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18〜19世紀のポーランド、ショパンとその時代の教育者たちを描く物語

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小説『知の黎明にて』

1 序 わたしには宗教というものがよくわからない。 むろん、神を祈る、神に祈る、というのはわかる。 そのようなものはわたしが生まれ育った環境にはごくふつうに存在していたし、食事の前、食事の後、お出かけする時、何か特別なことがあるたびに母が「神様に感謝します」と口にし手で十字を切るさまは、およそ物心がつき始めた頃から目にしていたから、神に祈るというのはわたしにとってはおよそ呼吸をしたり食事をしたり友だちとあそんだりするのと同じくらい、ごくふつうのことだった。 日曜日にな

    • 一国民の声

      わたしは安全に、安心して暮らしたい。 ただそれだけなんです。 明日を安心して迎えたい。今夜安心して眠りにつきたい。 来週を夢見たい。来月を楽しみにしたい。 明日の朝目が覚めて、健康な体がある。苦しくもなく、だるくもない、そんな朝を当たり前に迎える。これがこんなに特別なことになってしまったのはなぜ。 体がだるくなったら、頭が痛くなったら、喉がいがらっぽくなったら、 検査をしてください。もしウィルスに感染していたら、家族に、友人に、職場の同僚にうつしてしまうかもしれな

      • なおりたいから

        コロナ感染者、あるいは感染疑い、感染疑い歴、過去に1度でもコロナかもしれない、という症状で苦しんだことがある人たち。 わたし含め、そういう人たちが必死でいろんな情報を集めるのはひとえに 「なおりたいから」 なの。集めた情報を振りかざして他を圧倒したり、罵倒したり、そんなつもりで集めているわけではけっしてないの。だから、一生懸命集めた情報を、同じような症状で苦しんでいる人たちに分けて差し上げたいのも、ただの善意から。だって、同じ苦しみを共有しているのだもの。だから、わたし

        • Covid19の真実を推測してみる ①

          【ウィルスの実体】 なんとなく、の推測である。 あるいは、シロウトの単なる思い込み。 新型コロナウィルスは、コロナウィルス(風邪の症状を引き起こす ごく一般的なウィルスである)にSARSとHIVのタンパクが 搭載された人造ウィルスである。 ウィルスは武漢のP4生物化学実験室から流出し、武漢から始まり 世界へと感染流行が拡大した、と言われる。 自分で罹ってみて、また、多くの罹患者の話を聞いてみて、思う。 たぶん、この「コロナウィルス」の部分は単なるSARSとHIVのタンパ

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        小説『知の黎明にて』

          小説『知の黎明にて』

          5 若き悩み、あるいは、出立 思春期と人生の分岐点というものはなぜ、いちどきに訪れるのであろうか。 学校を卒業するとき、誰にも等しく人生最初の分かれ道がやって来る。そのときの選択がその人の人生を左右すらする。その大事な選択をすべきときに、往々にしてその判断に厄介な影響を与えるのが思春期というやつだ。 この頃、彼はことさら教会へと通った。学校が終わり、フェンガー家に行かない日は、家に帰る前に教会へ立ち寄った。そこは生まれた頃から家族と通ってきた福音教会で、この地区のドイツ

          小説『知の黎明にて』

          小説『知の黎明にて』

          4 リンデ氏の打ち明け話 二 トルンのフェンガー家と言えば、トルンはおろか、広くポーランド中でも知らぬ人はないほどの名家であった。否、名家という呼び方はいささかそぐわぬかもしれない。名家とはこの時代、貴族階級に対して用いるものであったから、フェンガー家は名家と言うよりは、有名家といおうか、ほぼ一代で巨万の富をなした大実業家であった。トルン・モストヴァ通りの豪奢な本邸はいうまでもなく、ほかにいくつも別宅を持ち、遠くグダンスク、ワルシャワなどにも事業所を構え、あらゆる業種の事業

          小説『知の黎明にて』

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          3 リンデ氏のうちあけ話 さて、どこから書こう。 我が最愛の友リンデ氏のことならなんでも知っているから、伝記本の一冊でも二冊でも書く自信はある。しかし如何なものだろう。「リンデ氏は○○年、父○○、母○○との間に次男としてどこどこに生まれ、父○○は○業を営んでいた、幼いリンデは…」などと片っ端から順に書いていったらきっとわたしは五行で飽きてしまうだろうし、読まれる方はなおさら三行くらいが限度だろう。わたしが書きたいのは彼の生い立ちではないのだ。 あれはいつのことだったか。

          小説『知の黎明にて』

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          2 我が最愛の友 最愛の友、とはいうものの、リンデ氏は厳密に言えばわたしの友人ではなく、わたしの父の友人であった。父と同じ年齢であるから、わたしにとっては「おじさん」と呼んでもいいほどの御仁だ。しかしわたしは彼を「おじさん」と呼んだことはないし、彼もまた、わたしを「親友の息子」といった、父を間に挟んだ間柄でいようとはしなかった。 リンデ氏との最初の出会いの瞬間をわたしはおぼえていない。しかしリンデ氏は「きみが赤ん坊の頃は」とか「あの時は母上の首にしがみついて大泣きして大変

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