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●私と映画●


90年代の終わり頃、わりとマイナーな映画が深夜のテレビで流れていた。NHKなんかでもアジア映画特集などをやっていた。
その頃の私は人生に絶望しており、答えを探すために映画を観ていた。生きることの意味や理由をずっとその中に探していた。
明確な答えは見つからなかったけれど、ヤン・シュヴァンクマイエルやアッバス・キアロスタミ、ウォン・カーウァイといった監督の作品に幸福にも出会うことができた。答えではないけれど、小さな光として手にすることができた。
そして生活や年月がやがて絶望を柔らかく麻痺させたり変化させたりして、観る意味を変えていった。

今は自分自身を保つためというのが一番の理由だと思う。
映画を観ることで自分の感性と感情を確かめる。何に喜び何に心揺さぶられ、何を悲しみ何に涙するのか。心と思考が動くことで自分が自分であることがわかる。
そして受け取ったものを自分の言葉で書き留める。感じたことを間違いなく表せる言葉を探して組み立てる。思考を形に変える。そうすることで自分の輪郭を色濃くしていくことができる。私が私になるために観ているのだ。

しかし時間というものは本当に残酷で、いつか観ようという「いつか」をどんどん押し流していく。歳を重ねるにつれ、いつかはいつまでもやってこない。
「今」でないとそれは永遠に手の中をすり抜けていくのだ。

だから今を取りこぼさないようにすると決めた。
映画に時間を割くことに決めたのだ。流されないように踏ん張る。今しか手に入らないものを掴みにいく。
私の今年の目標だ。今のところお店の仕込みの日に中抜けしてまでも観に行けている。

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