学習塾ブランチをはじめたわけ③活動を始めた大学時代

こんにちは。

学習塾ブランチの西原です。


中高時代と振り返ってみて、まぁどこにでもいる普通の学生だったなと思います。今も特別何かを持っているという感覚も無いですが、ただターニングポイントは大学時代だったなと思いながら今もつらつらと書いています。


1.日通ではじめてのバイト。働くのが楽しい。

高校を卒業してすぐにバイトを始めた。

春休み期間だったので、引越しの短期バイトがあり、日通にお世話になった。

面接に行った時、裏の休憩室で金髪の男性がタバコ吸いながらギターを弾いていたのにかなり面喰ったのを覚えている。


ずっと運動部で体を動かすのは好きだったので、引越しのバイトはあっていた。日雇いなので、シフトは自由だったが、楽しかったので、行ける日はほぼ毎日行っていた。

毎週火曜日の給料日が楽しみだった。

封筒で手渡しで渡されるのが何とも言えなかった。

ほぼ毎日行っていたので、一週間で5万円前後もらっていたと思う。


強面のリーダー達に最初はおどおどしながらも着いて行っていたが、慣れてくると皆気さくな方で本当に色々と教えてくれた。

カッターの黒刃をリーダーから「これ使え」ともらったときが、認められたようでとても嬉しかったのを覚えている。

働くって楽しいと思ったのはこの時かもしれない。


2.絵を描くのが辛くなった大学1年

大学が始まり、履修科目を選んでいるときにとてもショッキングなことが起こった。


経済学部だと卒業しても数学の先生にはなれない!!!

なれるのは政経の先生とシラバスに書いてあり、とてもショックだった。

政経はあまり興味のない教科だったからだ。(特に政治)


入学早々、将来の夢の一つが消え去った。。。


なので、教職課程は履修せずに、絵を描く時間を確保することに努めることにした。

数学系の科目を中心に早い時間で授業が終わるように組んでいった。

数学系の科目は難しいらしいという噂で人気が無く、履修する人は少なかったので、付き合ってくれた友達には本当に感謝m(_ _)m


とにもかくにも、大学生活がスタートし、授業が終わったら、即自宅に帰りバイトに行き、バイトが終わったら絵の勉強をする毎日。

その時は、K社の通信教育を受けていた。

高校時代に出した作品で佳作をとり、受講しませんかと案内をもらいそれを親に頼んで受けさせてもらっていた。今思えば良いカモです。。。


絵は本当に好きだったので、真剣に取り組んでいたが
ある時から描くのが辛くなってきた

それがなぜかを考えていると
課題として描くのが辛かったのだった

相手に求められているものを描かなければならないという縛りが、絵を描くという事を窮屈に感じるようになってきた
仕事として絵の道に進めるのだろうかと不安がよぎった

ダメ出しは、出した課題の添削が返ってくる際に、先生の見本のようなものが一緒に入ってくることが多かった。明らかに数分でささっと描いたであろうその絵を見て、これは勝てないと悟ってしまい、諦めてしまった。


3.バイト先の不振で、マーケティングに興味を持つ

大学1年から近所のスーパーでバイトをしていたが、明らかに客数が減ってきていた。打つ手も悪手のように感じていた。
100円均一が105円均一に微妙な値上げ。
20時以降の割引も無しに。(これを楽しみにしていたお客さんは多かった)

当時、大学で基礎統計学を学んでいたこともあって、何か分析したいという欲求が強く、バイト先の店長に頼んで、過去の売上データを半年分ほど貸してもらった。
それをバイト終わり家に帰って、コツコツとエクセルに入力していき、日別や部門別などの売上データを集計していった。

それに合わせて、他のスーパーとの位置関係やチラシ折込日(特売日)の情報等もまとめていき、チラシの訴求力測定ができないかと素人なりにモデルを組んだいた。特売日を他店とずらした方がいいのか、あえてぶつけた方がいいのか、それが分かるのではないかとごちゃごちゃやっていた。

そうする間も、客数はどんどん減り、、、
打った策が明らかにマイナスに働いているところも数字に出ており、これは戻した方が良いと社員の方に言っても、本社を動かすほどのことはできなかった。

もういよいよこれは戻せないなというところまで数字が落ち出してき
もうすぐ3年で、就活も始まるからという理由でアルバイトを辞めた。
その数カ月後、スーパーは閉店した。

近所の人からは歩いていけるスーパーだったのに、無くなると困るわとよく言われた。
無くならなくてよいはずのお店が無くなるのは誰にとっても良いことは無いと思い、マーケティングにより関心を持つようになった。

4.インターンシップが転機で大学生活が一変する

大学3年の夏休みにインターンシップに参加した。
とても人見知りなので、小さな組織に行ってみたいと思い、
マーケティングというテーマでかつ、社員数が少ないところにエントリーした。

競売不動産の情報を扱っているIT関連の会社だった。
そこではとても濃い2週間を経験させてもらった。

その2週間の間にその会社の代表と話す機会があり、どういう話の流れでそうなったのかは覚えていないけれど
「あなた達は場数が足りないだけだ」「成功している人は、それ以上に失敗もしているものだ」と言われたことが強烈に響いた。

よくよく振り返ってみると「失敗という失敗もしていない」ということに気づいた。選択肢はあったはずなのに、「人見知りだから」という理由でその選択をしなかったのは自分だ。踏む場はいくらでもあるはずなのに、機会が無いと言って踏み出さなかったのは自分だ。

とにかく場を踏みたい。
2週間のインターンがとても楽しく、この感覚をまだ味わっていたいと思った。その時ふと思い出した。

インターン初日に社長からこの人知ってる?と名刺を渡された。
そこには「西南大学4年」と書かれた名刺だった。
この学生がインターンを受け入れて欲しいと営業にきたから、今回受け入れたんだよという話を思い出し、その先輩がいるところに行ってみようと動いた。今までの人見知りの自分だったら絶対に取らない行動だった。

そこで今で言う学生団体(インカレ)に出会い、活動範囲が広がっていった。その活動を通して「教育分野」にどんどんハマっていく事となった。

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