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『聖闘士星矢』から学ぶ創作で忘れてはいけないこと

 今回もまた創作についての話。「秘すれば花」という言葉もあるし、あまり技術論とか創作論とかを語りすぎるのはマジシャンの手品を素直に喜ばない人間のようで後ろめたくもあるが、やっぱり僕は(自分の創作とは無関係であっても)工夫をしている人が好きだし、下品だと反省しながらもそういう話が多い。「他人を貶さない代わりに他人をいたずらに導こうとしない」という態度こそがもっとも真摯だとは思うが、よくよく考えたら学もなにもない僕が邪道な態度でなにが悪い、とも考えるので、2週連続で創作の話をします。

  今年の正月、東京で新年会に参加して終電を逃した僕は、仕方なく西武池袋線大泉学園駅近くの漫画喫茶で始発を待つことにした。狭い割になかなか品揃えのいい漫画喫茶で、僕は少し棚を眺めると車田正美の著作『聖闘士星矢』を選んだ。1983年生まれの僕にとっては子供時代を思い出す漫画だったし、アニメでは放送されなかった最終章「冥王ハーデス編」を読めたので、楽しい夜になった。
 一応、軽く『聖闘士星矢』について触れると、1985年から1990年まで週刊少年ジャンプで連載されていた、全28巻の漫画だ。今の若い人は知らないかもしれないが「主人公たちが聖衣(クロスと読む)という鎧をまとって戦う話」という流行を作り出した漫画で、後発の『鎧伝サムライトルーパー』や『天空戦記シュラト』といった名作の源流とされている。海外での人気も高く、全世界で5000万部の売り上げを記録し、スピンオフ作品や同人誌も非常に多い。また、『キャプテン翼』とともにBL同人誌の源流という位置づけをされることもある。

  この漫画、なにが凄いかと言うともういろいろと凄いのだが、僕が注目するのは「作者である車田正美が自分の好みを詰め込むことにまったく躊躇いがないところ」に尽きると思う。
 車田正美は『リングにかけろ』という最初のヒット作を読んでも明らかなのだが、「美少年」が大好きだ。そしてもう一つ、「強くて美しい男が並び立つ」ということにもかなりのこだわりを持っている。『聖闘士星矢』では、12星座の守護を受けた黄金聖闘士という12人の戦士が登場するのだが、この人たちがもう、主人公たちの10000倍くらい強い。しかも、その圧倒的な強さの表現がもう抜群。カッコいいなんてもんじゃない。
 僕はあまりにも過剰すぎて面白い漫画をネタ的に笑うという文化があまり好きではないのだが、それにしても『聖闘士星矢』というのは、車田正美の趣味がハッキリと反映されすぎててちょっと引いてしまうところがある。
 例えば、車田正美ファンは「車田漫画は、ルックスを見ればどっちが強いのか、どっちが勝つのかわかる」と言う。それほど美形が優遇されるのだ。先ほど「カッコいい」と言った黄金聖闘士には、牡牛座のアルデバランという巨漢の厳つい男がいるのだが、彼は黄金聖闘士の中では唯一の美形ではない戦士だ。そんな彼は、最強と謳われる黄金聖闘士なのに、よく負ける。特に「冥王ハーデス編」での扱いはかなり酷く、闘った描写すらされずに死んでしまうのだ。しかも、その死は漫画の中でそれほど大きく扱われない。

 一方で、乙女座のシャカという作中屈指の美形戦士が死んだ際には、その闘いにコミックス1巻ほどが使われ、全28巻の作品の中でもっとも派手に死んでいる。シャカの死には登場人物たちも大きな衝撃を受けて、「シャ、シャカが……、死んだ」と動揺する者や、涙を流す者もいた。同じ黄金聖闘士のアルデバランとは、まったく扱いが違う。
 
 さて、そんな『聖闘士星矢』からなにを学ぶんだよと思うかたもいるかもしれない。僕は先週のnoteで、「自分だけが掴んだ本当のことを書くのが小説の真髄」と書いたが、創作にはもう一つ忘れてはならないことがあると思うのだ。
 それは、「自分が好きだなと思ったことを照れずに詰めこむ。バランスは二の次、三の次」という堂々とした態度だ。
 特に若い創作者は、男女ともに「自分にとって理想の異性」を出しがちで、僕はそれを「ちょっと都合良すぎないか?」と思ったりもしていたのだが、車田正美は「しみったれた現実感よりも、俺の理想」というシンプルであるがゆえに圧倒的に強い美学を教えてくれる。文学でも漫画でも映画でも、「こういうのが好きで悪いか!」って物凄く強いなあと、それを思い出させてくれたのが『聖闘士星矢』だ。

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