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時間を教えて

ここ数日、時間について考えている。
時間はあまりに身近で、手放すことが出来ないからこそ 理解したような気に陥りがちだが、ワタシは全く理解していないことに酷く寂しさに似た感情を覚えた。


ここ数日、時間について考えている。


’時間’というものを理解すどころか、感覚的に掴むことすらも難しすぎる。
時計というものがアルが それは道具であって時間の本質ではないと思う。
時計は時間によって変化させられているモノであり、時間そのものではない。

だからこそ、時計で見られる時間に縛られてしまう...。


短い時間をを切り取る’写真’に大きな時間がかけ合わされると’動画’になるし、
絵であればアニメーション
なにかのメディアに時間が加わると 言葉で表しにくいが 情報が爆発的に加わる。


ワタシが現時点で思うのは時間の理解の難しさは 大きな 時間の感覚を得るためには 大きな時間の中で生きていなくてはならないところにある。
時間を相手に共有、共感(そもそも感じるものなのか分からないが)させるのは、とても難しいことだと感じている。


これを上手く表現していると思った二つの例を挙げる。


1:写真美術館で 構図は伝統的な静止画を意識した 果物が腐る様子を動画に取った作品があった。
(ワタシはこの作品の作者やタイトルが全く思い出せないので、なにか手掛かりを持っている方がいましたら教えてほしいです。)
たとえそれが、採れたての果物の静止画一枚、腐った果物の静止画が一枚であっても時間を感じられる。


2:涼宮ハルヒのエンドレスエイトの衝撃は芸術だった。


静止画は大きな時間を使って小さい時間を描いている。
写真はとても小さな時間を切り取っている。
文章にも時間がある、
読者はそろそろ飽きてきたところだろうか。


なんでもいい、何も分からない、本でもブログでもなんでも時間に関する理解を推し進めてくれるような?情報を教えて頂けると嬉しいです。


それでは。