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子どもを愛おしい、って思える事って全然当たり前ではない。 "愛について"


言葉にすると色んなものが削ぎ落とされすぎる、という感覚がいつも自分につきまとうのですが今回はその誤解される怖さを一旦横に置いて素直な気持ちをかけたらと思います。


そして、自分と向き合ったり、
愛とかそういったものは
これから先も考えは変わるし、

やっても終わりがない部分だなー、
と思うからこそ
今の自分が書いてもいいのか?と思うけど

とりあえず、なんとなく自分の中で区切りだな、とここ最近感じたので残しておきます。

2022.7.30




2〜3年前まで私の内側には
「愛」という感覚がなかった。
正しくは”忘れていた”


前はよく思ってた
なぜ…皆….周りのお母さん達は
そんなに自分の子どものために尽くせるんだろう?って



私にはわからない、それがない
その感覚がスッポリと抜けてた




もちろん、その感覚を忘れていた時は


”愛"
とか
人を愛おしい”

と思う感覚が抜けていたことなんて
全く気づいてなかった。


だって、ないとずっと信じていた世界
28年間ぐらい生きてきたのだから
それが当たり前すぎて疑う事もなかったから






0〜3歳の小さかった息子からは
逃げる事しか考えてなかった。自分のことでいっぱいいっぱいだった。もちろん初めての育児だったからもあるけど


頭がおかしかったのか?
自分が自分でなかったのか

動かない自分には価値がない
という衝動がすごかったのかも。


息子が頭を7針ぐらい?縫う怪我をした時も
息子の心配もしたけど、それよりも仕事するために、どうやったら保育園に預けれるのか?しか考えれなかったぐらい。

その時に保育園2週間以上
お休みしなくちゃいけなかったので海遊館へ




本当に今、
冷静に振り返り当時の事を思い返しても


ちょっと大袈裟な表現だけど

狂っていたなーー、、
少しまともじゃなかった

恐怖に突き動かされてた、、
この表現がしっくりきます。




その当時は今よりも
もっと無意識に自分を責めてたと思う


「なんて最低な母親なんだろう、
いつも息子から逃げたい、ばっかり。
こんな母のもとに生まれてきた息子に申し訳ない」って。


一緒にいたい、という感覚は少ししかなくて
「一人になりたい」のほうが断然強かった。



私に育児なんて向いてなさすぎる。
って何度も思ったし

息子がいなければもっと自由に動けるのに、と
最低かもだけど何度か思ったこともあった。





だから、、
私がこの写真を見て涙が出そうなぐらい
自分によかったね」と思うのは

息子も私のこと好きすぎるんですけど。笑


息子を心から愛し、存在をただ愛おしい、
と感じることができているのが
すごく伝わってくる表情を私がしているから


「本当に好き、本当に愛おしい
本当に生まれてきてくれてありがとう」

自分の表情がそれを物語ってる
本当に、ただ、存在が愛おしい」って

この写真をSNSで
あげた時に他の人からも


「すごくいい写真だね、
息子くんのこと好きなの
めっちゃ伝わってきて感動した」

って何も言った事ないのに

わかる人には何か伝わったのか
そうゆうメッセージをいくつか頂いた。

それを聞いたとき
「そっか、私が思ってた事、写真から
他の誰かにも伝わるぐらい私は息子の事を想える親になったんだな」って


もちろん、今でも一人の時間は好きだし
自分のやりたい事に時間を注ぐ時間は必須だし
自分の事に必死だし、笑


でも、昔みたいな感覚とは全然違ってて 

もし息子が体調崩しても
「息子がしんどいなら、仕方ないかー。
一緒にいてあげよう。」

と自分の事のように息子の事も想えて、
大切にできるようになった。



というより、やっと
息子も自分の人生の一部だと覚悟
ができたのかもしれません


家族を、息子を
やっと自分の人生の一部に組み込めた感じ
(おそ、、)



それまでは家族は
ただの1人1人の人間の集まり


だから、自己責任、みたいな。
もちろん困ってたら助けるし、支えるけど
心のどこかでどこか少し他人事みたいな。




すごい微細な感覚と
感情なので説明が難しいのですが....


一人一人の集まりなんだけど
背負う覚悟ができた、って
感じなのかな?家族に何か起きたら
自分事に考えれるようになった、という感じです。


自分と真剣に向き合い始めたら
悲惨なぐらいトラブルが多発した
3〜4年間

人生初めて脱水で入院した日。

この後、初めて喧嘩した事ない夫と
ガチ喧嘩になった。

過呼吸にも初めてなり、びっくりした日、
もうボロボロだった。
(過呼吸とかメンタル弱い人がなるから一生無縁だと思ってたのに)



4年前に突然、本当に突然(笑)
出会ったカウンセラーさんとの出会いから
初めて心の世界を知った時から

私の27年間押さえつけて生きてきたもの
と自然と向き合うことになった。


その時はビジネスを上手くいかせたい!
しか考えてなかったので、
とりあえず行動できるために自分を変えていかねば!みたいな感じで

そこまでカウンセリングが何をやるか
よくわからないまま好奇心のままに受け始めたのだけど、、



そこから私の悲惨な
約3年間の幕開けだったと思う。笑



この3年間は人生の不幸が全部いっきに溢れ出したかのようにきたんじゃないか!
と思わされる出来事の連発だった。
(カウンセラーさん的にはすごい順調だったようです^^;)



私の中では辛い事が起こりすぎて

心の世界の扉なんてひらくんじゃなかった。

自分の本当の気持ち、感情なんて
見たくなかった。ひらくんじゃなかった


って何度か思った。




でもそりゃそうだ。

27年間押さえつけて、
感じないようにして
見えないようにしてきたもの
隠してきたものが
知らず知らずの間に
私が我慢する事で収まってきたものが

ぜんぶただ表面化しただけだったんだな、って
今は改めて書いてて思う。



ただ、出来事の一つとしてあった事を
恐れずそのまま書いてみると、、

真夜中に突然
「死にたい。。死にたい!」って
もう自分じゃない
コントロールがきかない感じで
頭おかしくなったかのようにノートに書き殴ることもあったり・・

ずっとお世話になってた
カウンセラーさんにそのことを相談すると
「どんだけ我慢して生きてきたの...」って
その時に言われた・・・


我慢なんて1ミリもしたことない。
自分のやりたい事は親が反対してもやる!
って今まで選択してきたつもりだったのに...


全然だった。


なんか改めて、、
こうやって書くきながら振り返って思うけど
やっぱり精神状態がちょっと普通ではなかったのかも^^;

でも、周りから見ると
普通に見えてたそうです。

しんどい、って言っても伝わらない、
しんどさアピール下手くそで。笑 
すぐに笑って伝えちゃうからさー。

もちろん、私の良さでもあるとは
思うのでバランスですね、

無気力になって身体動かなかった時、入院時も
毎日毎日ノートに自分の気持ちを書いてたり、内省?してた。
その時間が私にとって唯一ホッとする時間だった。

ノートとボールペンは友達🤝って本気で思ってたし、今も思う。


感じないって
ぶっちゃけ楽な側面もある




ずっと淡々とこなせたり、
人の気持ちにも鈍感だから
周りからは強い人、気にしない人に捉えられるし
どこか自信がある人にも見えたり

鈍感だからこそ、
細かい事が気にならないからこそ
自分の意見をハッキリ言えたり


でも、それと同時に
自分の気持ちがわからない分
相手の気持ちもわからないから

知らず知らずの間に人を傷つけていることもある。



今も人間なのでそりゃ失敗することもあるし
意図してなくても
人を傷つけてる事もあると思うけど

昔の自分を振り返った時
なんか、、今よりももっと
色々無頓着すぎた感があった…..




でも
一番辛い時期がとりあえず終わってから

自分と向き合ってよかったな、
お疲れ自分、よくやったね、とは思っているけど

正直に、まだこの感情とか気持ちを感じるのって
めんどくさいな〜って思う事はやっぱりある。
だいぶ体感的にわかってきたけど、まだ上手く付き合えてない感はあるからかな?と思ったりしています。

ただ、前よりも格段に良い部分を
感じ取る力も高くなったし
人から受けとる力も高くなった事

周りの人も
「何でこんなに
皆優しい人ばっかりなんだろう?」って
不思議に思うぐらい。

家族との関係含め
昔の自分が見たら驚くだろうな、ってぐらい3〜4年前ぐらいに願ってた理想が叶ってきてる

でも、その度に人間ってば贅沢なのか
過去を美化する癖があるのか(笑)
また何か新しい「こうなったらいいな」
の理想をつくるところがあるし、

気を抜けばすぐにないところに
目がいってしまうから
意識して”ある”に目を向けたいな〜と思いながら





まぁ、、今ではこんな事言ってるけど
こうやって思えるまでの期間は


息子からは、これでもか、ってぐらい
自分の嫌な部分、
禁止している部分を息子に見せつけられたし


夫となんて、出会ってから4年間ぐらい
ほとんど喧嘩なんてした事なくて仲良しだと
思ってたのに、まさかの喧嘩だらけになったし。

とりあえず離婚する決意は
多分4〜5回ぐらい出たw

(これは子どもができてから、隠れてた問題が表面化しただけなとこはあるけど)


しかも私自身、病気とかもしない人だったのに
この3年間は意味不明なぐらい病気だらけだった。


体が動かなくなってプチ鬱みたいな状態になるし

入院とかも無縁と思ってたのに

突然脱水になって
意識なくなって倒れて入院なるし


20cmぐらいの嚢胞ができて
手術することになって脾臓なくなるし


救急車はじめて呼ぶぐらいに体調崩したり


他にも激しく何度か体調崩すし

そのたびに大袈裟かもだけど
「私、死ぬかもなーー、、」って何度も思った^^;



なんか、書いてたいちいち激しいな!と、
思うんですけど😂


当時はすごい苦しかったんですけどね、
全部、誰かのせい、運命のせいにできたらどれだけ楽だったか。




こんな感じで色々身体に負担がかかり過ぎた事でまた何かに向かって動き出すって
相当な恐怖がつきまとう行為だったので
そこの怖さをとるにはだいぶ時間がかかったし


今もまだ心がズンっと重くなる事があって
すごい力で引き止められる感を感じながら
その度に自分と会話してます。




そして、このいちいち激しく
何か起こすのも卒業したいなーっと思ってて
もう少しシンプルに進みたいのでそこは意識改革中。だいぶ、前より多分マシになってきた感💪🏻



過去・過去生
親との関係に向き合い
親ではない人から
愛の感覚を教えてもらった

全く関係ない、いつかの写真



もしかしたら
息子を愛せるようになったのは、
育児に慣れてきたからじゃない?

子どもが大きくなって
楽になって自分に余裕がでてきて
そうゆう感覚を持てるようになったからじゃない?

と思う人もいるかもしれません。



でも、違うんです。これは断言できる。




ある時、
自分の気持ちが爆発しそうな衝動に駆られて
この気持ちを受けいれてくれる
お母さん的な存在の人に会いにいったとき


私はその日
もうまるで子どものように
その人に抱きついて、泣きじゃくった。

叫びながら、
うわーーーーーーん。って泣きながら

何も隠さず全部受け止めてほしかった気持ちを
出しまくったんです。

もう恥ずかしくて言った言葉は覚えてるけどさすがに書けないレベルです😅


そして、その方は全部受け止めてくれた。

私がずっと
お母さんに言ってもらいたかった言葉を
その人はお母さんになり切って全部言ってくれた。


「産まれてきてくれてありがとう。愛してる」
って何度も何度も強く抱きしめてくれながら。



これ、書く必要あるのかわからないけど
一応書いておくと

過去生の時に
自分の母との関係ですごく辛いものがあったけど
(もぅ、こうゆうのは細胞レベルで感覚的に覚えてる恐怖)

今の現実が引き上げてくれたのか
その過去の記憶さえも書きかわった瞬間だった。




そして、最後に


「陽子ちゃん、
愛ってこれだよ、これが愛なんだよ。」

という
お腹あたりから湧き上がってくる暖かい感覚
教えてもらった。



私の息子はよく
「ママぎゅーして!!」って
何度も何度もしつこいぐらいに言ってくる時期があって


それを言われるたびに
「私の愛情が足りてないんじゃないか・・」
と、よく悩んでいたのですが

でもその日に

「息子くんは、
陽子ちゃんを抱きしめてくれてるんだね」と
言われたとき、また涙が止まらなくなった。


私が抱きしめてると思ってたけど、違った
息子が私を抱きしめてくれてたんだ、って。


私がずっと無意識に
母に求めていたものを
息子がずっと私に与えてくれていたんだと気づいた。




その日
息子を見た時に衝撃を受けた。
あの感覚を今でも忘れられない

へへへ



その日

家に帰宅して息子を見たときに
今までにない感覚を味わった。

ただ、愛おしい。
歩いてるだけで愛おしい
存在してるだけで可愛くて可愛くて仕方ない。


びっくりした

え、、子どもって
こんなに可愛くて仕方ないものなの?!
ただ、目の前にいるだけなのに。。。


と、本気で初めて思った


それと
私はもともと管理栄養士でダイエットのサポートをしてた事もあり、食欲と体の関係、食欲と栄養の関係、食欲と心の関係
当たり前に常に研究し続けたのですが

その日から

食欲も今までとはまた違う感覚

食べた時のお腹の満たされた感が全く違う

ぇえ?!こんなに変わるものなの?!!って


食べた時の満たされ感が
やっと普通の人と同じ感覚になった気がする。
と思った日だった。笑

私の中でこれは食事の勉強を始めた時に
この食べても埋まるけど、どこか埋まらない感覚。の原因は、多分、栄養とかじゃなくて
心の何かが埋まってないんだろう、って思ってた仮説が「やっぱりなー」っと自分の中で
納得した日でもあった。
(これについては別記事で書けるぐらい
まだ言いたいことあるけど今回はさすがにやめときます。笑)


その日にその変化をいっきに味わったから

あの日のこと
あの日の衝撃を今でも忘れない。


私にとって
めちゃくちゃ心が動かされた日でした。



(もちろん、この日は大切だけど
今までの色々な積み重ねがあっての上です!)

一生答えの出ないような
この"愛について"の問い
が常にありながらも、今感じてること

ここまで書いて一体何が言いたいんだろう?と思った

ただ、私にとって
ずっとなかったこの感覚
人を愛おしいと思えるこの気持ちを思い出した事。

人生がめちゃくちゃ変わった出来事だったから
ちゃんと書いておきたいな、って思っただけだなーって


やっぱりどんなことも陰と陽があるように
コインにも表裏あるように

この温かい感覚を知ったと同時に
自分の想いの強さ、少し重たい想いまでも
自覚するようになったので
正直にちょっとめんどくさい。笑

でも、これも自分だな、とここ最近は
受け入れてこれた、と言う感じです。

まだ上手く付き合い方がわかってない感もありますが・・・


今の私にとって自分を愛するとは?

ここ最近わかったのは

自分を愛するとは
ただ、”自分である”ことなんだって

肯定も否定もない
それ以下も以上もない
プラス、マイナスもない
ただのゼロ地点

ただ、そこに私がいる。
私が私である。

ただ、それだけなんだ、ってこと


ほんと、、何言ってんねん、って
声が聞こえてきそうなぐらい
説明が難しいですよね、、

私も初めて言われた時
?????って思いましたもん。笑



でも、ここ最近で
コレを体感した時に
あー、なるほど。って感じた



まだ私も身体が覚え込むぐらい
染み付いてはいないのですが
少しずつ思い出しやすくなってきたな、
という段階です。



ちゃんと言葉で言ってみると

よく聞く言葉ですが

大嫌いだと思う自分も
どんな自分も受け止めてあげる自分である、
どんな事があっても私がそばにいるし
私が私の1番の味方だし


誰といようと、誰が隣にいようと
私が私を幸せにするし、私が私を満たす
という覚悟を持つ

って事なのかな、っと

そうしたら人間関係でも
穴を埋めるために付き合う人間関係ではなくて

お互いを尊重しあった
凸と凹の関係で補い合えるようになるのかもしれない、って思ったり


ってこんな簡単に言ってるけど

ブレながら、悩みながらも
忘れず、ソコにかえってこれる自分
あれたらいいな〜!と今は思います。


最後に
3年前に書いてたブログの記事を。

3年たった今でも
大事でずっと忘れたくない
言葉だと思ったから



もともと
生きることに意味なんてなかった
生きることに意味なんて必要なかった

意味なんていらなくて
ただ、存在がある、それだけ

価値がある、ないもない
ただ、ある、だけ

ある、ない
どーでもいいのかも。

私が生きる意味がないと
生きれない。と思っていたのかな・・

「あんたは産む予定ではなかった」
と言われた言葉で
親にいらないと思われてたと
知らない間におもいこんでいたから
ずっと生きる意味を探し求めていたんだよね。


ずっと
埋まることのない
もともと最初から存在していない
パズルのピース
を探し求めて

頑張って頑張って
外堀を埋めるかのように探していた

もっと
もっと
もっと
頑張らないと!!!!!


もっと
もっと
もっと
生きていることに意味を
見いださないと!!

って。


愛がないと生きている意味がない。
と思ってその愛を探していた


でも・・・・

愛がない。と生きている意味がない
と思っていたけど
これも思い込みなんだってさ


でも、そりゃ
もともと生きることに
意味なんて必要ないんだから

ただ、いることに意味がある。
存在に意味がある


ただ、言いたいのは親に必要とされないと
愛されないと生きる意味がないなんてないから

誰かに認められないといけない
なんてない、親にでさえ


もともと埋まらない心なんてない

最初から誰にも認められないくても
もともと埋まっている

私たちは最初から100%。
誰に何を言われても100%

心に埋まらない穴ないし、なかった
何気なく親に言われた言葉が
心の奥底に埋まっていて
古い傷になっていることなんてよくある

そこは自分と向き合えば
必ず出会えるし、癒される


だからいま、もし

人目が気になって
自分に自信がないとすすめなくて
誰かの意見を気にして
自分をずっとせめている
自分をずっと私なんて。と下げている

そんな人は
あなたが悪いわけじゃなくて

ただ、ただ
自分の感情や本音に蓋をして

我慢して頑張って
それが当たり前になりすぎて
わけがわからなくなっていて
根本的問題にたどり着けていなくて
思い込みがたくさんあるだけなのかも


まずは自分の感情を気持ちを
無視しないことからしてみよう。
些細な感覚を感じる努力をしよう
なんとなく感じている感情を深堀しよう。


2019.7.31

ずっと昔から同じ事言ってて
変化してないように見える
でも、それは言葉だけ


3年前のブログ記事を読んで
言ってる事変わってないなーー。って
毎回思うのですが

書いてる言葉は変わってなくても

間違いなく
同じ言葉を発する自分の在り方
感覚、気持ちも変わっているから

私にしたら全然違う!!!!!!


だから、、、

これからも
忘れるたびに、思い出す度に
何度も何度も同じこと言い続けるかもだけど
それは許してください。笑


こうやって書いて残すことで


最後まで
読んだ方がいれば
ありがとうございました。
そして自分にもありがとう。


毎度こういった記事を書くたびに


過去の自分に敬意を表して
ちゃんとこの想いは残したから
私は次に行くね、お疲れ、ありがとう。


と、言ってる気持ちになって
心がスッキリします。 


1年前から書きたかった
愛について、抽象的な表現が多かったけど
やっと書けてよかった


🌞

2022.7.30  あんじ陽子


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