学習塾ブランチをはじめたわけ④教育にはまった大学4年

こんにちは。
学習塾ブランチの西原です。

もはや、自分のためだけに書いております。。。


1.始めた学生団体の活動


インターン先で見せられた名刺に書いてあった団体は
「インターンシップ推進協議会学生スタッフ」という堅苦しい感じのところだった。

協議会自体は中経協という組織の中にあり、今思うと学生団体というよりインターンシップに近かったと思う。


そこに電話してスタッフになりたいとことを伝え、面接に行った。
面接ってほどのことはなく、どのような活動をしているかなど丁寧に教えてくれた。ちょうどその日にスタッフMTGがあるとのことで参加させてもらった。

大学1~4年で10人ぐらいのスタッフ達が喧々諤々、インターンの受け入れ先をどう増やすかという事を話し合っていた。衝撃だったし面白いなーと思い、その日に正式に加入する事となった。

当時はまだインターンシップという言葉も浸透してなく、企業にも学生にも認知してもらうことが必要な段階だった。

なので、企業開拓と広報という2つのグループに分かれていた。
当時ずっと思っていたことが「インターンは早くやった方が良い」ということだった。当時の就活は3年時の10月スタート。夏休みにインターンに行って、色々な気付きを得ても、その2ヶ月後には本格的に就活が始まる。そうなると、せっかく得た気付きから行動に起こす間もなく、就活の波にのまれてしまう。

とはいえ、職業選択の視野を広げることはできるので、2年生と3年生がいたら、3年生から優先的に受け入れ先が決まっていく。企業にとっても、良い子がいたらつばをつけておきたいはずだし、それを拒む理由はない。

そこを変えようと思うと、2つしか選択肢は無く
①無視できないほど、低学年時の希望者が増える
②希望者全員を受け入れるだけの企業を開拓する
だった。

②はすでに先輩方が動いていたので、僕は①をする事となった。
「1,2年生のためのインターンシップ交流会」という企画を作った。
それが「教育」に関心を持つようになった最初のきっかけだった。


2.学内放送で大学から呼び出される

この企画を立て、場所を確保し、ポスターも作ってもらい、広報活動の戦略会議となった。とはいえ当時はSNSもまだなく、mixiがちょっと出始めたくらい。なので、足でかせぐ広報しかできなかった。
①大学にポスターを張ってもらう
②門配する
③授業で案内する

僕は③で行こうと、1,2年生の基礎科目を教えている教授に片っ端からメールを送り、授業の終わり5分に案内をさせて欲しいと伝えて回った。

何人かの先生からは快諾して頂き、事前にご挨拶と趣旨説明に菓子折りをもって行った。400人講義などでチラシの配布とプレゼンをさせてもらった。

見境なくメールを送りまくっていたので、ある時、大学から呼び出された。
友達から電話がかかってき、「お前学内放送で呼び出されてるけど何したん?」と。
その時は家にいたが、慌てて大学まで行って学生課を訪ねた。

課長さんが出てきて、1枚の紙を持っている。
僕が教授に送っていたメールをプリントアウトしたものだった。
これは何だ?という問い合わせが学生課に数件入ってきているということだった。

ことの経緯を説明すると、良からぬことを考えている訳ではないことは理解して頂き、許してはもらえたが、処理をしないといけないからと顛末書書くように指示された。

次の日、母印を押した顛末書を提出すると、「見本のような顛末書だ」となぜか顛末書の出来を褒められた。
そりゃ、テンプレから作っているから「見本のよう」で間違いはないんだけど。このことは就活時の良いネタとなってくれた。

その事件以降、授業で配布することはできなくなってしまい、
当初予定していた枚数を授業で配ることはできなかったが、1000枚近くは配布できたと思う。


3.人の行動は何によって決まるのかという疑問

顛末書事件はあったものの、どうにか会は開催することができた。
参加者は30名ぐらいだったが、全員1,2年生という貴重な会だった。

その中からスタッフになってくれた後輩もおり、会は無事に成功した。


その時、僕の意識は別のところにあった。
大講義室で400人を前に案内をしたのに、そこから来てくれたのは数人、もしくは0だった。
もちろんプレゼンは未熟だったと思うが、ここに「踏む場」があるにも関わらず、ちゃんと見ることもしていないだろう「399人」と、踏みにやってきた「1人」。

同じ情報を同じタイミングに得ているはずなのに、結果が変わるのはなぜなのだろうか。何が違うのだろうか。
こう聞くと「今までの経験が違うからだろ」とほぼ言われはするし、僕もそう思ってはいたけれども、「じゃあ、今までの経験とは何ぞや」という疑問にはまっていってしまい、抜けられなくなってしまった。

そこから徐々に「キャリア」「教育」「行動心理学」に傾倒していくこととなった。


4.一つだけ決めたルール

イベントも無事に終わり、いよいよ就活も本格化してきた。
その時に一つ決めていたルールがある。

①頂いた誘いは物理的に不可能でない限り断らない


人見知りの克服のためと、場数を踏むために自分に課したルールだった。
これがかなり効いた。
なんだかんだと色々と誘われていたんだなということに気づいた。

誘われるという事は、それが自分にはできると思われているからだと素直に受け取るようにしていった。

留学生の文化祭のファッションショーに出たり
食育のプロジェクトの実行委員長をさせてもらったり
就活サークルのスタッフになったり
自分の団体を立ち上げる事になったり
学生ベンチャーの社員になったり

名刺の種類がどんどん増えていき、どれがメインの活動か分からないほどになっていった。1,2年生の無駄にした時間を取り戻すかのように一番忙しかった時だったかもしれない。

そして、身近なところに踏ま場なんてたくさんあったんだと気づいた。

そこから徐々に就職についても人材系や教育系の仕事に関わりたいと思うようになっていった。

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