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正義のヒーロー

通りを歩いているとき、目の前で白杖を持った人が転んだ。
彼は手にパスタを持っていたので、派手にパスタをぶちまけた。
僕は、一瞬「助けなきゃ」と思ったものの、何もせずに彼の横を通り過ぎた。

物凄く後味が悪い。

僕は、何かをおそれて助けなかった。
その何かとは、要らぬお節介となってしまうことや言語の壁を中心とした漠たるものだ(ちなみに、僕はバンコクに住んでいるが、タイ語は殆ど喋れず、英語で何とか生活している)。
何ら具体的可能性を伴わない漠たる不安だ。

実際、僕に手助けできることは殆んどなかったかもしれない。
それでも、散らばったパスタを一緒にかき集めるくらいはできたのではないか。
言語が分からなくても何とかなるのは幾度となく体験しているではないか。

きっと、こういうときに瞬発的に体が動く人が、正義のヒーローなのだ。
そして、僕は、正義のヒーローには程遠い。
四の五のうだうだ考えて何もしないモブなのだ。

数時間後、同じ場所を通ると、わずかにパスタが残っていた。

こんなに後味の悪い思いをしなくてもいいように、たとえ正義のヒーローにはなれなくても、次こそは、何かアクションを起こすのだ。


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