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映画 林檎とポラロイド 考察 ネタバレあり

変わった設定から受ける印象とは違ってこの作品はそこまで難解な映画ではないと思うのですが、ネットを見ていると意外と違う意見の人が多いみたいなので僕の考えを書かせてもらいます。
いつもの様に結論から言うとこの物語の結末からわかるのは「主人公はそもそも記憶を失っていなかった、記憶を失ったふりをしていた」という事だと思います。

その根拠を言っていくと、一番わかり易いのは主人公が知り合いの犬と再開するシーンで一切の記憶がないはずの主人公がその犬の名前を覚えていた事です。
たまたまその事に関する記憶が復活したのなら自分が何者かを知りたいはずなので普通ならその犬の飼い主に「僕はその犬の事を知っているのですが、もしかすると貴方も私が誰かをご存知だったりしますか?」と聞くはずです。
もし知っていたらその時点で身元特定成功ですからね。
それなのに主人公は飼い主から逃げる様にその場を後にしています。
まるで過去の自分と向き合う事を避けているかのようです。
勿論その事を病院にも伝えていません。

他にも感覚的には生まれて初めてという事になってるはずの注射や高所を怖がったり、好きな音楽を口ずさんだり、ダンスを踊れたり、数字や妻の死と墓の場所を覚えていたりと記憶がないとするならば不自然過ぎるシーンが沢山あります。

そして一番は原題にもなっている「林檎」の存在です。
主人公は林檎が好物というのが唯一解っている自身のアイデンティティなので、ずっと林檎に固執しているのですが、あるシーンから林檎を食べなくなります。
それは果物屋のオヤジから「林檎は記憶喪失に効くらしいで」と教えられてからです。
このシーンは普通に見ると(現に林檎が好きだったらしいワシが結局記憶喪失なっとるんやから効いてないって事やんけアホか)と怒りを覚えたからに見えるのですが、逆に言うと「林檎を食べてたら記憶を消されへんって事?」という意味で記憶を保つ事を避けようとしているようにも見えるのです。
主人公が記憶喪失に憧れを持っているという事は余命少ない老人との会話の中での「奥さんは幸せかも」という会話からもわかります。

以上の事から本当の主人公の姿をまとめると
愛する妻の死を受け入れられない主人公(冒頭の複数カットは2つの枕や女性の下着等、妻の存在を連想させるものばかりです)はその記憶を消そうと頭を壁に何度も打ち付けますが、当然そんな事で記憶が消えるはずもなく主人公は思い悩みます。
そんな中、記憶喪失症患者用に新しい記憶と人生を作るという治療法がある事をラジオで知ります。
新しい記憶と人生を手に入れたら妻の事を忘れられるのでは?という発想が主人公の中で生まれます。
そんなある日、外を歩いている時に本物の記憶喪失症患者が病院に連れていかれるのを見た主人公はそれを真似して自分も病院に連れていかれます。(診察中、妻を思い出すので「家族」といったワードに拒否反応を示しています)
テストで大袈裟な程に記憶喪失のフリをしているとその甲斐もあって主人公への記憶作成プログラムが始まります。
やっぱり(当然)すぐに乗れた自転車を初めとしてプログラムに真面目に取り組む主人公ですが、女性と親密になる事だけはできません。
妻をふっ切らなければと思っている反面、愛する妻を裏切っているように感じるからです。
それでも頑張ってある女性…記憶喪失症の女性と仲良くなります。
深い関係となった事で新しい恋を…と一時は思いますが、酒場での妻との記憶等が邪魔をしてやはりふっ切れず、彼女を避けるようになります。
そんな中、プログラムの中で余命少ない老人と出会い仲良くなります。
老人の介護や葬儀(記憶喪失の彼女は経験がないので人の死に共感できない一方で主人公は妻を見送った事があるので老人の死に共感し涙を流しています)の中でそういった辛い記憶もまた忘れてはならない大事な思い出なのだと思えた主人公は妻の墓参りをする事で妻の死と向き合い(久しぶりなので備えてある花は枯れ切っています)
妻との思い出を忘れないために林檎を食べます。

つまりこの物語は主人公がいったんは過去から逃げそしてそれと向き合えるようになるまでの話なのではないでしょうか。

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