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いま「つながる」を、三次元にする。

磯野真穂さん主催の「他者と関わる」、第二クールに参加しています。

文化人類学に触れるのは全くの初めてと言っても過言ではない私でも、とても分かりやすくテーマにそって紐解かれていく講義は刺激的かつ魅力的で、私たちの営む「生活」とは何か?を考える良い時間になっています。

そんな中、本日のテーマは「日本の組織」についてでした。

講義が終わって、シャワーを浴びて、その間に思考の整理をしていて、髪を乾かすのも惜しい位にこうしてパソコンに向かい文章を書いています。

いま湧き上がってきているこの思考を、温かいうちに形に残しておきたい。そう思うがままに文字を打っていますので、どうかそのつもりでお読みいただけたら。


さて、今日のテーマでは、日本の縦社会(便宜上こう呼ばせてください)がどう私たちに影響してきたのかについて学びました。

一見すると、この「縦社会」の構造は百害あって一利なしのとんでも社会のように思えるかもしれませんが、実はその恩恵も十分にあり、私たちの生活において大きな意味を持っていたんだと感じることができました。

私は、今も昔も、きっと人々が自分以外の誰かと繋がるということには想像を遥かに超える意味があり、ある種の人間らしさのようなものを形成しているんだと思っています。

そんな講義の最後に、こんな問いがありました。

「場での繋がりを解体した時、私たちは何で集まることができるのだろうか」


自分以外の他者と関わり合うことで、私たちは生物として、生理学的な反応を発達・統合させながら成長していくんだと考えると、コロナ禍で提唱された「新しい生活様式」では私たちは何かとんでもないものを代償として失っているのかもしれない。そんな気がしてきます。

この問いからも、それはイメージすることが可能です。

会社、バイト先、学校、サークル、飲み会、勉強会、ジム・・・

様々な人との関わりを持つ「場所」が、制限されました。

もちろん、背景にはいろんな思慮があってのことです。

ですが、私たちが(たとえ無意識にだったとしても)関係性を築くきっかけとして関わっていた場所と、突如接続を遮断されたら。

きっとそれは精神的にも、肉体的にも何かしら影響を及ぼすはずです。

初めは、雑踏から湖畔にでもワープしたかのような静けさに安堵して、ものすごく心地よく過ごせていても、私たちは「ひとり」で生きていくにはあまりにも繊細な生き物なのではないかと思うのです。


ここで先ほどの問いに戻ると、その場所との関係性が希薄になってきた今、何で私たちは集い、繋がれるのか?

それはきっと皆さんもご存知の通り、インターネットの世界が大きく役に立ってくれているんだと身をもって感じます。
事実、この講座もzoomで参加できるのでね。


ここからは、私の個人的な話ですが・・。

こうした文明はさておき、それでもやはり人と人が「直接顔を合わせる」ことをやめたくは無いし、どうにかして出来る方法は無いかと考えてしまいます。

以前もnoteに書きましたが、私は10月にボディワークサロンをオープンします。

覚悟を決めた時期は、他でも無いコロナで自粛していた日々です。

そんな私もオンラインでのクラスを開催していますが、それだけでは満足せずに

「なんで今、サロンを物理的にオープンするのか?」

これに関して、今回の講義のおかげで
当初よりもより鮮明に言葉にすることができたと感じています。


私は、止むを得ない事情で関わりのあった「場所」と疎遠になってしまった人に、いま感じている感情や、考えている思考を目の前に広げ、認め、整理していく新しい「場所」を提案したいのです。

そしてその場所は、身体的な距離を感じられる場所であり、そのことによって対面でしか経験することができない生理学的な「つながり」を生み出す環境でありたいのです。

ボディワークで解決したい事柄は、場所の有無によって必ずしも変わるわけではありません。(腰痛とか、肩こりとか、頭痛とかね)

ただ、その自分の感じていることを発する場所として存在しよう。

そう思ったから、私は
いま「つながる」を三次元で実現できる場所をつくるんだ。

と、シャワーを浴びていてビジョンが言葉になった感覚がしたので、思いつくがままにnoteに書き留めました。


最後になりますが、世の中で起こっている全ての施策や個人や団体の努力を否定するつもりは一切ございませんし、あくまで個人的な感覚を言葉にしたものだとご理解いただけたら嬉しいです。

ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました!

2020年10月
木村みほ

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