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不育症の記録

2年前に公開したエントリーで流産の記録をした。

先に結論を述べると、その後2021年初夏で妊娠がわかって、それからバイアスピリンの服用でなんとか今年の春に子供が生まれた。

2019年の秋、2020年の初夏、2020年の秋で3回流産した。
1人目と3人目は稽留流産のため手術を行った。1人目は9週まで大きくなってくれたが、検診で心拍が確認できなくなった。もうエコーでは人の形をしていた。2頭身で、お手手も足もあった。悲しかった。今も悲しい。
3人目は7週目を過ぎても心拍が確認できなかった。

3人目の手術の経過診察の時に不育症検査を病院にお願いして、まずは血液検査をしてもらった。が、血液からは不育の原因が見つけられずだった。
もしかしたら血栓が胎嚢の血管を塞いで心拍を止めているかもしれないから、次の自然妊娠時に「バイアスピリン」という血栓が出来るのを防ぐお薬を飲むことになった。

もしもバイアスピリンでダメなら大学病院で私と夫の遺伝子を検査をすることになる。でももう、バイアスピリンでダメだったら子どもは諦めようと思っていた。

2021年の7月に病院にかかって、お薬の服用を始めた。推定7週で心拍があった。が、9週超えるまでは気が気じゃなかった。

推定週数を把握するためにアプリに登録したが、また記録を消すことになると思うと辛かった。アプリの赤ちゃんに名前を設定できるが、愛着が湧いたらダメだった時に死にたくなるので「赤ちゃん」にしていた。妊婦向け雑誌は読むも気も買う気もしなかった。

検診の度に「心拍がなかったらどうしよう」「もう育ってないかもしれない」「期待するだけ辛いかもしれない」と思いながら診察台に乗っていた。

推定10週でクリニックから入院予定の病院に紹介状を書いてもらって転院した。総合病院のおじいちゃん先生が、死にそうな顔している私に心拍音を聞かせてくれた。とても早いテンポで心臓が鳴っていた。嬉しかった。安心した。生きていた。10週超えてくれた。この子は産まれてきてくれる、かもしれない。その日の検診で10週確定し、4度目の妊娠で初めて予定日がわかった。2022年3月に予定日より6日遅れで我が家に赤ちゃんが生まれた。

妊娠中、「バイアスピリンは特段特別だったり、特段高いお薬じゃないし、不育を疑った2人目の流産の後から処方して貰えば良かった」と思っていた。そしたらもっと早く授かったのに。でも、そこで授かっていたら今の第一子がこの世にいなかったかもしれない。だったらこれで良かったのかも、そう思えるようになってきた今日この頃でした。

なんだか深刻めに書いてしまったが、私は相変わらずギリギリで生きている。妊娠出産子育てで精神が成長したか?いや、経験が増えただけでそうでもない。引き続きアホ丸出し。妊娠出産はことごとくお金が要り用とわかっているのに、お金にだらしない私はやっぱり未だにお金に振り回されている。そんなに子ども欲しいなら堅実に貯金しとけと過去の私に言いたい。これもそのうち書けるといいな。

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