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ピアノ弾く

小学校の、3年生辺りから中学2年生くらいまで、ピアノを習っていました。

家にはYAMAHAの古い(でも良い音がするの)ピアノがありました。従姉妹が使っていたのを譲り受けたものでした。
年に1回、調律師さんが来て、調律してくれました。その度に、「このピアノ、使わなくなったら、ください」と仰っていました。
年代物だったけど、良いピアノだったようです。

ちなみに調律師さん(Tさん)はすごくピアノの上手い方でした。
私が小さい頃は、調律後、「弾いてみて」と言って、私が練習曲を辿々しく弾いているのを微笑んで見ていてくれました。
「でも、Tさんは、もっと弾けるんでしょう?」と聞いても、「弾けない、弾けない。今だって、(私が弾いた)その曲の名前も分かんないもん」と言って、笑ってかわしてしまいました。
でも、私が中学生になる頃、調律後にTさんが圧巻のテクニックでピアノを弾きこなすのを聴きました。
「Tさん、凄く上手いじゃん!!」と思って、恥ずかしくて、その後Tさんの前でピアノを弾くのをやめました。

ピアノを習い始めた頃の教室は、幼稚園の一室でした。
先生は女性で、子どもの目から見ても、とても美しい人でした。肉眼でもソフトフォーカスが掛かっていて、キラキラのマークが飛んでいるのが見えるくらい、綺麗な人でした。
5年生くらいまで、その先生に教えてもらいました。レッスンの最後に、先生が弾いた音階を歌って終わるのが常でした。

5年生になると、その先は先生のお兄さん(某音大の准教授)に教わるように言われて、3駅離れた街に習いに行きました。

綺麗な先生のお兄さんだから、ハンサムな人なのかな、と思っていたのですが、普通のおじさんでした。
指の回りの練習曲、バッハのインヴェンション、ソナタ集を弾きました。レッスンの最後に、先生が弾いた旋律を歌って、それを楽譜に起こし、見てもらって、終了しました。
「アンタ、左利き?」とよく聞かれました。すごく小さい頃に、お箸を左手で持っていて、母に「お箸は右手でしょ!」と叱られた記憶があって、もしかしたら、元々は左利きだったのかもしれません。
それにしても、生徒を「アンタ」呼ばわりしちゃう先生のコミュニケーション能力に「大丈夫?」と思いました。大学でちゃんとやっていけてるのかなぁ、と思っていました。

私は指の回りの練習曲が苦手でした。
理由は単純で、「つまんない」からです。(ほんとうはとっても重要な練習です。)
それぞれテンポの基準があって、先生は正確にメトロノームに合わせて弾くことを要求しました。
心の中でげんなりしながら、レッスンに臨みました。
また、先生は楽譜通りに演奏することを求めました。楽譜の指示通りであれば良い、という教え方でした。私はそれがあまり性に合いませんでした。
けっこう適当な練習をして、毎週レッスンに通っていました。当然、先生からは「アンタ、練習しないから」と言われました。


年に1回、ピアノの発表会があって、それに合わせた課題曲が与えられました。
ある年、私は与えられた曲を「やったろう」と思って、超真面目に練習しました。
そんなに難しい曲ではありませんでしたが、とにかく弾きこみました。
何度も何度も、「この表現はどうだろう」と楽譜を読み込み、旋律に乗せました。
その年の発表会、私は課題曲を、練習で掴んだ感覚を胸に、流れるように展開して、最後の一音を、深く深く響かせて弾き終えました。

その次のレッスンのとき、先生が、「うちの奥さんが、アンタのピアノ良いって言ってたよ。アンタ練習しないのにね」と言いました。
いや、練習したのよ、あの曲は。
それがきっかけで、私は次回から先生の奥さんにピアノを教わることになりました。

先生の奥さんも、とても綺麗な人でした。
「何故こんな綺麗な人があの先生の奥さんなんだ?」と不思議に思うくらい、お綺麗な方でした。
そして、ピアノを弾く感覚が近いかたでした。
奥さんは、楽譜の指示通りに弾くのは基本だけど、それ以上に、『私らしい、私のピアノ』を認めてくれました。
指の回りの練習曲はほどほどにして、毎回課題曲を鉛筆でリズムを取りながら、静かに、深く、私のピアノを聴いてくれました。
一曲が合格ラインに達すると、次の課題曲が与えられて、奥さんに教わるようになってから、私はピアノが楽しくて、たくさん練習するようになりました。
私は古典が好きで、課題以外の曲も勝手に練習しました。
「先生、これ練習してみたの」と伝えると、優しく「弾いてみて」と言って、奥さんは聴いてくれました。
奥さんに教わっている間、注意されたりしたことは一度もありませんでした。
奥さんに巡り会えて、ピアノを教えてもらえたのは、私にとっては大きな幸せな時間でした。

中学3年生の頃になると、受験のために、ピアノを習いにいくのはやめました。
でも、ピアノは弾いていました。
音楽の教科書の伴奏をアレンジしてみたり、好きな楽譜を買ってきて練習したり、高校から大人になっても、ピアノは続いていました。

今でも、音楽を聴いていると、勝手に指が動いて、その旋律を弾いています。空気ピアノです。
鼻歌を歌いながら、見えない鍵盤を弾くのは、私にはとても自然な、楽しいひとときです。


数年前、『鋼と羊の森』に出逢い、『ピアノの森』に出逢いました。
改めて、ピアノの素晴らしさ、ピアノを弾く喜びを感じることができました。
実際の鍵盤に触れることはないけれど、私はまだ深く、秘めやかに、ピアノと繋がっています。

先生方、たくさん、ありがとうございました。
今も、私、ピアノ、弾いています。


では、今日はこの辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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