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書の道

書道というと、真っ白な半紙に黒い墨の文字、というイメージを持っている方が多いと思います。
でも意外と(もしかしたら私が子どもの頃、書道を習っていたせいかもしれませんが)、書かれた文字や書体から、色味が着き、風景が浮かび、香りが漂ってきたりします。
書はとても面白いものです。

私は、書道は小学6年でやめてしまったのですが、お習字セットはずっと保管していました。
大人になると、専門店で筆を買ったりして、硯も良いのが欲しくなって、もちろん上には上があるので限度はありますが、揃えるのが嬉しかったりしました(自分のお金でお道具買うの、楽しい)。

お道具の出番は、主に御祝儀袋の記名でした。
それ以外は、仕事が休みの日の夜とかに、静かに墨をすって、筆を浸して、お勉強(自主練)しました。
筆耕さんというお仕事があると知ったのもその頃でした。

お手本にさせていただいたのは、武田双雲さんの書でした。
書って不思議なもので、同じ字を書いても、書家さんによって雰囲気が全然違うのです。
好みの問題なのか分かりませんが、私は武田双雲さんの書にとても惹かれて、練習をしていました。

双雲さんの書いた、仮名文字の『しもねた』の四文字を見たときは「参ったなぁ…」と思いました。
『しもねた』からは、秘めた、しっとりとした雰囲気が滲み出ていて、そして、双雲さんの遊び心(イタズラ心)が溢れていて感嘆しました。
『しもねた』という言葉は下ネタで、そんな大っぴらに書くものではないという意識を抱いてしまうのですが、それを裏切って、流麗な柔らかい筆遣いで見事に『下ネタの本質』を書き表わしてしまう双雲さんの力量、ほんとうに素晴らしいと思いました。
あんなに美しい『しもねた』、ないです。
芸術の域に達していると思います。極上。


大人になっても書を習っている友人と一緒に、その会の展覧会を見に行ったことがありました。
そのなかに、王羲之の模写らしき書を見つけました。
「え?!王羲之??」
王羲之の書は実物は存在していなくて、私が以前目にしたのも写しなのですが、その会で見たものも、とてもよく書けていて感動しました。

王羲之(おうぎし)は、むかしの中国の超有名な書家です。
伝説の書家です(書聖)。
書をやっている人なら、みんな知っていると思います。
多くの王侯貴族が、王羲之の書を愛しました。
ある皇帝は、「自分が死んだら墓に入れてほしい」と王羲之の書を集めさせたそうです。

王羲之の子孫の男の子(確か直系だったと思う)が存在して、書を学んでいます。上手でした。
私がその情報を得たのはずいぶんと前のことなので、おそらくもう男の子ではなく、成人(中年)男性になっていると思います。

王羲之みたいな字、書けたらなぁ。憧れです。


書の道は、奥が深くて、楽しいです。
私はむかしから趣味がじぃじっぽくて(いや、ここは渋いと言っとこう)、今度、忘れなかったら、焼き物の記事書きます。


では、今日はこの辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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