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『春と修羅』初版本の製本のこと

 本日9月21日は宮澤賢治の祥月命日。今年は私にとって詩人のふるさとである花巻への聖地巡礼が叶った記念すべき年でした。
 たった半日の時間でしたが、身照寺に墓参りをし、生家や印刷所の跡を訪れて、持参した詩集『春と修羅』に百年ぶりの“里帰り”をさせたことは、詩人に対する私淑とは別に、古本狂ならではの馬鹿馬鹿しい本懐であり、まだひと月前のことですが、汗だくで街を彷徨ひ歩いた酷暑の一日のことを懐かしく思ひ返してゐます。
 
 その『春と修羅』ですが、初版本を手にしてみて初めて気付いたことがあります。製本についてなのですが、以前、本宅サイトの掲示板(2010年3月14日)に書きましたが、もう一度改めてここにも書いておきます。
 
 研究者や古書店の間では知れ渡ってゐることかもしれませんが、まずこの詩集、普通の本のやうに16ページ分を一枚の紙に刷って裁断製本してゐるのではありません。おそらく4ページ分を裏表別々に刷って二つ折りしたものが集められたものらしいのです。そして製本も通常の「糸かがり」ではなく、束(つか:本の中身)に3か所ブスブス穴をあけて綴ぢた「打ち抜き」と呼ばれる方法。図書館で雑誌を合冊するときなんかに使ふ、もっとも簡単な製本方法です。
 
 なぜさうしたのでしょう。もちろん費用節減のためといふのが一番の理由でしょうが、小倉豊文氏が「『春と修羅』初版について」のなかで、地元花巻の印刷屋(吉田活版)には手刷の小さな機械(おそらく手フート印刷機)しかなかったことに触れてゐます。また別の理由としては、詩人が意図する風変りな段組や使用文字には、一々指示を出し、確認をとる必要があったからだ、とも考へられます。
 1000冊刷られたといふ事ですが、丁合(ちょうあい:ページ順に並べること)をとる作業も、後から一度にやるのは大変ですが、一枚ずつ刷って重ねてゆくなら乱丁は起きません。綴じ方もこの方法が一番安く済みます。私自身、『田中克己日記』を100冊刊行する際には、普通の印刷製本をするお金が無くて、地元の印刷屋さんに無理を言ってこの方法を採用したのでした。
 
 小倉氏の文章に「殆ど毎日校正やその他の手伝にこの印刷屋に通い」とあるのは、だから毎日のやうに印刷現場に立ち会ひ、印刷面を確認し、丁合をとり、綴じる手伝ひにも通った、といふことではないでせうか。「往復の途次には校正刷を持って関登久也の店に立寄り」とあるのは、順次刷りあがっていった現物を持って行ったものでしょうか。
 
 とまれ毎日「校正」に通ったにしては、あまりにも誤植が多いのも、この「心象スケッチ」の特徴です。挿み込みではなく、奥付の裏に正誤表が刷られてゐるのは、刷り直すことを端から断念してゐる、諦めの良い賢治さんらしい証拠です。また驚くことに私の持ってゐる本には、202pと203pとの間に本文が切り取られた痕があります。しかし落丁ではないのです。(201-202p)を印刷した一枚が、他の本文と一緒に綴じられてゐます。切り取られた痕の遊びに糊付けされてゐるのではありません。
 つまり印刷が意に満たぬページが、製本する前にあらかじめ切り取られてゐたことが判ります。ひどい誤植だったのでしょうか?間違って同じページを刷ってしまったのでしょうか?それともギリギリの段階で改稿された詩篇だったのでしょうか?
 トラブルに対して小回りが利く、小規模ならではの印刷所との関係が窺はれますが、件の(201-202p)は「白い鳥」といふ詩篇の中間部に当たります。原稿が果たしてどうなってゐるのか、知りたいところですね。

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