私たちはいつか笑われるだろうか
2020年8月15日、75回目の終戦記念日です。
現在再び動き始めたいくつかの舞台公演の感染予防対策の支援に従事しています。
この特別な年の夏、舞台公演を行ってよいのかどうかということについては様々な議論があってしかるべきだと思っていますし、「とんでもない」という声があることも承知しています。
しかしそれでも舞台公演を必要と考える人がいて、そして確りとした思慮をもってそれに取り組もうとする人たちを偶然にも応援できる状況になってしまった私はできる限りのことをしたいと動き始めました。
(この「偶然」については既にご存知の方も多いと思いますが、いずれあらためて書きます。)
このコロナ禍で舞台公演をする際に、必要な対策が不足することはあってはいけないことですが、逆に限られた予算の中で運営されている舞台公演においてエビデンスのない非科学的な対応に無駄なコストをかけないことも重要であり、現在散見されるそういったものをジャッジして整理していくことも私の重要な役割だと考えています。
しかし実際に現場で対応に当たってみて感じているのは、たとえそれが非科学的であっても、それによってお客様が安心したり舞台公演をすることに対しての社会の理解が得られることもあるということです。
これについて議論する機会が与えられるなら、不安に思うお客様や舞台公演を批判する方々を論破説得することは可能なのですが、今最も重要なのは単にその公演で感染を起こさないことだけではなくて、相互にできる限り安全にそしてできる限り安心して公演が行えることなのだと日々感じています。
その時に思い出したのが、あの太平洋戦争の末期に爆撃機を竹槍で突いて落とそうと訓練をした人々のことです。
これについてはあらためて詳細な説明をしませんが、もちろん当時の人々も竹槍で爆撃機が落とせるとは思ってはいなかったでしょう。
けれどもそれくらいの必死や真剣がそこにはあったのだろうと思います。
それは現在の私たちには滑稽にも見えますし、同時に測り知ることもできぬような精神性を感じます。
そういうことを考えて、自分の役割はできる限り科学的な感染防御策を考えるとともに、公演のためにできる限りのことをやりたいと思うカンパニーの気持ちを尊重して見守るべきなのだと思うようになりました。
だからこそ劇場や演劇祭などその上部組織の掲げる感染対策のガイドラインはエビデンスベースで誰が見ても納得のいくものであるべきだとも思っています。
蛇足ですが、このコロナ禍を戦争や地震災害や原発事故などと同じように考える方の声を聞くことがありますが、それは危険なことであっていつも事象は個別に考えるべきだと思っています。
それは感染対策を考える上でもとても重要なことです。
ですから私も現在の状況を戦時下のように考えているのではないことは明言しておきます。
何十年か経って、2020年に現在のような対策をしながら舞台公演を行った人々がいたことが語られ、その時私たちは笑われるのかもしれません。
この文章はそれまで残ることを望みながら書いているものではありません。
それよりも今舞台公演をするために必要な感染対策とはどのようなものなか、それを共有しながら考えることができればと思い綴ってみます。
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