと、針はぴったり真ん中に。ある程度チューニングすればどの音も音程が悪いどころかかなりいいと分かりました。こんなことならもっと早く買いなおせばよかった…。
音程が悪くないことがわかると基礎合奏でかなり自信をもって吹けるようになりました。課題曲で自分一人だけが吹くフレーズも安定した音程で吹けていて褒められたのがかなり嬉しかったです。ただ自分の耳にまだ自信がないこともありチューナーマイクに頼ってしまっているのでどんどん脱却していきたいです。
高音域も低音域も最近どんどん広くなっています。highCも曲ではほぼ外さなくなりましたしペダルのB♭の音に指が届くことも多くなってきました。楽器を吹くのが楽しくてどんどん練習したくなる。高3の時の私からは考えられないことです。

ここまでの長文駄文を読んでくださっている方にもし、「自分は下手だ」という思いを持っていたり、先輩や同輩、後輩相手に劣等感を抱いている方がいたら伝えたい!
「自分は自分が思っているより下手じゃない」
私はたったこれだけのことに気づくのに3年もかかってしまいました。これに気づくまでたくさん傷ついたしたくさん泣きました。特に、スポーツなどとは違い、人それぞれ好みがでて明確な数字で優劣が示されない音楽では、この呪縛にかかっている人も多いし、逃れるのにより時間がかかると思います。私は環境が変わりそこでの出会いで呪いが解けました。これはかなり幸運な出来事だったと思います。能動的にこの呪いを解くなら、先生にレッスンに行ったり、思い切って部活をやめて町の吹奏楽団に入ったり、やれることはいろいろあります。あと、他人と比べるのをやめました。人によって向き不向きがあるのは当然で、わざわざできないところで人と比較したって自分が消耗するだけです。自分の中で芯をもって先輩や先生から言われたことは取捨選択して自分に生かしていく、というのが健全な向き合い方だと思います。
もし今、私の高校時代と似たような環境にいて苦しみを抱えている人がいたら本当に悲しい。一人でも音楽でつらい思いをする人が減ってほしい。音楽を辞めてしまう人が減ってほしい。私の部活での体験は苦しいものだったけど、吹奏楽部に入って親友を見つけたし、いまだに夜な夜な通話をする友達がたくさんいるし何より3年間の部活の記憶が酸いも甘いも全て宝物だから。本当にその一心です。

この記事を書いている五日後はコンクールです。なんとか!金賞を頂けるよう!頑張ってきます!!


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