「虎に翼」を毎日見る~千人針と向田邦子氏と三淵嘉子氏

向田邦子氏の著作の中に(小説だったか、エッセイであったか、遥か昔のことであるので記憶が曖昧だけれど)第2次世界大戦中の町で、千人針を行う様子が描かれていた。向田氏の原作の新春のドラマでも千人針の場面があったように記憶している。
千人針とは出征する兵士に持たせるお守りのようなもので、白い布に赤い糸で一人一目、玉結びを作るものである。町の往来などで声を掛けて縫ってもらっていた。基本は一人一目だが、寅年の女性は特別に年の数だけ目を作ることができた。虎は「千里行って、千里帰る」と言われることに由来している。
出来上がった千人針は腹巻のように巻いている兵隊が多かったそうである。

朝の連続テレビ小説「虎に翼」で、主人公の寅子が「五黄の寅年生まれ」と聞いて一番に思い出したのが千人針のことであった。直言の初公判が行われた昭和11年(1936年)の2月には二・二六事件が起きた年で、結果的には、そこから陸軍の政治干渉が強くなっていき、日本は一気に軍国色が強くなっていく。
日中戦争の始まりの盧溝橋事件が昭和12年(1937年)、真珠湾攻撃が昭和16年(1941年)。軍靴の音が聞こえてくる時代だっただろうと思う。
竹中記者が寅子たちに「これからこの国はどんどん傾いていくぜ」といった通り、日本はタガが外れたように、アジア各国に侵攻していく。そして、日本国内では夫や兄弟、息子たちが次々に徴兵されていき、内地に残った女性たちの手によって、たくさんの千人針が縫われたのだろうと思う。
寅子のモデルとなった三淵嘉子氏は原爆裁判で「アメリカの日本への原爆投下は国際法違憲である」という判決文を書いたことでも有名だが、「寅年生まれ」の寅子が千人針を縫う場面が描かれるのか、気になるところである。

戦時中日本兵の千人針や日本国旗、そのほか所持品、また、非人道的にも遺体の一部が持ち去られるようなことがあったと聞いたことがあるが、あまりに目に余る行為であったため、米軍が禁止令を出すほどであったそうである。戦争は人を狂わせる。今さら、私ごときが言うまでもないが、戦時は通常の思考ができなくなる。
日本も今、おかしな方向に政治が傾いているように思う。今の日本はすでに戦前であると考えられるのではないか。たった80~90年前に、あんなに悲惨な結果に終わった戦禍を経験した日本が、今また戦争へと向かっているのはとても愚かなことだと政治家は気づかないのだろうか。自分と自分の身内の私腹を肥やすことばかりにとらわれて、国民の声をまったく聞こうとしない政治家ばかりで、このままだと日本はなくなってしまうかもしれない。そんなことになる前に、日本国民が声を上げなくてはいけない時期に来ていると思う。

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