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「解放」感の解像度アガッテきたぁ~

悩んだ末に、めちゃくちゃ恥ずかしいけど、自分の出来栄えを友達に見てもらう時あるよね。
でも、実際に見せた直後、

”でも、あれ。そうでもないな。何なら、もっとこんな作ってるから、これも見てもらおっと”

素直に不思議な現象だなぁって思わない?
ヒトの内面性は、ヒトそれぞれ。バラバラで複雑で、規則性なんてわかったもんじゃない。
でもさっきみたいに単発な行為ではなくて、一連の行為の流れ(初めからやることが決まっていた⇒それに対する意識と観念が強調される⇒送る⇒多少の達成感、欲⇒もっと送る)により帰結した心理内容は、驚くほど、当事者同士類似してるよね。

集団生活の中では、制限と自由がはっきりしてる。
たぶん、ここでの(快感の)自由と(個人にかかる)制限の関係性としては、「制限があるから自由になれる」という解釈ができるね。
自己意識に対してその”制限”の存在がどれだけ強調されるかは、個人により甚だ程度が分かれるだろうけど、ただ意識にその存在(印象)が植えつけさせられて初めて、(快感の)自由を求め、自らに行為を促し、より以上の快感を得てしまうんだろう。

単に今回は、他から自分へ制限をかけられている場合の話だね。だって、仮に自分から自分に制限をかけている場合は、それ自体を快感に感じる人もいるからさ。でしょ。それについては僕の手に負えないよ笑。

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