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絵を通して生き方を学び、選択する力をつける。 #アート合宿に参加して



学生の時は美術の時間が嫌いだったし
成績も5段階中、2or3。

大人になっても、5歳息子と
一緒に色塗りする事さえ嫌で毎回逃げてた私が

2泊3日のアート合宿に
参加して気づいたことを一言で言うと

ほんとうの意味で
自分を大切にできてなかった。

これにつきるのかもしれない。 


全部わたしなんだ、
自分が嫌だと思う部分も含めて
全てわたしを構成するパーツなんだな。

負けず嫌いな部分も、優しいと感じる部分も、虚しいぐらいに深く悲しく感じる部分も、ドロドロと嫉妬する部分も、キラキラした遊び心も、光を放つ部分も、私はわたし.となる強い芯のある自我も、飛び出したくなるぐらい自由に動き回る自分も、よくわからないけど皆あつまれーな自分も。

人それぞれが
自分のフィルターを通してわたしを見て
「あなたはこうゆう人だよね」とくれる言葉も、その人の見ている私の一部分であり、全部が全部、点と点が繋がってできる、私なんだな..
アート合宿を終えた直後の気持ち


と、、
合宿終わりの完成した全ての絵を並べてみた時に強く感じたこと。

もちろん、まだ意識しないと忘れてしまいそうだから、これからじっくりじっくり自分に浸透させていけたらな、って。

2泊3日のアート合宿に初参加してきた。

はい、と言う事で、いきなりアート合宿の話をされてもわからない人もいると思うので、アート合宿とは?という方はこちらをご覧ください^^
主催者は、中村峻介さん    と 大野幸子さん(名前をクリックするとお二人のことがわかるページにとびます)


さらに詳しく知りたい方は
今回私が参加したのは上の2泊3日のものですが、
こちらは天才研究家のやまけんさんもご一緒に主催している3泊4日の記事もご覧ください👇


私からもこのアート合宿を簡単に説明すると...って
説明しようとして考えてみたんですけど難しくて諦めました...

が!!

あえて諦めず言葉にしてみると

アート、私にとって今まで使うことのなかったツールである絵を通して自分と向き合い、今まで気づかなかった、気づいてたけど腑に落ちてなかった自分を知り、自分の生き方、これからの生き方を知る、そんな合宿だったように感じてます。


正直に書きたい事が多すぎて
今も何から書こう?と戸惑ってますが、思うがままに、私がこのアート合宿で得た大切な気づきと感じた事をかけたらな、と思いますのでお付き合いください^^


自分の内側にあるネガティブな感情が
どうしようもないぐらい嫌だと感じた1日目

初日のみんなで自由に描いた絵

絵を描く前に、10分ほど寝転がって自分に集中する時間があった。その後に、簡単な自己紹介と一言ずつ1人1人が話すという流れ。

順番がくるまで、頭の中で何を話そう?って考えてた。この10分ほどの目を瞑って自分に集中する時間があったからなのか、自分の順番がまわってきて、自己紹介をして一言伝えた最後に

言う予定のなかった言葉が
突然、自分から湧き出てきた


でも、言葉を発する前に
”この空間、この人達であれば言っても大丈夫、受け入れてくれる”というのをこの場の空気感から感じていたから言ってみれたんだと思う。


「・・・負けず嫌いなのもあって、 
心から人の事を応援できない時があって
それがすごく嫌だ、嫉妬してしまう自分が嫌だ・・・そんな自分がすごくいやだ、みんな、本当はみんな同じぐらい素敵なところがあるって知ってるのに、すごくわかっているのに、心から応援できないときがある、比較の世界で、勝ち負けの世界から抜け出せない自分が嫌だ・・・」

って話ながらすごく悔してくて、
そんな自分が嫌いすぎて涙が溢れてきた。
自分の周りには素敵な人ばかりで純粋にいつも自分を応援してくれているのに、自分にはソレができない時がある。それがとてつもなく嫌だった。


ちなみにこの合宿は絶対泣かずに淡々と過ごすだろうな、となぜか知らないけどそんな自信があったのに、まさかのトップで泣いてるっっ!^^;
冷静なもう一人の自分も「えーーー、まさかの、いきなりやってしまった(汗)」って私が一番思ってたよ。笑

その後は、横にいた絵を描くときのパートナーと話をするたびに泣いたり、泣きそうになったりして、何これ、涙腺おかしくなってる^^;ってなってました。


最初はみんなそれぞれ
好きに描いていい。

ただ、ただ、何も考えずに、頭を空っぽにして
思うがままに、書き殴るように、吐き出すように色をのせていった。

ほんとただそれだけ。意味も何もない。

最初の涙をきっかけに
ずっと自分の中で溜め込んできたものが溢れ出してくる感覚

止められない。 

なのに、吐き出しても、吐き出しても、描いても描いてもなくならない。この苦しさはなんなんだろう??って・・・


そこからは皆が
わたしの絵に色んな色や絵を描き足してくれた。

左がわたし、色んな人が色んな色をのせてくれた。


ここで1つ思ったのは
昔の私なら、こうしたい!という想いが強すぎてきっとこうやって人に書き足されるとか嫌だったかもしれないな〜ということ。

でも、素直に、皆が色んな色を足してくれたのが嬉しかった。めっちゃ良くなったやん!って。すごくワクワクした^^
わたしの何も考えずに描いた色が皆の力によって輝いていく感じがして。

1人でできる事なんてたかが知れてる、
自分の頭の中の小さい世界の中で
生み出されるものなんて限界がある。

だから色んな人の力をかりて、
もっと可能性を広げて、
それが思った通りにならない事も受け入れながら

今まで見た事ない世界を描いてみたい。 
不確実な世界を覗いてみたい。
怖さと不安を一緒に抱えながらも。

確か、その時の感想のシャアでも似たような事を言ったと思う。
自分1人でできる事なんてたかが知れてる
って。(ここ最近の自分の中での流行りなんかな。笑)


座った場所は必然だった、
のかもしれない

座った場所にテーマがあった。

尊重する


この合宿を一言に集約するのであればこの言葉だと思う。色んな角度から、色んな人から
尊重する事のほんとうの意味を教えてもらった。

1日目のワークに、人が描いた絵の上に自由に自分が書き足す時間に
私は、他の人の絵を尊重して描いていた。
その人の絵の良さを潰さないように、
その人の絵はそのままにして尊重して
人の絵に描き足していった。

だから、この尊重するは当たり前にできていると思ってたし、そのテーマを知らされる前から意識できていたのね!ぐらいに思ってた。

2日目の自由に描く時間の時の絵

でも、2日目に絵を
自由に描いていた時にふと気づいた。

あ、違う。
誰かだけじゃない。
自分を尊重するだ。
って。

でも、ここ3年でずっと自分を尊重するとか
できているし、やってきたよね、ぐらいに思って
ここでもあまり深く考えずに終わった。


そこからはずっと自由にただ、何も考えず
試してみたい!という好奇心のまま、
誰かの評価とか全く気にせず
うまく書こうともせずに、ただただ、軽く描いていった感じだった。

自分の好きな色の組み合わせ^^


ただ、意外だったのは
私は学生の時に美術大嫌いだったし、大人になってから絵も書いていなかったから、合宿はじまる前は、絶対何もかけない….と不安でいっぱいだった。
だから、描けなかった時の事を考えて、温泉に逃げるかどこかで読書しよう。と計画していたぐらいだった。笑

のに

なんか、評価とか何も気にしなくていい主催者の方の場づくりのおかげなのか、一つ一つの絵に重みはないな、と思いながらも色々軽く、どんどん試していこう!楽しもう!ぐらいで描くことに心から夢中になっている自分にびっくりした。

もっと色々試したい!何も考えすぎず、子どものような好奇心のままに


描くってこんなに自由なんだ!
一体今まで何に縛られていたんだろう?

ちなみに写真でここに
普通にどんどん載せてはいますが
普通に自分は楽しく描いただけの絵なのに、外側に出すとともに比較の思考が湧いて、「対してうまくないのに・・」って、ちょっとためらったけど、怖いはGO!なのでとりあえずガンガン出してみる。

最初は明るいブルーだったのに、途中から知らないうちに寂しさの感情がのって暗くなった。見た人にみてて悲しさ伝わってくるって言われて自分も悲しみを自覚して泣きそうになった。


気づかない間にずっと自分を置き去りにしてきたのかもしれない。


初日からこの2泊3日の間に色んな方と対話して
助けてもらいながら、絡みにからまった糸を紐解いてもらい、あらゆる言葉のシャワーを浴びていった事で、めちゃくちゃ混乱しながらも
大切な事に気づかせてもらえた。

いい写真だ!わたしはまだスッキリする前で顔が少し曇ってるように見えるけど笑



そこから気づいたのは
ほんとうの意味で自分を尊重できてなかった、
ってこと

もっと細かいものさし、目盛ではかったときに
尊重できてなかった、と言う言葉が正しいのかもしれない。

ずっと自分を尊重してるし、家族にも5歳息子を預けて、協力してもらって合宿なんて来ちゃってるし尊重しまくりだと思ってた

できてる部分もあった、でも
大切なところで尊重できてない自分がいた。

相手の反応が先にあり
それを当たり前に察知して、相手に迷惑にならないように、相手の負担にならないように、自分の発言や行動を決めていることがあった。



だから相手との境界線を超えて
相手の立場に立ちすぎて(思い込み含め)
相手が決める前に、相手が選択する前に

先に先に、
相手の負担にならないように先回りして
自分の言葉や行動を選んでいた。

もはや、
自分でも気づけないぐらい
当たり前にやってる場所では
自分がどうしたいか?よりも
先に相手の反応を勝手な憶測でよんで、
選択していた。


あんなに普段の選択で自分がどうしたいか?を
自分に問いかけまくってたのに、、。

2月の末に気づいて手帳に書いてたのに、全然できていなかった


そして、私の夫は
だいたいの事は自由にさせてくれているけど
どこかに泊まりに行くことは、簡単には許してもらえなくて何度もぶつかっていた。

だからもあって、自分が夫に合宿とか遠出したい、と伝えるのには毎回時間がかかってた。何度やってもすごく勇気がいって。怖くて。

その理由は、きっと
夫に息子を預けること
=負担をかけること、迷惑をかけること

それが私にとっては、
とてつもなく恐怖で怖かったんだと思う。

ずっと小さい頃から、いつもお母さんに迷惑をかけないように、父もうるさいし、姉と兄は手がかかっているようだから、末っ子の私だけはしっかりして、全部自分で決めて、負担にならないように、迷惑かけないように、できる限り、できる限り、お金も自分でなんとかして迷惑かけないように。って生きてきたんだな、て今頃気づいた。


だからなのか、先に先に!って先回りの癖がついてたのかもなーー。と
今回の尊重するに繋がって気づいた。

今回たまたまご一緒したさとえみねぇさんに、帰るまでにその夫に旅行いくの伝えるの怖い問題、なんか着目点ズレてるから、何かきづけたらいいね。って言われてたけど、ちょっとは気づけたかなー?


そもそも尊重とは?

意味解説ノートより引用:https://meaning.jp/posts/3287

改めてそもそも尊重する、って
どうゆう意味だったけ?って思って調べてみた✍️

自分ではない誰か、
大切にしたい誰かを尊重しても
そっちを優先させて自分をほんとうの意味で価値あるものをして大切にできてなかったな、って。

さらに私の中で
自分を愛する、の定義で納得してたのは
自分を愛する=自分の感覚・感情を尊重すること
だったのに、そこも全然できてなかったやーーーん。っとツッコミ入れまくりです。


森へのお散歩から得た
大切にしたい感覚たち

リアルは写真では伝わらない良さが溢れてた。


たまたま主催者の方と
お散歩する時間をいただいた。
ここは濃すぎてかけない&説明がまだ追いつかないので今回は割愛しますが、この森が優しくて優しくて、たまらなく大好きになった。

何が好きか?と言われると
見た目ではなくて、ここにいる感覚が好きだった。まるで見守ってくれて、包み込んでくれるようなあたたかさで....

森の中に座り、ただ感じて、すごく幸せな時間。

ただ、今を感じる。
前を見ることも大切だけど、前ばかりじゃなくて、足もとも見る

もっとこの瞬間を大切にして
味わう事の大切さ、その感覚を教えてもらえた気がした。


そして森から出る瞬間に
バッとでてきたイメージを急いで
下手くそながらに描いたのがこの絵

じつは描いたあとに、少し汚してしまって汚くなってる(泣)


自分が見ても特別うまくはないんだけど
あったかいな〜と自分も思ったし、
他の人からもあったかいね。って言ってもらえた^^

このあたたかさ、は
言葉だけでは伝わらなかったから
絵って言葉で伝わらない部分を補ってくれてすごく嬉しいな〜ってこの時思った。


知らず知らずに自分を抑えている感覚が
時々どこかで爆発しそうな気がして怖かった


その理由は、
知らず知らずの間に自分が小さな我慢を積み重ねて誰かの負担にならない選択をして、自分を尊重できてなかった、から。

そして、
もう一つはフェイクだったのかも。

横にいたパートナーの方と対話してわかったことを急いでメモした


本当にもっと奥底に
望みがあるのに、そこを抑え込んでいた。

それをしてしまったら、自分が傷つく怖さよりも
誰かに、家族に迷惑がかかる、って怖さから、ずっとずっと抑えこんでいる。

一番根っこを抑え込んでいるから、
そこからアク?が出て
他からもモヤモヤ毒が蓄積している感覚に陥ってフェイクとしてでてくる。

だから、そのモヤモヤを解決しようとしても
一向になくならない。根本原因ではないから。

そこに向き合うのではなくて、
私がすべきことは、もっと根っこの
本当の望みに怖くても一歩ずつ少しずつでもいいから、手をのばしていくこと。


って、これは・・・
そう言えば…違う言い方だけど
他の方からも前に言われたな・・と思い出しながらも・・・。


そして
今回それを絵を通して、改めて気づけた。

最初らへんに載せていたこの絵たちは、
理想を描いていいんだ!と気づいてから描いたものたち。

そこに気づくまでは
全ての絵を塗りつぶしたい!吐き出したい!という衝動が強すぎて、まともに描く、という感覚ではなかった。

でもそこがフェイクだと気づいてからは
ちゃんと自分が描いてみたい絵を描いていこう。とグチャグチャじゃない絵を描けるようになってきた。

きっとこのフェイクに気づいていなかったら、私はずっと殴り書きの絵しか描けなかったと思う。

そして、そこから使う色も変わってきた。

自分のネガティブだと
嫌いだと思っている部分も尊重してあげる
価値あるものとして大切にしてあげる。

この合宿中に描いた絵を全部さいごに並べた写真


合宿最後に
ぜんぶ描いた絵を並べてみて気づいた。

それは

ネガティブな部分も全部、わたしの一部なんだな。ぜーーんぶ。わたし。

描いた絵が全部、1枚1枚
自分の色んな性質を示しているように見えて、
それが全て組み合わさって
私を構成しているように見えた。

(すごいよね、なんも考えてなかったのに)


全部わたしなんだ、
自分が嫌だと思う部分も含めて
全てわたしを構成するパーツなんだな。

負けず嫌いな部分も、優しいと感じる部分も、虚しいぐらいに深く悲しく感じる部分も、ドロドロと嫉妬する部分も、キラキラした遊び心も、光を放つ部分も、私はわたし.となる強い芯のある自我も、飛び出したくなるぐらい自由に動き回る自分も、よくわからないけど皆あつまれーな自分も。

人それぞれが
自分のフィルターを通してわたしを見て
「あなたはこうゆう人だよね」とくれる言葉も、その人の見ている私の一部分であり、全部が全部、点と点が繋がってできる、私なんだな..

この絵は最後の最後でとくに何も考えずに
黒を土台にしたいな〜っと思って描いたもの。

正直になんかうねうねしてて変なの。
って思うし、出したくないぐらい好きではない絵。笑

でも、
この絵を見た部屋がずっと一緒だった友達が

ようちゃん、最後にこの絵かけてよかったね、
これ、最初の自己紹介のときに言ってた自分の中で嫌だといってたようちゃんの部分なんじゃないかなー?」
って
(こんな感じの言葉だった)

言われたその時は???って感じだったけど
その言葉は合宿が終わって3日後に腑に落ちた

それは、最初の負けず嫌いで、強くて
嫉妬するのが嫌だと言ってた部分。

それも、尊重してあげるべき、
私の一部だったんだな、
ってこと。

不思議なんだけど
この絵、好きじゃないんだけど
見てたらエネルギー湧いてくる感覚になる。

それが今の私の中の答えなのかも。


合宿終わって5日後、書いてる今。

誰かになろうとしてた。

自分の嫌な部分に背を向けて
他の誰かになろうとしてた。


でも、もがいてもがいた結果。笑

吹っ切れて
この負けず嫌いで強い自分も自分だし
ガンガンだしてこーーー!!って
なった。

そしたらすごく元気になってパワーが湧いてきた。笑

全部うけいれよう!やっぱり
これが私だわ!!って。


本当は最高に嫌いだと思ってたけど

その真逆の
最高に好きな自分の部分なのかも、って。

これが私らしい。
なんかよくわかんないけど私だな、って。

今はものすごくスッキリしてる。

最後皆で撮った写真。


最初は参加するか?すごく迷ったアート合宿。
5歳息子を家族や身内に預けることは大変だったけど、本当に参加してよかった! 

出したもの以上の価値を
受け取った事は間違いなし。

ご一緒してくださった皆さん
本当に心からありがとうございました!



私が今回書いた振り返りと
感想は合宿のほんの一部分。

さらに詳しく知りたい方は
下記の2つをご覧ください。

↓こちらは主催者
中村峻介さんのFacebook投稿

【アートワークショップ合宿・詳細告知】 開始:2022年3月29日(火) 14:00 終了:2022年3月31日(木)...

Posted by 中村峻介 on Tuesday, January 11, 2022

↑私は2泊3日でしたが
↓こちらは3泊4日のやまけんさんもご一緒してる合宿です。 



家に帰ってきて、早速5歳息子と絵を一緒に楽しめてることが
実はけっこう嬉しい!!


最後まで読んでくださった方はありがとうございました!
私もこの記事、大切な事を忘れないように何度も読みます^^笑

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